どうでもよくない話! ─現代ドラマ短編集─
黒羽 透矢
二人で彼女を待つ! ─それ自体が約束だった─
午後の公園は平和だった。子どもの笑い声もハトの羽音も、なぜか遠くで鳴っている。
シゲルはベンチに腰掛け、缶コーヒーをぐるんぐるん振っていた。
もちろん、振る意味なんてない。
むしろ振ると爆発するタイプのやつだ。
「……あと10分で来なかったら帰ろうぜ」
返事はない。隣のタカミチはスマホを睨んだままだ。もちろん彼女と位置情報なんて共有していない。
「ここで待つって、彼女と約束しただろ」
「でも、もう1時間半も待ってるんだぞ」
「だから待つんだよ。約束は破っちゃいけない」
シゲルは立ち上がろうとしたが、タカミチに腕を引かれてまた座り込んだ。
それから、時間が流れた。
シゲルとタカミチは仕事を休んだ。いや正しくは休み続けている。
シゲルが「彼女を待つために休みます」と言ったら、電話の向こうの上司は少し沈黙したあと「……で、彼女はどこにいるんだ?」と聞いた。哲学的な質問だった。
タカミチは公園の端に小さなテントを立てた。
シゲルはそれを見て、黙って寝袋を買ってきた。
「タカミチ。おまえ──本気なんだな」
「ああ、彼女を待つ。俺は約束を破りたくない」
近所の子どもが「幽霊待ってるの?」と聞いてきた。
違う、と答えるには覚悟が必要だった。
猫が懐いた。名前はユウコだが、彼女とは関係ない……たぶん。
警察が来た。事情を話すと、なぜか感動して「彼女を信じる心、忘れちゃいけないな」と暖かい缶コーヒーをくれた。微糖だった。甘党のシゲルはちょっとがっかりしたが、ありがたく飲んだ。
それから、月日が流れた。
「なぁ、タカミチ。彼女って、本当に来るよな?」
「当たり前だろ。俺たちは待ち合わせをしたんだ」
「でも……どんな顔だったっけ」
「顔なんてどうでもいい。約束を果たす。それだけだ」
そのやり取りを、何度繰り返しただろう。
公園の四季がめくれるたび、二人はベンチに並んでいた。
そして──年月が流れた。
その夜も、ベンチは静かだった。風がベンチの下に忘れられたペットボトルを転がしながら通り過ぎ、星はその存在感をひけらかすこともなく空に点在していた。
タカミチは80歳を越えていた。耳は遠いが、目だけは空を射抜くように鋭かった。
シゲルは隣で、ゆっくりと息を吸った。ほんのり、昔ユウコが蹴り飛ばしていった缶コーヒーの香りがした。
「なぁ、タカミチ……約束って、そんなに大事だったか?」
沈黙。風が木の葉を揺らす。
やがて、しわがれた声が答えた。
「大事、とか……そういう話じゃない。約束は守らなければならない。そうだろ? 約束っていうのは信じる──ってことなんだ。信じることをやめてしまったら、生きている意味なんてないと思うね」
タカミチの顔は真剣だった。その瞳はどこまでもまっすぐで、純粋で、固い決意に満ちていた。
「信じる──って、なにを? 彼女をか?」
「違う……彼女だけじゃない。彼女と、おまえ、そして──ここで、三人で待ち合わせをするって約束をした、俺自身をだ」
その言葉に、シゲルは少し笑った。昔の笑い方はもうできなかったが、それで十分だった。
やがて夜が深まり、二人は目を閉じた。眠りではない。ただ、“待つこと”の延長に身を委ねるように。
◇
度重なる立ち退き勧告にも粘り勝ちしていた伝説のホームレスの二人が、公園の端の小さなテントでついに亡くなった。
誰かが言った。
「あの二人、結局、何を待ってたの?」
「さあ……でも、亡くなった二人は、とても幸せそうな顔をしていたらしいよ。だから、ひょっとしたら──」
「ひょっとしたら?」
「──会えたのかもしれないね。ずっと待ち焦がれた、誰かに」
ベンチには二人分の缶コーヒーが並んでいた。
その隣に、ユウコ16世がちょこんと座っていた。
風が静かに通り過ぎると、木漏れ日がそっと、そこに光を落とした。
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