P.15 Episode 15:開演のベル

October 11th, 2012

Fukuoka, JAPAN

潜伏先アジト(廃工場)



 決行前夜。


 福岡市郊外の廃工場は、墓場のような静寂に包まれていた。だが、その静けさの中には、圧縮された暴力と、長年熟成された憎悪が、爆発寸前のエネルギーとなって渦巻いていた。


 ディミトリは、無数のモニターの前で、淡々と最終チェックを行っていた。店内の監視カメラ、警察無線、周辺の携帯電話の通信網。明日、この街の神経系統は、すべて彼の手の内に堕ちる。その指先は、冷徹な外科医のように、寸分の狂いもなく動いていた。


 倉本は、暗がりの中で、ただひたすらにナイフを研いでいた。シュッ、シュッ、という規則正しい金属音が、不気味に響く。彼の瞳には、かつての陽気さも、自暴自棄の光もない。あるのは、ただ、獲物の喉笛を掻き切る瞬間だけを夢想する、捕食者の、空虚な輝きだけだった。彼は、壁に貼られた中村の写真に、一度だけ視線をやると、獰猛に、しかし、どこか哀しげに呟いた。


 「……見てろよ、健太。明日、派手な花火を、上げてやるからな」


 そして風間は、作戦司令室と化した一室で、静かに目を閉じていた。


 彼の脳内では、明日行われる全てのシークエンスが、何百回となく再生されては、検証されていた。人質の動線、警察の反応速度、メディアの報道内容、そして、人々の恐怖の伝播。全てが、彼の描く、完璧な脚本(シナリオ)通りに進むはずだった。


 彼は、ゆっくりと目を開けると、机の上に置かれた、一枚の写真に手を伸ばした。SBU時代、訓練を終えたアルファ分隊の集合写真だ。中央で、誇らしげに立つ自分。その隣で、はにかむように笑う中村と、悪態をつきながらも嬉しそうな倉本がいる。


 (……すまない)


 風間は、写真の中の中村に、心の中でだけ、謝罪した。


 (お前の望んだ未来は、こんなものではなかっただろう。だが、俺は、もう進むしかない。お前を死に追いやった、この偽りの平和を、根こそぎ焼き尽くす。……それが、俺の、唯一の贖罪だ)


 彼は、写真をそっと伏せると、立ち上がった。


 その顔には、もはや、一切の迷いも、葛藤もなかった。



October 12th, 2012

10:00 Local Time

晴れ



 夜が明け、決意の朝が訪れた。


 男たちは、言葉もなく、黙々と黒い戦闘服に着替え、タクティカルベストを装着し、弾倉をポーチに収めていく。その動きは、まるでこれから神聖な儀式に臨む神官のように、静かで、厳かだった。


 「……行くぞ」


 風間の、短い命令。


 男たちは、それぞれの得物を手に、用意された三台のミニバンへと乗り込んでいく。


 廃工場から、活気に満ちた福岡の中心部へ。


 車窓の外を流れる、平和な日常の風景。学校へ向かう子供たちの笑い声、買い物客で賑わう商店街。それら全てが、風間の目には、まるで遠い異国の光景のように映っていた。


 (……この光景も、あと数時間で終わる)


 正午過ぎ。


 彼らは、天神の中心部、アトリエ福岡店の周辺に到着した。それぞれの車両を、計画通り、別々のコインパーキングに停める。


 風間は、スマートフォンの時計が「12:50」を指したのを確認すると、全メンバーに、最後の通信を送った。


 「……これより、最終フェーズに移行する。アルファ、ブラボー、チャーリー、各班、状況を報告せよ」


 『……アルファ、準備完了』ディミトリの、冷静な声。


 『……ブラボー、準備OK。いつでもパーティーを始められるぜ』倉本の、獰猛な声。


 『……チャーリー、同じく』他のメンバーの、抑制された声。


 「……よし」


 風間は、静かに頷いた。


 「……開演のベルは、六十分後に鳴る。作戦を開始する」


 男たちは、重いダッフルバッグを肩に担ぎ、次々と車を降りる。


 そして、何事もなかったかのように、平日の昼下がりの、賑やかな雑踏の中へと、その姿を溶け込ませていった。


 彼らの、長く、暗い夜は、終わった。


 そして、日本という国家の、終わらない悪夢が、今、始まろうとしていた。



─────

バビロンの桜、ここで散る(完)

この物語の続き、風間らの復讐劇は本編👇️にて公開中。

https://kakuyomu.jp/works/16818792440384890684

小説「Project CHIMERA ①:怪物の誕生」は👆️こちら。


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【連載】バビロンの桜は散った ゆうき meets│T.H.O.T.H. @Yuki_meets_THOTH

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