第3話 不意の約束
「……すまない。念の為もう一度言ってもらえるか」
「あなたの種が欲しいの」
「…………あー……俺はヒノモト……ヘルトゥルタンから離れた東国から旅している身でな。この辺りに来たのは初めてなんだ。だからこちらの言葉を完璧に習得しているわけではない。……種とはどういう意味だ? なんかしらの暗喩か?」
ヴィティの願いを理解しようと律儀に、生真面目に訊ねるロンシャオであるがそれは悪手である。何故ならヴィティは──。
「ああ、ごめんなさい。種という表現は少し分かりづらかったかしら」
「そうだな。分かりやすい表現をしてくれると助かる」
「わかったわ。じゃあ……あなたの精子が欲しいの」
「…………………は?」
「精液、ザー○ン……もっと直球で言うのなら私、あなたとセッ○スしたいの」
羞恥心のないドストレートな女だからだ。普通の人間であるならば避ける直接的な表現もヴィティには出来てしまう。
それはルミニュイ族が男がいない種族であり自分達だけでは数を増やせない故に性教育に熱心で性行為を秘匿すべきもの、恥ずかしいものを思わないよう教育している事に加えヴィティ自身が裏表のない素直すぎる性格が合わさった結果である。
一応人間社会の常識も多少は学んではいるため大勢の前でそういった類の言動はしないよう努めていたが今は自分とロンシャオしかいないので直球ストレートな誘い文句が出力されてしまっているのだ。
「………は、え……?」
さきほどダードックが話していた通りロンシャオは女にモテた。真面目で強く逞しく、背が高くて顔がいい若い男となればうら若き娘達の心を動かすには十分であり各国を転々と旅しながらその国の大会で優勝する度に彼に目をつけた女性から食事やそういう目的の宿泊施設に誘われる事はそれなりに経験している。
女遊びをする時間があるなら己の研鑽に費やしたかった彼はその全てを断っていたがここまで正面切って床に誘われるのは初めての経験で困惑と恐怖でたじろぐ。
「ああ、別に恋人や夫婦とやらになりたいわけではないの。子育ては一族皆でするから。認知しなくてもいい。父親になれなんて言わないわ」
その様子を見てヴィティは何か勘違いさせているのではないかと最優先に伝えるべき事を淡々と、冷静に伝える。秘めるべきセンシティブな事柄を何でもないことのように連連と宣う娘にロンシャオはまるで別の生き物を見るかのように後退りした。
「なにを……?」
「種だけちょうだい。胎に出すだけでいいわ」
「──。」
そう言いながら下腹部を撫でるヴィティにロンシャオは絶句する。
ヴィティがルミニュイ族だと言う事はダードックとヴィティの会話を一部聞いているから知っている。しかしロンシャオは彼女の一族についても、彼女達のしきたりも一切知らない。だからこそ意味が分からなかった。彼女の言動の全てが。
「しょ、初対面の人間に何を言っているんだお前はー!?」
目の前の娘の話を黙って聞いていると頭がおかしくなりそうだと感じたロンシャオはたまらず大きな声で叫ぶ。幸い建物内にはもうほとんど人はおらず叫んでも騒ぎにはならなかったが静かだからこそよく通る声にヴィティはやっぱり鍛えている人って声量もあるんだなとズレた感心する。
「……? 初対面の人に交渉するのは当たり前の事だと思うのだけれど」
「交渉……?」
「昔は今よりも制約が緩かったから好みの男を寝込みを襲って無理矢理、とか戦争で捕えた捕虜を種男として飼ったりとかそういうケースもあったらしいけど……平和になっていく世にそれは野蛮だからってヘルトゥルタンの法律で規制されてね。きちんと合意を取る必要があるの」
「……な、なんの話をしているんだ……?」
「ルミニュイ族が昔好き勝手しちゃったから『性行為は同意の上でしましょう』ってヘルトゥルタンの偉い人に怒られた話だけど」
「そ、それは当たり前だとは思うが……」
「ええ。私もそう思うわ。だから同意を得たいの。どうかしら」
「……俺はルミニュイ族についてさっぱり知らん。知らんが……ルミニュイ族とやらは初対面のよく知りもしない相手と寝たがる一族なのか」
「そうだけど。何か問題があるのかしら」
ロンシャオは世界各国を旅をしてきた。その過程で様々な経験をしてきたと自負している。自国とは異なる文化に触れる事は数多くあった。中には信じがたい、受け入れ難い文化や考えもあったが……目の前に立っている娘が限りなく人に近いからこそ、その言動は受け入れ難かった。
「……もしかして俺は邪魔をしてしまったか」
「ダードックの事?」
「ああ。あいつはお前達について知っていたんだろう?」
ロンシャオにとってダードックは歳が近く何度か大会でかち合い、それなりに話した事はある間柄であった。友とまではいかないがその人となりはそこそこに知っている。
ダードックには才がある。それ以上に女好きで隙あらばナンパしてはワンナイトな関係を楽しむ悪癖があった。
それでも一応合意の上で関係を持ち振られたら引き下がる男であったため呆れはすれど直接的な注意はしなかった。
しかし今回は妙にしつこく迫り、ヴィティも嫌がっているように見えたため助け舟を出したつもりだったが本当は満更でもなかったのかとロンシャオは婉曲に訊ねる。するとヴィティは尖った耳の先をピクピクと上下に動かした後、首を左右に振った。
「私にその気はなかったから助かったわ。……誰でもいい訳ではないの」
「……すまない」
「……? なぜ謝るの?」
「侮辱するような言動になってしまった」
「気にしていないわ。ルミニュイ族は子を成すため、男と寝るために人里に訪れる。タダで抱ける国公認の娼婦だと認識している人達もいるもの」
差別的な噂に失礼しちゃうわと憤る同族もいたがヴィティはその事について何とも思っていなかった。
国公認なのも種欲しさにやって来るのも事実だしむしろ商売として金銭のやり取りをしながらサービスする娼婦と同列に見るのは娼婦に失礼なのではないかとすら考えていた。
「……あなたにとってそういう女は嫌? 私は処女でちゃんと検査も受けた。病気は持っていないから安全よ?」
「……そういう問題ではない」
「ではどういう問題なの? あなたが私達の事を知らないように私もあなたの事を知らないから失礼があったら教えて」
(嘘はない……むしろ嘘が無さすぎる……なんなんだこの娘は……)
ロンシャオは困っていた。艶めいたやり取りの欠片もなくまるでお得な商品を勧めるように積極的に誘ってくる女と対面したのはこれが初めてであった。そのくせ理性的でこちらに歩み寄ろうとする姿勢があるものだからいつものようにさっさと興味がないと拒否して去る事が出来なかった。
「……そういえば名前を聞いていなかったな。俺はロンシャオという」
「ヴィティ。ルミニュイ族のヴィティよ」
「……ヴィティ。今から話すのはあくまで俺の住んでいた国での常識だ。だからお前達が間違っているとか非常識だというような話ではない。聞いてもらえるか」
「ええ」
相手の文化や考えを否定しないよう、前もって慎重に言葉にするロンシャオの気遣いにヴィティはゆっくりと頷き姿勢を改めて正す。
下山した娘の中にはお前達はアバズレだ、非常識だと罵られたと愚痴を零す話を聞いていたヴィティにとって軽い反論はしても真っ向から否定せず話を聞こうとするロンシャオの態度はとても好ましかった。
「まず大前提として……俺の国では基本的に婚前交渉しない」
「婚前交渉……?」
「結婚する前に性行為はしないと言うことだ」
「なるほど。そういえば人間は『結婚』という契約を行うと聞いたことがあるわ」
「……さっき父親にならなくてもいいと言っていたが。その口ぶりはルミニュイ族は結婚そのものの文化がないのか」
「ええ。私達は種を貰うだけ。父親の顔を見たことがない者の方が多いわ。私もそう。お母さんは好みの男を誘いまくったから誰が父親か分からないって言ってたし」
「そ、そうか……」
意見の擦り合せの初期段階で垣間見える未知の世界にクラリと目眩がするロンシャオであったが彼は挫けない。彼は天才ではあるがそれ以上に努力家なのだ。それが理解し難い会話でも同じことである。
ロンシャオは言葉を選びながら祖国であるヒノモトで培った価値観、恋愛観を一通り語っていく。
「俺の国ではある程度相手の人となりを知ってから結婚するものが多い。俺の方針としてもそういう……密な行動は初対面の相手とはしたくない」
「密な行動……セッ○スの事よね?」
「……あ、ああ。ついでに言えば俺の国では性行為についての言動は秘めるもので知り合ったばかりの相手とは話題にしないんだ」
「ふうん。なるほど」
何故ロンシャオが性的な事に触れるたびに動揺したり頬を赤らめたりするのか不思議に思うヴィティであったがその理由の一端が分かり何度も頷く。
(ヘルトゥルタン周辺の人達は私達をそういうものだと理解している。だけどロンシャオは違う。だから初対面の女とは性行為をしたくないと。そういう事なのね、多分)
話してくれた言葉の中にはどうして?何で?効率が悪くないかと疑問を感じるものもあったが向こうにとってそういうものだと言うのならそれを否定したくはなかった。
(お母さんは軽くボディタッチして反応を見て満更でもなさそうなら枝垂れかかれば雰囲気でいけるわと言っていたけれど……許可なく触れられるのって嫌なものだって身をもって知ったわ。やめておきましょう)
まだダードックに頰ずりされた感触が手に生々しく残っている。許可なく他人の体に触れてはいけないというマナーを身をもって学んだヴィティは慎重に言葉のみで交渉しようと決めた。
とはいえどう交渉すればいいのか分からず彼女は耳の先を下げる。
「……困ったわ。私、あなたがいいのに」
「何故だ。お前は俺のことなんて何も知らないだろう」
「そうね。でもあなたを一目見た時からあ、この人の種が欲しいって思ったの。直感と言うのかしら。そしたらあなたは数ある実力者の集う大会で見事に優勝した。これが運命とやらではないのかしらと思ったのだけれど……」
「……よくそんな恥ずかしい事が言えたものだ」
あなたに一目で惹かれた、あなたに抱かれたい、あなたは運命の人だと抑揚のなく平坦な、それでいて透き通った声で告げられたロンシャオは口調は素っ気ないものの頬は完全に赤く染まっていた。
「恥ずかしい? 何故? 優れた雄の遺伝子が欲しいと思うのは種としての本能ではなくて?」
「だから! そういうところだ!」
突き放したような言動をしても平然と更に恥ずかしい言葉を重ねられロンシャオは困っていた。
──それらの言葉が困惑はあれど嫌ではないことに。
「……あなたの価値観では出会ったばかりの女を抱きたいとは思わないのよね?」
「……あ、ああ」
「好いた女とまぐわいたいと」
「…………そうなるが……まぐわうとか年頃の娘が言うな。はしたない」
「まぐわうがだめなら……接合?」
「かえって生々しい言い回しだろうそれは」
「言葉って難しいわ……とにかく私があなたの好きな人になればいいのね?」
「…………理屈ではそうなるが」
「でも困ったわ。ルミニュイ族は恋愛なんてしないの。だって基本的に一夜限りの付き合いだから」
「らしいな」
「分からないから……あなたが好ましいと思うヒトの恋愛を教えて。そして私を好きになって」
「……っ……」
それが種を貰うためのプロセスであると匂わせた上での求愛にロンシャオは言葉を詰まらせる。
夕暮れの橙色の光がヴィティに差し込み、白縹の瞳が妖しく揺らめく。
(またあの目を……会場の時もこんな目で俺を見ていた……)
ヴィティが初めてロンシャオと目が合った瞬間、ロンシャオもまたヴィティに視線を引き寄せられていた。
初めて感じる妙な気配。その気配を追って見上げた時、彼は一瞬息をするのを忘れた。
腰まである真っ白で長い髪。白を基調としたポンチョと膝上丈の服。日焼けとは無縁の白い肌。
雪を擬人化したような美しい娘が艶めいた白縹の瞳でロンシャオをまっすぐ見つめていた。
その瞳を見ていると試合前だというのに一瞬で心が乱され振り切るようにすぐに逸した。けれどしばらく胸騒ぎが収まらずロンシャオは何度も深呼吸をしなければならなかった。
(なんなんだ、これは……)
まるで熱を出して寝込んだ時のようなふわふわとした浮遊感。初めて芽生えたソレの名を彼女だけではなく彼も知らなかった。
「……俺だって恋だの愛だの知らん。不要なものだと遠ざけてきた。だからいきなり教えてくれと言われても困る」
「だめ?」
と言いながらもこてんと小首を傾げる仕草は小動物のようで愛くるしく、ロンシャオの心の臓が跳ねる。
いつものように修行を理由に断ればいい。そう思いながらもどういう訳かそうする気になれず彼自身戸惑っていた。
「……この国での目的は果たした。だがビザの滞在期間は残っている。急ぎの用もないししばらくは滞在するつもりではある。だからまあ……」
「そう。ありがとう」
「……っ……まだいいと言ってないだろうがっ!」
言い訳をするな、遠回しな了承の言葉。それらを言い切る前にヴィティに礼を言われてしまったロンシャオは思わず抗議するものの……。
「あなたに好きになってもらえるよう頑張るわ」
薄っすらと、分かりにくいながらも口角を上げて微笑むヴィティに何も言えなくなってしまったのだった。
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