第6話 初めての逢引き

「私、あなたと逢引き……デートとやらをしてみたいわ」

「……そうきたか」


 ロンシャオの元に来訪するようになってからそれなりの回数を重ねたヴィティは相変わらずの無表情で逢引きの誘いを切り出した。


 ヴィティの突発的な提案にロンシャオは驚きはするものの初対面の『種』発言に比べれば健全なものであったため比較的心中は穏やかであった。


 ……もっとも修行第一でこれまでデートのデの字も経験してこなかったロンシャオにとっては十分ハードルが高いのだが。


「行きたい場所でもあるのか」

「特には。一緒に外を歩いたら楽しそうだと思って」

「……そうか」


 部屋の窓からヘルトゥルタンの街並みを指を差しながら振り向くヴィティにロンシャオはまるで子どものようだ、と微笑ましく思う。けれど同時に自分を見つめる白縹の瞳は無垢なだけではない。大人の女としての艶と色香を宿していた。


「分かった」

「いいの?」

「……お前さえよければ」

「ええ。嬉しい」


 ほんの些細な事でヴィティは氷のような無表情をほころばせる。


 それが自分の前だけで見せる表情だとしたら───、とロンシャオは無意識に考えてしまった事にまた驚く。


「せっかくだし待ち合わせもしましょう」

「待ち合わせ? 俺の部屋ではなく?」

「ええ。だってデートですもの」


 としたり顔で言うもののヴィティもデートがどういうものであるのかは本で得た知識しかない。ごっこ遊びのようなものだ。


(……デートしてもいいくらいの仲になったのかしら……?)


 ロンシャオは人間の事に疎いヴィティに恋愛含め色々教えてくれている。その事を喜ばしく思いながらも人間の事を少しずつ学ぶにつれて別の想いも生まれていた。


 今の私達はどういう関係なのだろうか、彼は私の事を好いてくれているのだろうか、と。


 好意が数値として見られればいいのにと情緒のない事を思いながらヴィティは初めてのデートの待ち合わせ場所と時間をロンシャオと一緒に決めるのだった。


 ❆❆❆


(流石にまだいないわよね。我ながら浮かれているわ……)


 記念すべき初デートの当日。早めに来すぎた待ち合わせ場所でキョロキョロと周囲を見渡しながらヴィティは目印である像の前に立つ。大きな白鳥の像は観光客や恋人達の人気スポットでありよく待ち合わせ場所にされているとパンフレットに紹介されていたのでそこに決めたのだ。


 観光客に恋人、友人、仕事なのか忙しなく走る人。様々な人々が白い息を吐きながら活動するなかでその真似するように息を吐くがそれが白に染まることはない。むしろ周囲の気温がほんの少しだけ下がってしまう。


(ちょっとだけ……寂しいわね)


 ちょっとしたヒトとの体の構造の違いにアンニュイな気持ちになりながらヴィティはもうすぐやって来るであろうロンシャオを待ちわびる。


 今の彼女はルミニュイ族の服ではなくヘルトゥルタンの人々が着るような暖かそうな服を身に纏っている。色もいつもの白ではなく暖色系のモダンなデザインのもので服屋の店員にこれが今年の流行なんですよと勧められたので購入したのだ。帽子やブーツもモコモコとした生地を使っていて丸いポンポンが飾りとしてついている。


 そんな今風な装いの彼女に周囲の人間達はチラチラと視線をやるが浮かれきっているヴィティは全く気づいていない。


(……まだかしら)


 待ち合わせ時間まではまだ少しある。けれどヴィティは待ちきれないとばかりにそわそわしてしまう。


 そわそわした気持ちを逸らせながら早くロンシャオが来ないかなと考えながら像の前を行ったり来たりしているとトン、と近くにいた人とぶつかってしまう。


「おっと、すまない」

「……あら。こちらこそごめんなさい。考え事をしていたものだから……あ」

「……君は……っ……」

「……あなたは…………」


 既視感のあるやりとりと聞き覚えのある声にもしやと振り向くとそこには金髪碧眼の、見覚えのある美青年が立っていた。


 完全にオフなのか道着を身につけておらず高そうなブランド物のお洒落な服を着たダードックにヴィティは初めてのデートで舞い上がっていた気持ちが少し萎む。


 また変な絡み方をされたら困るな、攻撃するにも人目があるしとダーティな事を考えていると。


「あの時はごめん!」

「……え?」


 意外にも深々と頭を下げられパチクリと瞳を瞬かせる。


「あの後頭冷やしたんだ。最初に断られた時点で引き下がるべきだったのに強引に迫ってごめんよ」

「……はあ」


 また強引に迫られるのではないかと身構えたヴィティに対しダードックは本当に申し訳ないと再度謝罪の言葉を口にした。


「僕はここの出身でさ。ルミニュイ族の事は知ってたしたまに街で見かけて……初恋もルミニュイ族の女性だった。その時はまだ子どもだったから『大人になったらね』って相手にされなかったけど……」


(……妙に熱心に見られたと思ったけど……なるほど)


 初恋という概念をヴィティは理解しきれていないがそれでもそれが基本的に良いものであると描写される事は知っている。時には心の傷や執着として変貌してしまう事も。 


「武闘家になって大人になる前に師匠と一緒にヘルトゥルタンから離れて……修行の過程でロンシャオとも知り合ったんだけどさ。……これは陰口でも何でもない事実なんだけど……あいつは化け物だった。歳も背格好も近いから大会では鉢合わせになる事も多いけど一度だって勝てたことはない」


 悔しそうに拳を握るダードックはヴィティのイメージする軽薄で強引で女好きではなく硬派な武人であると錯覚しそうになる。


(……そういう面もあるのかも。第一印象が悪すぎただけなのかもしれない。私はこの人の事、ほとんど知らないし)


「……そうは見えないかもしれないけど僕なりにずっとキツイ修行に取り組んでたんだ。前の自分よりもずっと強くなれた、故郷では絶対にあいつには負けないって気合いれてたのに……結果は瞬殺。不貞腐れてたところに君を見て驚いたよ。初恋の人にソックリだったから」


 そう言いながら顔を上げてヴィティに向ける視線はあの時と違って欲の含むものではなく過去の思い出を懐かしむ郷愁が滲んでいた。


(……ダードックが子ども頃に会ったルミニュイ族が私にそっくり……まさかお母さんだったりするのかしら)


 母とダードックの年齢的にありえない話ではない。何にせよ勝手に叶わなかった初恋相手に重ねられても困るのだけれどとヴィティは少し冷めた目でダードックを見つめる。


「でも君が誘いたいのはロンシャオだって言われて嫉妬した。力だけじゃなく男としても負けたなんて認めたくなかった。しつこく君に迫って……最低だった…………本当にごめん……!」


 それはきっと心からの謝罪であるとヴィティ自身も感じていた。だとしてもあの時抱いた不快感は消えてはくれないしせっかくのデートの前で嫌なことを思い出させないでほしいとすら思う。


 とはいえ反省はしているようだし結果的にロンシャオに助けてもらう形で出会えたのだから結果オーライかとヴィティはサックリとダードックを許すことにした。


「そう。あなたの気持ちはわかった。もう頭を上げていいわ」

「……いいのかい?」

「ええ。あなたはロンシャオに感謝した方がいい。彼が割って入ってくれなかったら私はあなたの股間を蹴り上げるか氷像にしてやろうって思ってたから」

「ひえっ……綺麗な顔しておっかないな。でもそういうところも……」


 ヴィティの抑揚のない声と冷たい眼差しから本気で自分に攻撃しようとしていたのだと悟ったダードックはブルリと震えながらも頬をほんのりと赤く染める。


 その様子にあら、イジメられるのが好きな人なのかしらとヴィティがちょっと引いていると……。


「……おい。何をしている」

「ぎゃあ!? ロンシャオぉ!?」


 まだ待ち合わせ時間の一時間前だというのにやって来たロンシャオがポンとダードックの肩に手を置く。仕草だけならば気安いがその眼光は鋭く目が据わっている。


「待たせたな。……またこのバカに何かされたか」

「いいえ。この前の事を謝罪をされたから許したところ」

「……その割には性懲りもなく口説こうとしているようだったが」


 地を這うような低い声を発しながらググッと少しずつ肩を掴む指に力を籠めるロンシャオにダードックはアババババと奇声を上げながら呻く。


「こ、好みな女の子を口説くのは僕のアイデンティティなんだよ! 今回は指一本触れてないから!」

「……俗物め」


 知人(一応)の悪癖に呆れ、悪態をつくロンシャオはヴィティからすると珍しい。


 基本的に彼はヴィティに対してなんだかんだ優しいためこういう刺々しい態度を取ることはなかった。


「まあ否定はしないけど……まだいたんだな。いつも観光もせず必要最低限しか日数申請しないだろ。延長したのか?」

「……そうなの?」


 二人のやり取りを眺めていたところロンシャオが話していたのと内容と違う話が飛び出しヴィティはそうなのかとロンシャオを見上げる。


(確か恋について教えてほしいって頼んだ時は滞在期間はまだあるからその間ならいいって話だったような……)


 どうなのかとジッとロンシャオを見つめると彼はダードックを睨み分かりやすく舌打ちをする。


「……余計な事を……」

「てっきりさっさとヘルトゥルタンから離れて山籠りか滝にでも打たれてるんだと思ってたんだけど。お前がそんな洒落た服着て待ち合わせとか……まさかデート?」

「……だとしたらなんだ」

「……へ?まじで? あれだけ沢山言い寄られても袖にし続けたのに……そんなにヴィティちゃんは凄かったのか……」


 へー、とダードックは感心するようにヴィティとロンシャオを交互に見る。妙に含みのある言い方にヴィティは首を傾げ、ロンシャオは言葉の裏にあるセクハラ的下世話な揶揄に気づき不愉快そうにギロリと睨む。


「……おい。その不愉快な視線を向けるな。違う」

「あれ、噛ませ犬の俺を追い払った後に速攻でイチャイチャして盛り上がったんじゃ」

「い、イチャイチャなんてしていない。自分で噛ませ犬とか言うくらいなら言動と行動を改めろ」

「えー、でも助けた後ヴィティちゃんに誘われたんでしょ?」

「……初対面の女とそういう事をする気はないと断った」

「はぁ!? 据え膳ってレベルじゃねー!? もったいなっ!」


 俺だったら即、と公共の場では相応しくない言動が続けられる前にロンシャオの見事なヘッドロックによって中断される。


「ぐえっ…………え、まじで手出されてないのヴィティちゃん」

「ええ。でももう手は繋いだわ」

「……ええ…………」


 誇らしげに耳を動かしながらピュアな報告をするヴィティにダードックは信じられないものを見る眼差しでロンシャオを見る。


「お、俺は貴様のようにふしだらな不純異性交遊はしないだけだ……!」

「不純異性交遊って……ガキじゃあるまいし……」

「今日が初デートなの」

「わあ……あの鬼神、武神、天下無双、生体兵器と物騒な呼び名で恐れられているロンシャオがゆるふわピュアな恋愛を……」

「……よし分かった。貴様はこのまま首を圧し折られたいんだな? 一瞬でカタをつけてやろう」

「え、待って力込めないでしぬしぬしんじゃうからからかってごめんなさい僕が悪かったですだから本当に止め……ぎゃー!!」


 それからダードックは本日二度目のガチ謝罪を繰り広げた後、気持ち悪い動きで拘束から逃れ目にも止まらぬ速さでその場から逃走したのだった。


 ❆❆❆


「……相変わらず逃げるのが上手い」

「愉快な人ね」

「……嫌ではなかったか?」

「今は別に」

「そうか……まあアレの事はいいか。それで……」


 ロンシャオが改めてヴィティと向き合うと帽子の天辺からブーツの底まで見下ろして、それから何か言おうとしては口を閉じる。


「どうしたの? ……デートだからいつものルミニュイ族の衣装じゃない服装にしてみたのだけれど。変かしら」


 いつもと違うテイストの服装を見られているのを感じ何か変なところはないか、浮いていないか訊ねるとロンシャオは閉じている口を開いた。


「いや……その……変ではない」

「ならよかった」


 服屋の店員に選んでもらったのだから変なことにはなっていないとは思うのだがロンシャオの好みから外れたものだと困る。内心焦りながら返答を聞いてようやくヴィティは胸を撫で下ろした。


 それから改めてロンシャオの余所行き用らしい服を見つめる。ロンシャオも故郷の服ではなくヘルトゥルタンに溶け込むような雪国の洋装を身に纏っている。


 暖色系のヴィティとは異なる黒中心の配色に風で翻るロングコートとズボンに無骨ながらも大人びた男らしさがある。長い髪を括る紐も服に合わせてか細いリボンに変えており品のいい執事のようだった。


 ヴィティの知らない、ロンシャオの新しい一面に瞳をキラリと輝かせる。


「そういう服もとても似合っているわね。素敵。街並みよりもあなたを見つめてしまいそう」

「……っ……また何でもない事のようにそういう恥ずかしいセリフを……」


 思った事をそのまま口に出して褒めるヴィティにロンシャオは頬を赤らめながら顔を逸らそうとして、寸前のところで止める。


「…………似合っている」

「え?」


 緋色の瞳をぎこちなく向けたまま意を決したように彼は彼女の服装について触れる。


「その服はお前によく似合っている。……綺麗だ」

「ありがとう。綺麗な服よねこれ」

「……いや、服ではなく………………」

「?」

「……お、お前が…………………くそっ、こんな小っ恥ずかしいセリフ素面で言えるか!」


 勇気を出してキザなセリフを吐こうとするロンシャオであるが先に純情ゲージがマックスになり最後まで言い切ることが出来ない。それでもヴィティには確かに伝わったようで彼女の長い睫毛がパシパシと動く。


「……ここで過ごして、それなりの人達と話してきたけど。一つ分かった事があるわ」

「……何をだ」

「あなたってとっても照れ屋よね」

「……っ……お前が動じなさすぎるだけだ」


 からかうヴィティにロンシャオは反論しながら二人は歩き始める。


 いつもよりお洒落な格好をして、一人ではなく二人で並んで歩く、ただそれだけのささやかなデート。


 もし仮にダードックが見ていたならば子ども同士のデートだってもう少し凝った事をするよ、と言われてしまいそうな単純なもので。


 五十センチ以上の身長差があり歩幅だって全然違う二人であるが二つの影は寄り添うようにゆっくりと同じ速度で歩く。


(手を繋ぐのは……外だと止めた方がいいかしら。私の手は冷たいし)


 何冊か購入した恋愛小説や漫画には恋人同士のデート中に手を繋いで登場人物達が胸を高鳴らせながら歩くシーンがあった。それをやってみたいと彼女は密かに思う。


 しかしヴィティの手は寒空の下で触れるにはヒンヤリとしすぎている。せめて手袋でも身につけてくればよかったかしらと自身の手のひらをジッと見つめていると、


「どうした。手が冷えるか」

「え? いえ、そういう訳じゃ、」


 ないわと言い切るよりも早くロンシャオの手が先に彼女の手を包み込んだ。革手袋の感触と革からじんわりと伝わる手の体温にヴィティの鼓動は少し早まる。


「……これではあなたの手が冷えてしまわない?」

「この程度問題ない。俺は鍛えているからな」

「……そう。じゃあ、もう少しこのままで……」

「……分かった」


 それから二人はヘルトゥルタンの街並みをゆったりと歩いていく。時々立ち止まって露店を眺め、また歩くのを再開する。


 そんなありふれた逢引きをしている間、二人の手が離れる事はなかったのだった。

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