【連載】バビロンの桜は散った
ゆうき meets│T.H.O.T.H.
P.1 Episode 1:邂逅
October 12th, 2012
14:15 Local Time
快晴
Chuo-ku Tenjin, FUKUOKA
アトリエ福岡店
店内に充満する硝煙の匂いと、抑制された人々の嗚咽。床に広がる血だまりが生々しい光を放つ中、風間竜司は静かに監視モニターの映像を眺めていた。作戦の第一フェーズは完了した。この空間は、今や完全に彼の支配下にある。
背後で、部下の一人である倉本が、人質から回収したスマートフォンをゴミ袋に無造作に放り込みながら、陽気ささえ感じさせる口調で声をかけた。
「いやー、やっぱ日本の警察ってウケるよな! まだ電話かけてきて、交渉しよーとか言ってんだぜ? マジ笑えるんですけど!」
倉本はそう言うと、風間の隣に立ち、モニターに映る店外の光景を覗き込んだ。重装備のSIT隊員たちが、無意味な包囲網を維持している。
「…で、次はどうするんスか、隊長!」
その、聞き慣れたはずの
倉本が発したその言葉が、風間の鼓膜を通過した瞬間、彼の瞳の奥で、何かが一瞬、揺らいだ。硝煙と血の匂いが満ちる現在の
冷徹な指揮官の仮面の下で、風間の意識は、十年の時を超えて、あの出会いの日へと引き戻されていた。
10 Years Ago
April 5th, 2002
快晴
Etajima, HIROSHIMA
海上自衛隊 特別警備隊 訓練施設
瀬戸内の穏やかな海が、春の陽光を浴びてきらめいている。だが、江田島にあるSBUの訓練施設に、そんな長閑な空気は微塵も存在しない。
「上げろ! 腕が震えてるぞ! それで国が守れるか!」
泥水の中で丸太を担ぎ、限界をとっくに超えた肉体を意志の力だけで動かす候補生たち。その地獄絵図を、訓練教官である風間竜司は、腕を組み、表情一つ変えずに見下ろしていた。
彼の目に、二人の対照的な候補生が映る。
一人は、倉本。
ずば抜けた身体能力。特に近接戦闘(CQB)訓練では、他の候補生を赤子のように捻じ伏せ、教官陣を唸らせるほどの才能を見せていた。だが、その戦い方は、あまりにも荒々しく、制御されていない。彼の瞳の奥には、常に飢えた獣のような光が宿っていた。強さへの渇望。それは、時に仲間さえも危険に晒す、諸刃の剣だった。
もう一人は、中村健太。
体力、射撃技術、そのどれもが平均点以上ではあるが、倉本のような突出した才能はない。だが、彼には、他の誰も持ち得ないものがあった。極限状況下でも失われることのない、冷静な観察眼と、仲間を見捨てない温かさ。
水温10度の海で、手足を縛られて5分間浮き続ける「溺死防止」訓練。他の候補生が次々とパニックに陥り脱落していく中、中村だけは、静かに呼吸を整え、水の流れにその身を委ねていた。そして、隣でもがく同期に「息を吐け。力を抜け」と、冷静に声をかけ続けていたのだ。
訓練後。
倉本は、泥まみれの戦闘服のまま、仲間たちにその日の武勇伝を、身振り手振りを交えて大声で語っていた。
「見たかよ、今日の俺! 教官の野郎、マジでビビってたぜ!」
その輪から少し離れた場所で、中村は、黙々とライフルの分解整備を行っていた。その丁寧な手つきは、まるで祈りのようにも見えた。
風間は、音もなく、その二人の背後に立った。
「倉本」
「!…はいッ!」
突然の教官の出現に、倉本は飛び上がるようにして直立不動の姿勢を取る。
「お前の牙は、鋭すぎる。今のままでは、敵を噛み殺す前に、お前自身がその牙で滅びるだろう」
風間は、倉本の目を見据え、淡々と告げた。そして、次に中村の方へ視線を移す。
「中村」
「はい」
「お前の盾は、頑丈だ。だが、盾だけでは、仲間は守れん」
風間は、そこで言葉を切ると、二人の顔を交互に見比べ、そして、決定的な一言を告げた。
「明日から、お前たち二人はバディを組め。倉本、お前は中村から 『制御』を学べ。中村、お前は倉本から『牙』を学べ。互いの半身となり、一つの戦士になれ。以上だ」
それは、命令だった。
反論など、許されない。倉本は悔しそうに唇を噛み、中村は、静かに、しかし力強く頷いた。
この日、三人の運命が、初めて交錯した。
鋭すぎる牙と、優しすぎる盾。そして、その二つを束ねる、絶対的な指揮官。
彼らが、後に国家に牙を剥き、そして、歴史の闇に散る「バビロンの桜」となることを、まだ誰も知らなかった。
────
※
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます