第5話 かるちゃー・しょっく
「また来たわ」
「……そうか」
一昨日は握手という健全なコミュニケーションから妙な雰囲気になり解散したもののヴィティは切り替えの早い女だった。
一日のクールタイムを経ていつも通りの無表情でロンシャオの泊まるホテルにやって来た。
我が道を行くヴィティに対しまだあの空気を引きずるロンシャオはぎこちなく頷きながら部屋に招き入れる。
「……そう何度も俺のような遊びのない男を訪ねてもつまらないと思うが」
「そんな事ないわ。ここに来るまでの間少し歩くだけでも見たことのないものが沢山見られて楽しいわ。この部屋だって綺麗だし。何よりあなたがいるもの」
「……そういえば普段は雪山で暮らしているんだったか。なら出店を見るだけでも新鮮で……」
「そうね。毎日が新発見……あら。それって私達の本?」
「あっ……」
ロンシャオの言葉を聞いている最中、ソファの上のクッションとその下に隠すように置かれた本が見えた。それがなんとなく気になってクッションをずらすと『ヘルトゥルタンの雪山に住む雪乙女、ルミニュイ族』と書かれた本が置いてあった。
題名からしてルミニュイ族について書かれているのは明らかであり直前まで読んでいたがヴィティが突然やってきたので咄嗟にクッションで隠したのだろうと彼女は推測した。
「それは……その……」
「私達の事を知ろうとしてくれたの?」
「……第三者の見識も必要だろう」
「あなたのそういう歩み寄ろうとしてくれるところ、好きよ」
出会ったばかりの余所者、それもロンシャオにとっては非常識な要求をしてきた自分に対し戸惑いながらも理解を深めようとしてくれる彼の姿勢にヴィティはホワホワと胸があたたかくなる。
基本に感情を表に出さない彼女だがその瞳には感謝と喜びの念が込められており喜んでいた。
そんな素直な反応をされるとむず痒く感じるのかロンシャオは「……簡単に好きとか言うんじゃない」とそっけなく返すもののヴィティの真っ直ぐな『好き』という好意に動揺して態度と言葉に反して耳が赤くなっている。
「読んでもいい?」
「好きにしろ」
許可が得られたのでヴィティはパラパラとルミニュイ族について書かれた本を読む。よく調査がされているのか少しのズレはあるものの概ね正しい記載がされていた。
「人間にとって私達の外見は美しく見えるらしいわね」
「……らしいな」
もう既に一度は目を通したのかロンシャオは頷きながらソファに座る。お前も座って読んだらどうだと言われたヴィティは少し悩んだ後そうね、と言ってロンシャオに近づくと、
「失礼するわ」
大きなソファにも関わらずピタリとくっつくように彼の隣に座る。
「なっ、失礼しすぎだっ。そんなにくっつかなくても十分なスペースがあるだろうが」
「駄目?」
ヴィティはこてんと首を傾げながら上目遣いでロンシャオを見つめる。
どういう状況なんだこれは……、と口籠るもののロンシャオが嫌だとか離れろと直接的な否定の言葉を言わないのをいい事にヴィティはそのまま本を読み進める。
「……あなたにとって私はどう映るのかしら?」
「……何の話だ」
「美しい?」
「…………見た目に反して図々しいとは思うが」
「見た目そのものは?」
「……」
人間が書いた本の中でルミニュイ族は美しい見た目をしているものが多いという記述を読みヴィティは思った。果たして私は美しいのか、と。
母や妹分は自分を褒めてくれるが身内贔屓が含まれている。かといってダードックのような誰彼かまわず褒めていそうな女好きな男の意見を鵜呑みにするのは良くない。
そもそもヴィティはロンシャオに好かれたい。だからロンシャオにとって自分はどう映っているのかが重要だった。
なので自分の見た目についてサラッと訊ねるがロンシャオはあからさまに視線を逸し黙っている。
「あ、私はあなたの事をカッコいいと思っているわ。背が高くて、逞しくて、髪も綺麗で顔の作りも整っていて。初めて見た時見惚れてしまったくらいに素敵」
心の内を出すのを躊躇うロンシャオに対しヴィティはどこまでも素直で思ったままの考えをそのままクールに出力する。
するとロンシャオは無言で赤くなった顔を見られないようソファの端っこに移動するが何故移動したのか察していないヴィティは追いかけるように同じ分だけ動く。
「……? 今どうして移動したの?」
「うるさい」
ヴィティはロンシャオの謎の挙動に疑問をぶつけるが彼は頑なに答えようとしない。なので彼女は続けて自分が思っている気持ちをロンシャオにぶつける。
「もちろん見た目だけじゃないわ。口ではぶっきらぼうだけど私を異物としてではなく理解しようと対話してくれるところも、しつこいナンパに困っていたら助けてくれる面倒見の良さも、こうして突然押しかけてもなんだかんだ受け入れてくれる寛容さも好ましいと……」
「や、やめろっ! 恥ずかしい事を矢継ぎ早に話すな!」
ロンシャオはヴィティの止まらない褒め殺しに耐えきれなくなり待ったをかける。しかしヴィティは何故止められたのか、何故思っている事を口にしたら『恥ずかしい事』になるのかよく理解出来ていない様子でキョトンとしていた。
そんなヴィティに自分ばかりが羞恥で悶絶している状況であることをあらためて思い知り大きく溜め息をつく。
「……いと思うが」
「え? ごめんなさい。よく聞こえないわ。もう少し大きな声で言ってもらえるかしら」
溜め息の後に聞こえた声はとてもか細い。
耳が良いヴィティでも全ての言葉を把握する事が出来なかった。そのためもう一度言ってほしいと頼むとロンシャオはギュッと瞼を強く閉じてから視線だけをヴィティに向ける。
「う……う……美しいと思うが」
「ほんとう?」
「俺は嘘や世辞は嫌いだ。……だが勘違いするな。あくまで自分の普遍的な価値観から判断した評価であって深い意味はない」
「そう」
ヴィティは彼の言葉を言われた通り額面通りに受け止め、頷く。しかし見た目を褒められた事自体は嬉しいのか耳先がはしゃぐ犬の尻尾のようにピコピコと動く。
ゴキゲンなヴィティがロンシャオを見つめると彼女が予測した通りフイッとそっぽを向かれて鮮やかな赤紐と漆黒の髪が揺れる。
「……そういえばあなたは髪を随分伸ばしているけれど長いのが好きなの?」
「これは願掛けだ。……世界最強の男になるまでは切らないと決めたんだ」
「その願いは叶ったようだけど……切るの?」
「そうだな。願掛けとはそういうものだ」
別にこだわりもない、短くするつもりだと話すロンシャオに「え、もったいないわ。せっかく綺麗な髪なのに」と言いそうになるのをグッと堪える。
長い髪は手入れが大変であることは彼女自身よく知っていた。
それに目標を達成するまでは切らないと決めて、その目標を果たしたのだから部外者である自分が口出すのはよくないと思ったのだ。
(……もしかしたらロンシャオは髪が短い方が好きだったりするのかしら)
ルミニュイ族の髪型のスタンダードはロングストレートなため深く考えず自分もそれに倣っているが別に拘りがあるわけではない。
短い髪型の知り合いもゼロではないし気分転換に切ってみようかと思い、綺麗に真っ直ぐに整えられている毛先を指で軽く弄りながら独り言のように呟いた。
「私もバッサリ切ろうかしら」
「なっ」
「まだ街を回りきれていなくて。いい店知っているかしら」
「……」
「……ロンシャオ?」
ヴィティは世間話のつもりで床屋の場所を聞いてみる。しかしロンシャオはそのなんてことのない問いを答えず押し黙ってしまう。
「……どうしたの?」
「いや、なんでも……ない」
「……?」
なんでもないとは言うものの何か言いたげな様子であるのは明らかであった。どうしたのだろうと首を傾げると彼女の絹のように光沢のある白髪がサラリと揺れ、ロンシャオの視線が吸い寄せられるように移動した。
言葉を詰まらせてどこか焦るような表情と今の視線の動き方。どちらかというと人の感情の機微に鈍感な方のヴィティだがもしやと一つの可能性が浮かび上がる。
「……髪、長い方が好きなの?」
「お前の髪なのだから俺がとやかく言う権利はない」
単に好きかどうか訊ねているだけなのにロンシャオの返答はやけに食い気味で何かを隠しているような、焦っているような口ぶりだった。ヴィティはそれが気になって再度訊ねる。
「長い方が好き? 切らない方がいいの?」
「……いや、切りたいなら切ればいいだろう」
「ロンシャオが長い髪の方が好きならこのままにしておくけれど」
「……」
ヴィティの言葉にロンシャオは再び押し黙る。その反応はやはりおかしいと彼女は彼の顔を下から覗き込むように窺うと。
「ロンシャオ?」
「…………そのままでお願いします……」
(……まあ。敬語になったわ)
長い沈黙の末にロンシャオは己の心の内の、ほんの一部を曝け出した。どちらかというと無愛想で無骨な言葉遣いのロンシャオの口調の変化にヴィティは彼なりの葛藤と躊躇い、そしてそれを上回る欲求を感じ取った。
「分かったわ。そこまで切りたいわけでもないし」
「……そうか」
自分の意見が通った事による安堵と自分の趣味を強要させてしまったのではないかという葛藤が絶妙にブレンドされた『そうか』の一言にヴィティは思わず微笑を浮かべる。
「ふふ。あなたの『好き』を一つ知ることが出来たわね」
「……お前だって俺に髪を切ってほしくないんじゃないか。さっき切ると言った途端僅かに眉と耳先が下がっていたぞ」
「…………あら。分かってしまったのね」
微笑を纏うヴィティを見たロンシャオはムッとした、拗ねたようなぶっきらぼうな声で痛いところを指摘する。
ただし彼女は素直なのでその指摘をアッサリと認め、頷く。
「私、あなたのその尻尾みたいに揺れる髪が好きなの。艶々した長い黒髪が大好き」
「……っ……くそっ……無敵か……!」
「ヒトよりは多少頑丈だけど無敵というほどではないわよ?」
「物理耐性の話ではない。精神性の話だ。……お前の言動は色んな意味で質が悪い」
「……そういえば『お主は良くも悪くも歯に衣着せぬ言動をしすぎる』と雪長様から言われた事があるわね。改めた方がいいかしら」
「……いや、いいんじゃないか。それが美点でもある」
「私の言動が好ましいということ?」
「嘘だらけの賛辞や陰口よりはずっといい。……心臓には悪いが」
出会った時から真っ直ぐで素直すぎるヴィティの言動に現在進行系で振り回されているロンシャオであるが決して嫌ではなかった。
むしろ過敏に反応してしまい、いちいち動揺してしまう自分の精神の未熟さを不甲斐ないと思っていた。
「他に好きなところはある?」
「よく聞けるな。そんな恥ずかしい事」
「だって私はあなたじゃないから。言ってもらわないと分からないもの」
「正論と言えば正論か。……と言ってもな……」
「背は? 私はあまり高い方ではないけれど」
「身長は気にしない。大体の人間は俺より低いからな。誤差だ」
「あなた、背が凄く高いものね。体型は? 好み?」
「……何言っても生々しい事になるだろうその問いは。答えにくい事を聞くな」
「男の人って胸が大きい女性が好きとよく聞くけれどどうなの?」
「……黙秘する」
「そう。私はあまり大きくないから巨乳至上主義でないといいのだけれど」
「お前な……っ……!?」
そういう性的な話題を振るなとロンシャオがストップを掛けようと隣に座るヴィティに視線をやった瞬間、丁度ヴィティが脚を組み直しており彼女の服の裾が少し捲れ細い腿が一部が露わになる。
ヴィティは踝丈の靴下に短いブーツと服の裾の他に脚を覆うものはないため膝から脹脛の終わりまで陶器のように白くほっそりとした生脚が剥き出しになっておりとても雪国にいる若い娘の格好ではなかった。
それがソファに座り脚を組むことで太ももまで少し見え隠れしているものだから実は胸より脚派のロンシャオの心中はちょっぴり乱れ始める。
「……前から思っていたんだが……そんな格好で寒くないのか」
「別に。ここは私達の住処よりもずっと暖かいもの。ルミニュイ族は冷気耐性も高いし」
「……だとしてもそういう……脚が剥き出しな格好はやめた方がいい。布で覆っていれば防げる怪我もあるだろう。それに……ヘルトゥルタンは風が吹き荒れる場所だ。だからその……その丈だと……下着が、だな……」
見えてしまうかもしれないと言い切るよりも先にロンシャオの羞恥心が限界を向かえた。ごにょごにょと語尾が不明瞭となり頬どころか顔全体が赤く染まっている。
そんなロンシャオにヴィティは彼の忠告をなるほどと受け止めるのだが……。
「なるほど。寒さに強いからって素肌を出すのはよくないと」
「あ、ああ」
「あとは……えっと、下着って確か人間が服の下に身につけるものよね」
「……そうだが」
「それなら心配ないわ。私達に下着を身に着ける文化はないから」
「──は?」
男の俺がなんでこんな指摘をしなければならないのかと気恥ずかしくて精神ダメージを受けているロンシャオの頭が真っ白になる爆弾発言をヴィティはぶち撒ける。
「え、まっ、は……?」
「人間の文化に興味があって身につけている子もいたけど基本的に皆着けないわ」
「……ま、待て。待て待て待て待てえ! じゃ、じゃあおまっ、お前その下は……っ……」
今までも文化や考え方が違いすぎると頭を悩ませていたロンシャオだが今回のカミングアウトは衝撃的すぎる内容であった。
本ではそういった生々しい生活習慣の内容は書かれていなかったために予想外の事実にパニック状態になっていく。
「このポンチョと長袖のローブの下は何も着けてないけど……下着って人里では着けないといけないものなの?」
ルミニュイ族に下着という概念はない。
極寒の雪山では布そのものが貴重である事、肌そのものが強い事、月経そのものがなく適齢期となったらいつでも孕める体である事などその他諸々の要因により下着文化が発展しなかったのだ。
男と対面する=性行為=服を脱ぐという事もあって下着を着けていないと異性の雄に伝える事がどれだけ危うい事なのか少しも理解していないのである。
「……」
「ロンシャオ? 急に立ち上がってどうしたの?」
ロンシャオは勢いよくソファから立ち上がりスタスタと早足で部屋のクローゼットに向かい戸を開く。力任せに開いたせいでバギっと嫌な音がしたものの構うことなく外出用の外套をハンガーから外してヴィティに放り投げた。
「着ろ。今すぐに」
「え? 寒くないわよ?」
「いいから着ろ。あとボタンは全部閉じろ」
「まあいいけれど……ほら、サイズが合わないわ。ブカブカ……」
ロンシャオにとっては小さめサイズの外套だが小柄なヴィティにとっては足首まですっぽりと覆われてしまうビックサイズな代物であり当然腕の長さも合わない。袖から手も出せない外套を着させられヴィティの頭の中はハテナマークで溢れていく。
「……あ……でもなんだかとてもいい匂いがするわ。そういえば本でいい香りがする人とは遺伝子から相性がいいって書いてあったような……」
「嗅ぐなっ!単なる消臭剤の匂いだっ! 変な知識ばかり身につけやがって!」
自分の外套に身を包みながら無自覚に色香を出してくるヴィティに八つ当たり気味のツッコミしながらゼエハアと浅い呼吸を繰り返すロンシャオ。彼は色んな意味でいっぱいいっぱいであった。
「それはやる。だから帰る時もぜっっったいにそれを着たまま帰れ! 来る時もだ! 嫌だったら自分に合ったサイズの外套やズボンでも買って着ろ! いいな!?」
「わ、分かったわ」
強豪との試合中でも汗一つ流さなず涼しい顔をしていたロンシャオが冷や汗を掻きながら言い放った命令……もといお願いにマイペースなヴィティでもどうしてなのか聞けずコクコクと頷く事しか出来なくなってしまったのだった。
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