第2話 未聞の交渉

 知らぬ間にヴィティに性のターゲットにされたロンシャオは涼しい顔のまま大会を勝ち進んでいった。優勝候補という前評判は過言ではなくむしろ候補という保険すらいらないほどの圧倒的な試合だった。彼が拳を突き出せば拳が当たる前に拳圧で対戦相手は場外へと吹き飛んでしまう。


 一撃で決まる試合に最初は湧いていた会場も次第に彼の戦いぶりについていけず静まり返るようになっていた。

 ロンシャオの試合は圧倒的、という言葉も生ぬるい。彼以外の選手が弱すぎるのではないかと錯覚するほどでありワンサイドゲームで彼は勝ち上がっていった。


 そして決勝でもそれは変わらなかった。   

 相手側もその界隈で名が知られている強者であり優勝候補の一人でもあったのだがロンシャオは鋭い蹴りの一撃だけで場外へと飛ばし彼は世界最強の称号を手にした。


「ロンシャオ選手、優勝おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 大会主催者の挨拶にロンシャオは淡々とした口調で返す。その態度もクールで素敵だと観客の女性陣から黄色い声が上がり男性陣も畏怖と憧れの視線を向けるが彼は全く気にした様子もなく優勝したというのに喜ぶ素振りすら見せなかった。


(武道の事はよくわからないけれど……一番になれたのなら嬉しいものではないのかしら……?)


 ヴィティはそんな彼を見て疑問を抱きながらも優勝トロフィーを受け取るロンシャオの姿を観客席から眺めていた。


 大会が終わり観客が会場から出て行く中、ヴィティはロンシャオの姿を探す。山から降りてきた目的でありルミニュイ族の使命を果たすために。


(……といってもどこにいるのかしら)


 しかし、見渡してもロンシャオの姿は見当たらずヴィティは困っていた。彼の居場所が分からない現状どうやって出会えばいいのか分からない。


(……選手の控室にいるなら手っ取り早いのだけど)


 いっそ受付の人に訪ねてみようかと考えながら歩いているとトン、と軽く体が近くを歩いていた人物と接触した。


「おっと。すまない」

「……あら。こちらこそごめんなさい。考え事をしていたものだから」


 背格好も歳もロンシャオに近い青年であったため一瞬期待したもののヴィティがぶつかったのは別の男であった。ただ彼女はその男に見覚えがあった。ロンシャオが決勝戦で戦った男である。


 金髪に青目で爽やかなルックスという事もあってファンである女性達の黄色い悲鳴を間近に聞いていたためヴィティもよく覚えていた。といっても決勝戦では一瞬で試合が終わってしまったためその黄色い悲鳴はすぐに消えてしまったのだが。


「おや君は……ルミニュイ族の娘だね」

「分かるの?」

「ああ。その絹のような光沢のある白い髪と尖った耳に白縹の美しい瞳はルミニュイ族特有のものだからね。少なくともヘルトゥルタン周辺に住む人間なら一目で分かるよ」

 連連と話す男の視線が上から下へと移動していく。その視線はやや不躾ではあるものの不快とまではいかない。

「僕はダードック。君の名前は?」

「……ヴィティ」

「ヴィティか……いい名前だね」


 しかし彼女はなんとなしに感じていた。ルミニュイ族を知った上で意味深に自分を見つめる男が何を求めているのかを。


「ヴィティはこんなところで何を……なんて愚問か」

「ええ。強い人がいいと思って」

「へえ、君は強い男がいいタイプなんだ。決勝戦ではあまり良いところは見せられなかったけど……僕はどうかな」

 と控えめに提案するものの流れるように逃げ場を塞ぐように壁際に封じ込まれヴィティは驚いて目を丸くする。

 ルミニュイ族を知る人間で若い男であるから下心を持たれている事は察していたがこんなに早い段階で迫られるとは思ってはいなかったからだ。しかも今は人はいないものの誰が来てもおかしくない廊下で。

「ごめんなさい。もう決めた人がいるの」

「……ロンシャオかい? 確かに面はイイ方だし文句なしに強いけどアレは辞めた方がいいよ。アイツ付き合い悪いし生粋の格闘バカだ。女の扱い方なんて分かんないって」

「……そうやって陰口言う人、好きじゃないの」


 罵詈雑言とまではいかない、仲間内ならば軽口程度のものではあるがその中に含まれるロンシャオへの嘲りにヴィティは眉を顰める。


 過酷な環境の中で一族一丸となって支え合いながら暮らしているルミニュイ族にとって仲間への嘲りや悪意は好ましくないものであった。


「おや、不快にさせてしまったかな。ただアイツが女に興味ないのは本当だよ。ムカつくくらいモテるけどどんな美女に言い寄られても塩対応でさあ。実は男が好きなんじゃないかって噂もあるんだよ。だからさ、僕にしとかない? とびきりいい夢を見させてあげるよ」

「……」


 口ぶりからロンシャオとそれなりに関わりがあることは分かる。しかしダードック自体はロンシャオを好いておらず憶測、もしくは悪意を持って語っているのがバレバレでヴィティはますます不愉快な気分になった。


 それはそれとして現状、ダードックに誘われていることに対してどう答えるべきか思考する。


(ダードック自身はあまり好ましくないけれど悪い話ではないわ。ロンシャオに瞬殺されたとはいえ彼だって決勝戦まで勝ち進んだ猛者だもの。強い男の遺伝子が欲しいだけならば彼でもいいはず)


 ロンシャオという男を知る前であったならヴィティはまあいいかと頷いていたかもしれない。軽薄で強引ではあるものの一応合意を取ろうとしているダードックはそう悪い相手ではなかった。女慣れしてそうなのも繁殖を目的としているルミニュイ族としては高ポイントだ。


 しかし自身の胸を焼くような熱を灯させた男を知ってしまった今、ダードックの言葉や誘いには少しもヴィティの心は揺れ動かなかった。こうして話している時間さえ惜しいと思ってしまう。


 そもそも自分が相手になりたいからといいなと思っている人間を悪意全開でこき下ろす人間性が彼女にとって地雷だった。


「……ごめんなさい。私、あなたはタイプじゃないの」

「まあまあ。あんなカタブツなんかより僕の方がいいって」


 ヴィティがダードックの目を見てハッキリと断るが彼は怯む事なく軽くいなし、食い下がる。迫られた時にその気がないのなら中途半端な態度は駄目よと言われた教えを守っているのにそれでも引き下がろうとしない男の対処となると少々物騒な手段を視野に入れなければならない。


(この距離なら簡単に氷漬けに出来るけど……それは最終手段にしたいわ)


 ルミニュイ族は雪乙女という別名に恥じない氷結の力を宿している。手や吐息に魔力を籠めることで人間一人程度なら一瞬で氷像に出来る力を持っていた。


 その強力な力故にヘルトゥルタンとルミニュイ族は大昔から同盟を結びヘルトゥルタンは種を、ルミニュイ族は戦力を提供する共存関係になったのだ。


(私が問題を起こせば皆に迷惑がかかってしまうわ。……我慢するべき? でも……)


 ルミニュイ族のしきたりはヘルトゥルタン公認のもの。しかしそれはルミニュイ族と男が双方の合意の上で成り立つものであるため無理矢理関係を結ぼうとしてくる相手の場合は多少の攻撃行動に出てもお咎めはない事になっている。とはいえその『多少の攻撃行動』で許される範囲がハッキリしない為にヴィティはどうしたものかと悩んでいた。


(氷結させなくても急所を蹴り上げればイケるかしら。たしか男って股間が弱点なのよね)


 一族の為に自分一人が我慢して目の前の男に『妥協』するべきか男の尊厳を攻撃すべきか考えるヴィティを良いように受け取ったのかダードックは顔を近づけてくる。接近する唇に嫌悪感を懐き顔を背けながら手で押しやるものの単純な力では敵わない。それどころか「ああ、聞いたとおりだ。ルミニュイ族の体温って人より低いんだね」と手に頬ずりをされヴィティは生理的嫌悪感から肌が粟立つ。


 気持ち悪いもう無理、死なない程度に凍らせて氷像のオブジェクトにしてやると覚悟を決めようとしたその時だった。


「やめろ」


 その言葉と同時にダードックの腕を掴む男がいた。男はジロリと切れ長の緋色の瞳でダードックを睨んでいる。


(……ロンシャオ!)


 世界最強の称号を手に入れた男ロンシャオが現れヴィティは瞳を輝かせる。もしかしたらもう会場にはいないかもしれないと思っていたところでの登場に彼女はその場で飛び上がりたいくらいに内心歓喜していた。


「ロ、ロンシャオ……これはその……」


 先程の軽薄な態度から一転、蛇に睨まれた蛙と表現するのが適当なほど震え、ガチガチと奥歯を鳴らすダードック。その無様な姿を捉えたロンシャオは軽蔑するようにすうっと目を細める。


「俺の名が聞こえたから来てみれば……詳しい事情は知らんが嫌がる女に迫るのが貴様の師の教えなのか」

「……ひっ……」


 ロンシャオは殺気を宿らせながらダードックの腕を掴む力を強める。するとギシリ、と骨が軋む音が聞こえダードックの表情はますます青くなっていく。それは対等ですらない一方的な暴の警告であった。お前程度ならば簡単に壊せるのだと。


「ししししし失礼しましたぁ!!」


 ダードックがヴィティから距離を取ると同時にロンシャオが手を離す。するとダードックは無様に足を縺れさせながらその場から去っていく。


「ふん。相変わらず足が早いな。才はあるのだから女にかまけず修行に専念すればいいものを」


 そう吐き捨てる口ぶりからダードックが自分の時のようにしつこく女性をナンパしているのを諌めた事は何度かあるのかもしれない。その言葉には棘はあるもののダードックの実力を認めているからこその口惜しさが含まれておりダードック自身がロンシャオをどう思っているかはともかくロンシャオはダードックをそこまで嫌っていないのだろうとヴィティは感じた。


 ダードックが離れていったのを確認してからロンシャオはくるりと振り返り壁際に追い詰められていたヴィティを見下ろす。身長差から威圧感はあるものの試合会場にいた時と比べると幾分柔らかい雰囲気を纏っていた。


「無事か」

「ええ。……ありがとう」


 ダードックと対峙していた時と比べると格段に優しい声色であった。自分を怖がらせないように気を遣ってくれているのかもしれないと考えつつもヴィティは返事と礼を言う。


「ヘルトゥルタンはそれなりに治安がいい国ではあるがあまり一人にならない方がいい。ああいった奴はまだマシな方だ」

「そうね。気をつけるわ」

「……注意した手前このまま去るのもおかしいか。人通りの多いところまで送ろう」


 ぶっきらぼうながらもさっきまで迫られていたヴィティを守るように前を歩こうとするロンシャオ。そんな彼の不器用ながらも実直な優しさにあたたかな気持ちになりながらヴィティは歩き出そうとする彼に声を掛ける。


「待って」

「なんだ」

「私、あなたにお願いがあるの」

「願い? ……サインはあまりしない主義なんだが」


 よく頼まれるのかそう面倒そうに言いながらもきっと頼んだらしてくれるのだろうなと彼との短いやり取りからでも分かりヴィティは微笑ましい気持ちになる。

 それもいいかもしれない。後で色紙を買ってサインを書いてもらおうかしらと思いながら彼女は本題を話すために深く息を吸い、吐き出す。そして。


「違うわ。私は──」


「あなたの種が欲しいの」

「………………は?」


 ヴィティの口から告げられたとんでもない『お願い』にロンシャオは表情を固まったまま用意したサインペンをカシャーンと廊下の床に落とすのだった。

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