P.10 Episode 10:バビロンの門
February 1st, 2005
晴れ
Ali Al Salem Air Base, KUWAIT
米軍・自衛隊 前線航空基地
クウェートの空は、どこまでも青く、そして乾いていた。滑走路に降り立った風間たちアルファ分隊を、灼熱の風と、ジェット燃料の匂いが包み込む。彼らのイラクでの過酷な任務は、すでに伝説として、この基地に駐留する米軍関係者の間にも静かに広まっていた。
作戦ブリーフィングが行われる、だだっ広いテントの中。風間たちの前に現れたのは、見知った顔だった。
「……カザマ。また地獄で会ったな」
NAVY SEALsのチームリーダー、マイク・“ハンマー”・ジョンソン。サマワで、血まみれの倉本をヘリに乗せた、あの時の男だ。彼の顔には、再会を喜ぶようなsentimentalismはない。ただ、同じプロフェッショナルに対する、無言の敬意だけが宿っていた。
「ジョンソン少佐。今回も、世話になる」
風間とハンマーは、固い握手を交わした。
テントの中には、日米両国の、選りすぐりの精鋭たちが集まっている。SEALsの隊員たちは、最新鋭の装備に身を包み、どこかリラックスした、それでいて自信に満ちた空気を漂わせている。対するSBUの隊員たちは、寡黙で、規律正しく、研ぎ澄まされた刃物のような緊張感を放っていた。
「――ターゲットの化合物(コンパウンド)だ」
CIAから派遣された分析官が、スクリーンに映し出された、砂漠の中の要塞のような建物の衛星写真を指し示した。
「内部には、最低でも三十人以上の、戦闘経験豊富な兵士がいる。見張り塔、機関銃座も確認済みだ。正面からの攻撃は、自殺行為に等しい」
分析官が、作戦計画を淡々と説明していく。夜陰に乗じ、ヘリで目標地点から数キロの地点に降下。そこから徒歩で接近し、SEALsが陽動として正面ゲートを攻撃。その隙に、風間たちが、建物の死角となる西側の壁を爆破し、内部に突入。人質を確保し、離脱する。
完璧な、教科書通りの作戦。だが、その完璧さが、逆に風間の胸に、微かな不安の影を落としていた。
作戦決行まで、残り六時間。
基地の片隅で、日米の隊員たちは、それぞれのやり方で、死との対峙に備えていた。準備の最終段階として、SBUの隊員たちは、自分たちの戦闘服から日章旗の腕章を剥がし、SEALsから渡された星条旗の腕章(パッチ)を、黙々と貼り付けていく。それは、彼らの国籍を偽り、この作戦の真実を覆い隠すための、欺瞞の儀式だった。
倉本は、一人の大柄なSEALs隊員と、コンバットナイフを使った模擬戦闘(スパーリング)に興じていた。汗まみれになり、獰猛な笑みを浮かべながら、互いの喉元に、訓練用のナイフを突きつけ合う。
中村は、一人、静かに瞑想していた。彼は、これから向かう戦場の、ありとあらゆる可能性を、その頭脳の中でシミュレートする。彼は、傍らに置いた家族の写真に、一度だけ、そっと指で触れた。
そして風間は、ハンマーと共に、巨大な砂盤の上に再現された目標の模型を前に、最後の作戦会議を行っていた。
「……西側の壁は、厚すぎる。ブリーチング(壁爆破)の爆音で、内部の敵にこちらの意図を悟られるリスクが高い」
風間が、静かに指摘する。
「代案は?」ハンマーが、問い返す。
「……下水だ。古い設計図だが、この建物の下には、砂漠のオアシスから引き込んだ、古い地下水路がある。入り口は、ここだ」
風間が指し示したのは、目標から五百メートル離れた、涸れ井戸の記号だった。
ハンマーは、数秒間、風間の目をじっと見つめていたが、やがて、ニヤリと笑った。
「……クレイジーな日本人だとは思っていたが、ここまでとはな。いいだろう。その『スネーク・ホール』作戦、乗ってやる」
彼らの間には、すでに、指揮官同士の絶対的な信頼関係が築かれていた。
February 2nd, 2005
新月
Al Anbar Province, IRAQ
武装勢力アジト 近郊
イラクの夜空は、星々の光さえ飲み込む、完全な闇に支配されていた。
漆黒の闇を切り裂いて飛行するMH-60 ブラックホークの機内。赤い戦闘用のライトが、男たちの、鋼鉄の意志を宿した顔を照らし出す。
「……健太、ビビってんのか?」
倉本が、隣で静かに座る中村に、軽口を叩いた。
「……当たり前だろ。ビビってない奴は、ただの馬鹿か、死人だけだ」
中村は、そう言うと、倉本の肩に、自分の拳を、ことりとぶつけた。
「だが、俺の背中には、お前がいる」
「……へっ。任せとけ」
風間は、そんな部下たちのやり取りを、ヘルメットの下で、静かに聞いていた。
(……必ず、帰るぞ。全員で)
やがて、ヘリが音もなく降下を開始する。
彼らは、バビロンの門の前に、今、立っていた。
その門の向こう側に、彼らの運命を、そして、日本の未来さえも変えてしまう、残酷な悲劇が待ち受けていることを、まだ誰も知らなかった。
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