第10話 痕
「……ここは……?」
「……よかった。意識が戻ったんですね」
柱の下敷きになって気を失っていたヴィティが目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。傍にいたのは医者の男であり「あなたは酷い火傷を負って病院に運ばれたのです」と説明してくれた。そしてそのまま丸一日眠っていたのだという。
「ありがとうございま……いたっ……」
「動かないで。まだ傷が塞がり切っていないんです」
「傷……」
治療してくれた医者や看護師にお礼を言おうと体を起こそうとしただけで全身が鈍い痛みが走る。呻くヴィティに医者と看護師が慌てて駆け寄った。
「打撲自体は軽いもので骨にも異常はありませんでしたが……特殊な呪いを宿した炎によるダメージが深刻で……」
出来うる限りの処置はしたのですがと看護師は大きなの鏡を持ってヴィティを映す。
「……え……」
そこには全身が包帯だらけの女がいた。光沢のある絹のように美しかった長い髪は焼き焦げ短くなり、透明感のある白い肌には痛々しい火傷痕が無数に刻まれていた。
特に目立つのは柱に接触した顔で左半分がおどろおどろしい色に変色しているのを包帯で隠している有様であった。
「……知らない人みたい」
検診と治療が終わった後、まだ安静にしていてくださいと言われたヴィティは一人きりの病室で窓に映った自分を見つめる。その呟きはどこか他人事で薄ら寒い。
「……痕が残る可能性が高い……か……」
直接炎が触れなかった背中や足はともかく手や顔の火傷は元通りにならない可能性が高いと告げられ、ヴィティの脳裏にロンシャオの言葉が過る。
『う……う……美しいと思うが』
自分は美しく見えるかと訊ねた時ロンシャオは照れながらも褒めてくれた。気を使ってお世辞で褒めてくれただけかもしれないが凄く嬉しかったのをよく覚えている。
(顔も、髪も綺麗だって褒めてくれたのに……ボロボロになってしまったわ。こんな酷い姿……見られたくない)
体のいたるところに焼き付いた傷痕が熱が帯びてヴィティの体だけではなく心も蝕んでいく。
子ども達を助けた事に後悔はない。後悔はないが……悲しみと痛みはジクジクと増して気がつけば涙が流れていた。涙が肌を伝うと滲みて痛むが止めることが出来ずヴィティは泣きつかれて眠るまでずっと涙を流し続けたのだった。
❆❆❆
「……おねえさん……」
一週間ほど治療を受けているうちに火傷以外の怪我は少しずつ治っていった。ようやく歩けるようになりリハビリの軽い散歩が終わった後にベッドに横になっていると赤髪の少年がひょっこりと顔を半分だけ出しながら心配そうにヴィティを見つめていた。
「どうぞ」
「し、失礼……します……」
少年も火傷を追っているのか腕や足に包帯を巻いておりひょこひょこと歩行が覚束ない。腕にはヴィティがスられた白いポシェットを抱えておりベッドまで辿り着いた少年は頭を深々と下げながらそれを差し出した。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……盗んだ事も、僕のせいで大怪我した事も……」
「……他の子ども達は?」
「……軽い火傷くらいですぐ治るって」
「そう。ならよかった。……あなたが皆を護ったおかげね」
沢山泣いて多少の気持ちの整理がついたヴィティは今にも罪悪感で壊れてしまいそうな少年の頭を優しく撫でる。すると少年は堰を切ったように大粒の涙を流してごめんなさい、ごめんなさいと何度も謝った。
そんな少年をあやしながら焦げたポシェットを開いて中を確認すると焦げた本に財布にハンカチ、そして少し端が焼けているもののおおよその原型を留めている髪飾りが入っていた。それだけで泣きそうになるのをヴィティは堪え、そっとポシェットを閉じた。
「……もう人のものを盗んではだめよ」
「はい……絶対にしません」
「約束出来る?」
「うん。……あのあと火事の調査に来た騎士団の人に火事の原因と今までの盗みの事を話したんだ。沢山怒られたけどその時に同じ約束をしたら騎士団の人の親戚がやってる孤児院に行くことになったんだ。皆一緒に」
「そう。よかった」
それなら『組織』の人達も迂闊には手は出せないはずだ。気がかりの一つであった孤児達の行く末が明るいものになりヴィティは胸を撫で下ろす。
「おねえさんがいなかったら僕達は……生きてなかった。ありがとうございます。この御恩は一生忘れません。必ず返します」
「そうね……ならあなた達が大きくなって私と同じルミニュイ族の女性と会うことがあったら……出来れば優しくしてあげて。人里での生活に慣れていないだろうから」
「……うんっ。助けるよ! おねえさんが僕を助けてくれたみたいに!」
幼い子どもに「大人になってルミニュイ族の娘に誘われてその気になったら相手をしてあげてほしい」とは流石に頼めないので健全な方向性のお願いをすると子ども達はうん、うんと何度も頷いた。最後にありがとうと泣き笑顔で礼を言う少年の姿を見てヴィティは久しぶりに笑みを浮かべたのだった。
❆❆❆
「この度は国のイザコザに巻き込んでしまい申し訳ございませんでした」
少年と話をしてから数日後、帝国騎士団の団長であるタネリがヴィティを訪ねてきた。開口一番に謝罪をされヴィティはどう答えればいいか悩む。
「……怪我は私が危険を承知で無理をしたせい。あなたが謝らなくても」
「いいえ。スラムに住む孤児達はこちらでも改善すべき問題の一つでした。その解決先送りにしていた。ヘルトゥルタンに『組織』がのさばっているのも我々が不甲斐ない故です」
悔しそうに唇を噛み締めている姿は青臭く、清濁の『濁』を感じさせない。単なるカンではあるがまだ団長になってから日が経っていないのではないかとヴィティは思った。
「ヴィティさんはこれからどうされますか」
「……山に、帰るわ。山には氷の魔素と治癒の泉があるの。そこで療養した方が傷が早く治ると思う」
ここはヒト中心の病院で専門の医師が居るわけではない。傷を癒やすなら山で療養した方が効率がいいのだ。
「わかりました。では我々が責任を持ってお送りします」
「ええ。お願いするわ」
火傷の治療のため、山に帰る事を決めたヴィティだったが気にかかるのは当然ロンシャオの事だ。あと五日ほどで約束の日を迎えてしまう。
(山に帰る事をどうにか伝えないと。……でも大火傷した事を書いたら心配させてしまうわね。治るかも分からないし……なにより今の姿を見られるのは……)
ヴィティ自身、女として今の焼け爛れたグロテスクな姿をロンシャオに見せなくなかった。とはいえ遠路はるばる戻ってきてくれたロンシャオに何も言わずに去るのはもっと嫌だった。
「……知人に速達の手紙を送りたいのだけれど出来る?」
「もちろん。今は魔法も進歩して最新技術なら手紙くらいの質量をどれほど離れたところでも一日で届くものがあります」
「へえ。そうなの」
(ロンシャオに帰るから種をくれに来なくてもいい事を伝えないと。……どんな風に書けばいいのかしら)
どうしたものかと悩んでいると「何かお困りなら相談に乗りますよ」とタネリが親切に申し出てくれたためヴィティはそれに甘えることにした。
(性的な話題は知り合ったばかりの人間にはするなとロンシャオは言っていたわ。濁さないと)
書きたい手紙の内容をなるべく健全な話に置き換えながらヴィティはタネリに手紙の内容について相談する。
「その……実は作品を一緒に作ろうと約束していた人がいるの。でも相手が故郷に帰る事になって。戻ってきたらあらためて一緒に作ろうと約束してくれたのだけれど……今の私はこの状態だから……」
「作品の共同制作の話ですか。急な事情でスケジュールや予定が変更される事は私にも経験はあります」
「その知人は久しぶりの里帰りなの。正直に怪我をしたから作品の制作を中止にしたいと伝えたら心配して遠方から駆けつけてきそうで。どうしたらいいのかしら」
「そうですね……その作品はその相手としか作れないものなのですか?」
「……いえ。他の人とも作れるけれど……」
仮定とはいえ想像したくはないが子作りそのものはロンシャオとでなくとも出来る。なので頷くとタネリはそれなら、と頭を悩ませつつも自分の考えを口にしていく。
「そうですか……ちなみに作品を作ろうと提案したのはどちらから?」
「私よ。その人は最初乗り気じゃなかったけどあなたと作品が作りたいと説得したの」
「ヴィティさんからの提案……ふむ。私でしたらまず慌てて戻って来ずに家族と水入らずに過ごしてほしいと伝えますかね。実際に作品を作るかは別として相手が『自分のせいで作品の制作を中断させている』と思っている負い目を減らしたいので」
「……なるほど」
「その上で他の協力者を得られたから作品の事は気にするなと書くのもいいかもしれません。 相手方の性格によってはトラブルになるかもしれませんが」
「他の協力者……その考えは盲点だったわ。そうよね。何も真実だけを書く必要はないのだし……」
(私が最初にねだったから種をやると約束してくれた。だけど彼の国では恋人同士……いえ、夫婦と性行為をするのが一般的だと言っていたわ。でも私達は夫婦じゃない。彼の善意は嬉しいけれど……こんな見苦しい顔と体を抱いてもらうのは申し訳ないし……そもそも興奮出来ないんじゃないかしら)
考えれば考えるほどロンシャオに距離的にも心境的にも無理を重ねさせてしまうと思ったヴィティは嘘を書いてでも彼の種を貰うのを断念する事に決めた。
こうしてヴィティは『子作り』を『作品制作』に置き換えてタネリに相談をしたために『他の人から種を貰うので約束は気にしなくていいよ』といった旨の内容が書かれたロンシャオにとって超特大級の地雷爆弾的手紙を超速達便で送ってしまうのだった。
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