第11話 帰郷と『出陣』

 騎士団に山まで護送されたヴィティは久しぶりに故郷の山に戻ってきた。事前に手紙で事情を送っておいたものの彼女の母はヴィティの姿を見ると泣き出してしまった。


 母を悲しませてしまったと申し訳なく思ったヴィティが「ごめんなさい。種を貰う前からこんな姿になってしまって」と謝ると母は「そんなのどうでもいいって言ったでしょ! こんな酷い火傷、痛いでしょう、辛いでしょう……」と怒ったり泣いたり情緒不安定になっていた。


 どちらかというと感情が希薄気味なヴィティに対して母は激情家であった。


 他のルミニュイ族の人々もヴィティの痛々しい姿に同情し役目を果たさずに戻ってきた彼女を責める者は誰一人いなかった。むしろ火傷に効果のある薬や栄養のある食べ物を差し入れしてくれるほどでますます申し訳ないとヴィティは治癒の泉に浸かる時以外はなるべく外に出ないようにしていた。


「ヴィティお姉さま。おはなし、大丈夫?」

「ええ」


 皆がヴィティに同情と哀れみの目を向ける中、妹分のシャミィはあえていつも通りの態度でヴィティに話し掛けてきた。


 シャミィは土産に渡したブローチを胸に付けており気に入ってくれてよかったとホッとしながら手に塗っていた薬を一旦置く。


「あ、背中塗ってあげる」

「ありがとう。体を捻るのまだ辛いから助かるわ」

「うん。……わあ……痛そう……」

「……ええ。痛いわ。…………怖い人達には気をつけるのよ」


 どのような経緯で火傷を負ったのか教えてもらったシャミィは「ヒト怖いよぉ……私もあと三年後に下山するけど大丈夫かなあ……」と小動物のようにぷるぷると体を震わせながら背中に薬を塗っていく。


 そんなシャミィにヴィティは人間全てが怖い訳では無い事、気絶した自分を運んでくれたり治療してくれたのも人間なのだとも説明する。


 それからおませな彼女が興味を引くであろうヴィティ自身が仲良くなった人間……ロンシャオの話をする。


「手を繋いだりデートしたり……ヒトってそういう事するんだ」

「ええ。彼の国はヘルトゥルタンから離れていて私達のしきたりを知らなかったから最初種が欲しいと言ったら凄く驚いていたわ」

「そうなんだ。山の周辺の国なら声を掛けてオッケーしてもらえればいいだけのに変わってるなー」

「……多分それで種を貰える方がむしろ少数派なのだと思うわ。私もまだ世界をよく知らないけれど」


 ロンシャオとの話……所謂恋バナめいた話題はシャミィにとって新鮮で楽しいらしくヴィティと同じ白縹の瞳を宝石のようにキラキラと輝かせながら彼との思い出を聞かれヴィティは喜んで話した。


「わあ……お姉さまに種をくれるって約束してくれたんだ」

「ええ。……彼が帰ってくる前に私がこうなってしまったけれど」

 

 話のクライマックスまで話すと自分のことでもないのに喜んでくれるシャミィ。真っすぐで無垢な彼女が眩しくてヴィティは目を細めた後、自身の火傷で覆われた手のひらを見る。


「……お姉さま…………あ、あのね。ロンシャオさんの事は私よくは知らないけれどきっと今のお姉さまを見ても綺麗だって言ってくれると思うの……!」


 普段あまり表情を出さないヴィティが分かりやすく落ち込んでいる様子を見てシャミィはこれまで話してもらったロンシャオの人となりを考えながら自分の考えを口にする。


 それは慰めで言っているのではなくシャミィが心から思った事であった。


「……そうね。私もそう思う。彼は優しい人だから。でも……もし違ったら。嫌なものを見るような目で見られたら……私は立ち直れない。それに……これは私のわがままだけれど同情で種を貰いたくはないの」

「ヴィティお姉さま……」


 困った事があったら大丈夫よと落ち着いて相談にのってくれたり解決してくれる頼もしい、頼れるお姉さまとしての面ではない脆く弱々しい姿にシャミィはぺしょりと眉を下げる。


「……ごめんなさい。湿っぽくなってしまったわね。それで私は彼に手紙を書いたの」

「手紙……お別れの手紙、なんだよね。どんな手紙にしたの」

「今までの感謝と謝罪……それと彼はとても心配性だから安心させるための嘘を書いたわ」

「安心させるための嘘?」

「ええ。彼はとても面倒見がいい、責任感の強い人だから。私との約束の為にここに来るかもしれない。だからもう大丈夫だと伝えるために──」


 ヴィティは手紙の内容を掻い摘んでシャミィに話した。最初はそれを神妙な顔で聞いていたシャミィであったが話し終える頃には青い顔になっていく。


「……それ、まずくない?」

「どうして?」

「いやだってそれ……私がロンシャオさんの立場だったらめちゃくちゃ絶望するかブチギレると思うんだけど」

「え? そうかしら……?」

「そうでしょ……なんでそんな残酷な嘘ついちゃったの」

「残酷……? 代わりの人がいるから長旅してまで来なくて大丈夫だって報せることがどうして?」


 心の底から不思議そうに首を傾げるヴィティにシャミィは唖然とする。


 話の断片を聞いているだけでも少なくともロンシャオは口下手な人で、口下手なりに言葉や行動に表してヴィティに好意を抱いている事はシャミィにも分かるというのに一番伝わってほしいであろう本人にはまるで伝わっていないのだから。


(ロンシャオさん……可哀想…………大丈夫かな……)


 姉のように慕っているヴィティが書き残した酷い内容を読んでいるであろうロンシャオにシャミィは心の底から同情し、そして思った。


 ……多分近いうちにヴィティお姉さまはロンシャオさんと再会する事になるだろうな、と。


 ❆❆❆


「……お久しぶりです、師匠」

「おかえりなさい、ロンシャオ」


 時間的にも距離的にもの長旅を終えたロンシャオはかつて自分も暮らしていた師匠の家帰還した。ロンシャオがおそるおそる師匠であるリュタンに話しかけるとリュタンはゆっくりと振り返る。


「その……勝手に家を出て申し訳ございませんでした」

「全くです。書き置きだけでなくせめて一言二言欲しかったですよ。しかも手紙の一つも寄越さないとはどういう了見ですか」


 穏やかで優しい性格のリュタンをしてもロンシャオのこれまでの行いは謝っただけでは許されないものでありそこに座りなさいとロンシャオは二人以外いない部屋で長い説教を正座のまま受け続ける事になったのだった。






「……まあこれくらいにしてあげましょうか。……よく帰ってきましたね」

「……はい」


 長時間正座のまま拘束され続けたロンシャオは足を痺らせながら許可を得て足を崩す。こんな姿をヴィティに見られたくはないなと苦笑をしているとリュタンは嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

「いい顔をするようになりましたねロンシャオ」

「そう……でしょうか」


 何を言うでもなくロンシャオの育て親であり武の師である男は穏やかに頷く。その笑みは全てを見透かしているようでロンシャオは思わず視線を彷徨わせてしまう。


 視線を彷徨わせた先には旅に出た以降のロンシャオの事が書かれた雑誌に新聞の切り抜きとそれらを纏めた冊子が所々に置いてある。それは師匠であるリュタンがロンシャオを心配して気にかけ続けてくれていた何よりの証拠であった。


(……師匠は俺を心配して、活躍を喜んでいてくれていたんだな……俺は何を恐れていたのか……)


 自分は弟子として、息子として相応しくないのではないだろうかと不安に思っていたのがバカらしくなるくらいの大きな愛情にロンシャオはこれまでの弱い自分を恥じた。


「世界最強の男になる……見事に有言実行したわけですが。何か変わりましたか」

「はい。最近ある出会いをして、自分は変わりました」


 ロンシャオはリュタンにヴィティと出会い自分が変わった事を話した。親同然の師に性的な話はしずらいので種云々の事は言わず共に街を歩いた事や武道以外の話をした事を話す。


「……俺はただ強くなりたかった。強くあれば師匠に認めてもらえると、そう思い込んでいました。……ですが世界最強の男の称号をついに手に入れても不安で仕方がなかった。力も技量も家から飛び出す頃よりずっと強くなっても肝心の心は何も変わっていなかったからです」


「そんな時……ある出会いをしました。そいつはとんでもない交渉をしてきて、一度はそれを断ったんですが引き下がるどころか何度も会いに来ました。……散々振り回されましたがそれが不思議と嫌じゃなかった。あいつといる時は武道家とか弟子とか関係ないただのロンシャオでいられたんです」


「修行や鍛錬ではなくただの若者として過ごす時間は新鮮で楽しくて時間があっという間に過ぎていきました。そうしているうちに思ったんです。師匠とちゃんと話すべきだと」


 ロンシャオのこれまでの話を聞いてリュタンは何度も頷き微笑んで、それから少し寂しそうな顔をする。我が子の成長を喜ぶ父のように。


「良い出逢いをしたのですね。今のあなたになら全てを任せられます。ですが……ふふ。残念です。でもそれ以上に嬉しい。私や道場よりも大切なものを見つけられたのですね」


 それは師として、そして父親としてロンシャオの成長を心から喜ぶ言葉であった。リュタンの言葉にロンシャオは照れくさそうに頷く。


「……はい。とても素直で……でもズレているというか危なっかしい奴なので見張っていないと不安で…………いえ、そうじゃないですね。ただ俺自身があいつの傍にいたいんです」

「おやおや。意地っ張りで頑固で意固地だったあなたをそんな優しい顔をさせる女性ですか……どんな方なのですか?」

「……あの、女性とは言ってないんですが」

「でも合っているでしょう?」


 あなたの事は全てお見通しですよ、とクスクス笑うリュタンにロンシャオはうう、と情けない声をあげながら耳まで赤くする。


「実はまだ彼女にハッキリと想いを伝えた訳ではないんです。なのでヘルトゥルタンに戻って……俺の気持ちを伝えようと思います」

「そうですか。あとで是非紹介しててくださいね」

「は、はい」


 と頷いてみたもののロンシャオは少し不安だった。


 ヴィティははじめから自分の種が欲しい、あなたの子を産みたいと言っていたしこういうところが好きだとも言ってくれていた。だから好意そのものはあるだろう。


 しかしルミニュイ族に恋愛や結婚の概念は薄く自分が好きだと、共にいようと求婚したところで受け入れてもらえるかどうか分からなかったからだ。


(最初の頃は種だけくれと言われたしな……)


 まだヴィティと出会ってからそれほど時間が経っていないというのにひどく懐かしい。


 あの時はなんて娘だと唖然としたものだったが……なんだかんだ恋について教えてほしいという願いを了承した時点で俺自身が惹かれていたのだろう、とロンシャオは思う。


 ヴィティの言った私を好きになって欲しいという願いはとっくに果たされていたのだとも。


 あとはきちんと言葉にするだけだとあらためて覚悟を決めるロンシャオとそんな弟子の心境を読み取り微笑ましそうに見つめるリュタン。


 そんな時、カコンとポストに何かが投函される音が聞こえリュタンはそれを確認した。 


「手紙ですね。一体誰から……おや。ロンシャオ、噂をすればですよ」

「はい?」

「ヴィティという差出人からの手紙がたった今届きました」

「あいつから……そ、そうですか」


 ヴィティからの手紙が来ると思っていなかったロンシャオはわたわたと慌てながら手紙を受け取る。


 便箋を破かないように丁寧に慎重に外してから手紙を取り出し、開くロンシャオにリュタンはあたたかな気持ちをいだく。


 家を出る前では見られなかった初々しい息子の姿にリュタンは感動でじんわりと涙を滲ませた。


(ふふ。手紙だけであんなに嬉しそうに……最初『後継者に相応しい男になれるよう世界最強になってきます』と書き置きを残して家出された時は寿命が縮まるかと思いましたが巡り巡って良い縁に出逢えて……)


 本当によかった。もう思い残すことは……あるにはありますがロンシャオはもう大丈夫でしょうとこれまでの思い出が走馬灯のように浮かぶリュタンであったが……。


「なっ……!? どうして急に……」


 手紙を開き読み始めた序盤からロンシャオの困惑が伝わってきて首を傾げる。あまりロンシャオにとってよい内容の手紙ではないのか読み進めるほどに焦燥からか文章を追う視線が早くなっていく。


 一体どうしたのだろう。気にはなるが弟子の手紙を盗み見る訳にはとリュタンが葛藤していたところ。


「………………あ゛゛?」

「……っ……!?」


 手紙を読み進めていたロンシャオが突然怒気を孕んだ唸るような声を上げる。それと同時にバギッと何かがひしゃげる音が聞こえリュタンはおそるおそるロンシャオに訊ねた。


「……ど、どうしたんですか……突然尋常ではない殺気なんて出して……」

「…………申し訳ございません。今すぐ戻らないといけない事情が出来てしまいました」

「え、今すぐですか? もう少しゆっくりしていっても……」

「すみません。時間がありませんので失礼します」


 ロンシャオは光のない緋瞳をリュタンに向けて一度会釈をすると荷物を抱え目にも止まらぬ速さで家から出ていった。急な弟子の心変わりにリュタンは理由を問いただす事も出来ずポカンとその背中を見送った。


「い、いったい何が……おや?」


 一体何があったのだろうと頭を掻きながら部屋に戻ると強く掴んでいたせいでグシャッと皺まみれになった手紙が床に落ちている事に気づく。


 それをリュタンは拾い上げ……勝手に読むのはよくないと悩みつつも弟子の急変の理由を知るために紙に書かれた文章に目を走らせる。


 そこにはまるで機械のように丁寧で美しい字体で、重要な部分だけを要約するとこんな感じの事が書いてあった。


『訳あって山に帰ることになりました。今まで我が儘を聞いてくれて、たくさん迷惑をかけてしまってごめんなさい。ヒノモトからヘルトゥルタンまでの長旅は大変でしょうし種は他の人から貰う事にしたわ。今までありがとう。あなたに会えてよかった』


「……お、おお…………これは…………」


 ヴィティがロンシャオに向けて寄越した心からの感謝と謝罪、それと最後の最後でサラリと書かれているとんでもない内容の手紙を一通り読み終えたリュウタンは念の為それを丁寧に畳み封筒の中へと仕舞う。


 その手紙の落ちていた、さきほどロンシャオが立っていたあたりの床にはロンシャオの足の形、特に指先あたりがクッキリと凹んでおりさきほど聞こえたバギッという謎の異音の正体はこれかと理解する。


 僅か一瞬で頑強な木の床を変形させた弟子の心境を思うと師匠はキューっと胃が締まっていくのを感じる。


(この手紙の内容……『ヘルトゥルタン』で出会った女性で『種』となると……ヴィティさんはルミニュイ族の方なのでしょうね。ロンシャオは種をあげる約束をしていたと。あの子の性格的に彼女に心から好意を抱き男としての責任を取る覚悟の上でそれを了承したわけで……そこに別の男が出てくるとなると……)


 リュタンはすぐに出ていってしまったロンシャオの鬼の形相を思い出し身震いする。


(ロンシャオはその間男に真剣勝負を願うでしょう………………殺傷事件に強い弁護士を手配した方がいいですかね……)


 これから起きてしまうかもしれない愛弟子であり愛息子の修羅場を思い描きキリキリと胃を傷ませながらリュタンはその場に蹲るのだった。

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