限定カードは四百万! ─友情はプライスレス─

 大人になったら、もっと勝手に強くなると思ってた。

 ゲームみたいにレベルアップして、酒が飲めて、車の運転ができて、責任だって自然に背負えるようになって。

 ……でも実際は、責任って言葉だけが増えて、僕の中身は子供のままだった。


 そんな気持ちを抱えたまま、僕は成人式の会場に足を踏み入れた。


 中は同窓会のような大騒ぎ。あちこちで笑い声、拍手、スマホのシャッター音。みんな実に“立派な大人”の顔をして笑ってる……どうも僕には、真似できそうにない。


「よう、雪光ゆきみつ!」


 肩を叩いてきたのは耕平こうへい。小学生時代からの腐れ縁。昔は坊主、今はロン毛。売れないバンドマンの成れの果て。


「なんだよ、浮かねぇ顔して。将来が不安? バッカだなぁ。不安なんて誰でもあるっつーの。悩むより、今を楽しめ!」

「……君が言っても、説得力ゼロだよ」


 ──そのとき。


「やぁ、俺も混ぜてくれよォ」


 背後から聞こえた不気味な声に、時間が止まった。


 ──誰?


 声はやけに湿っていて、背筋にざわっと寒気が走る。振り返ると見知らぬ男が立っていた。

 目の下には濃い隈。笑っているのに、目だけが笑っていない。耕平もぽかんとしているから、彼の友達ってわけでもなさそうだ。


「えっと……久しぶりっていうか、どちら様?」

「やだなぁ、俺だよ俺、竜司りゅうじ


「「──竜司!?」」


 記憶の中の竜司はぽっちゃり少年。今はガリガリ。顔色も悪い。仕立てのいいスーツを着ているが、サイズはまるで合ってない。


「なぁにその顔……忘れられててショックだぜ?」

「いやいや、忘れてないけど……だいぶ、変わったね?」


「ま、これだけ時間も経てばな。俺もいろいろあってさ。今はちょっとした“裏の稼業”やってんだわ」

「裏って……」

「事務所から声かかってんの。近々デビューだぜ?」


 僕たちは思わず黙った。地下アイドルとかならまだいい。でもたぶん、そっちの事務所じゃない。猛烈に帰りたくなってきた。


「で、デビューするのに金がいるんだよ」

「──金? 僕ら関係なくない?」

「あるんだな、これが」


 竜司は指を四本立てる。


「忘れたか? おまえらに預けたカード。ネットじゃ四百万だぜ」


「「よ、四百万!?」」


「四人で割れば一人百万。悪くねぇ話だろ?」

「ちょ、ちょっと待て! それは──むぐっ!」


 耕平の口を僕はふさいだ。それは言ってはいけない。


「……竜司くん、わかったよ。でもあれは四人のものだ。ベニーにも話を通そうよ」

「まぁ、たしかにな」


「じゃ、僕と耕平くんで探してくるから、君はここで待ってて」

「あ? 三人で行けばいいだろ」

「いや、会場広いし、手分けした方が早いんだよ」


 竜司は胡散臭そうに睨んだが、しぶしぶ頷いた。


「……逃げんなよ?」

「逃げる理由なんてないさ!」


 僕たちは笑顔を貼りつけたまま、同時に駆け出した。


 ◇


 会場の外。噴水のある広場で、僕はスマホを取り出した。


「手分けなんていらない。ベニーの番号、まだ知ってるから」


 コール一発、ベニーこと紅子べにこ登場。


「やっほー! ゆっきー久しぶり~!」


 振袖は花魁、髪はキャバ嬢、顔は清楚美人なのに、酔いのせいか今はだらしのない笑みが浮かんでいる。


「……そっちのロン毛くん、誰だっけ?」

「え、俺!? 小さいころ毎日遊んでただろ!」


「ん~……あ、竜司くんでしょ! 痩せたね、キモい!」

「ぐはっ!」

 耕平のHPがゼロになる。


「違う違う、彼は耕平くん。野球部の補欠の」

「あーそっちか! 失敬!」

 紅子、なぜか敬礼。


 僕は話を切り出す。


「大問題発生。竜司くんが半グレ予備軍になってて、金がいるらしいんだ」

「へぇ~……で?」

「例のカードを売って、四百万山分けしようって」

「四百万!? すごいじゃん! ……で、そのカードってなに?」


「限定のレアカード! 虚無式タピオカ・インフィニティだよ!」

「あー! あったあった! 割り勘してみんなで抽選当てたやつ! でも私──」


 ようやく思い出す紅子。顔が真っ青になる。

 五年前、ブランドバッグ欲しさに九万円で売り飛ばしたのだ。三人で三万ずつ山分けして。


 竜司はそのとき音信不通だった。地元じゃ黒いうわさもあったし、僕たち全員、彼とは距離をおいていた。


「おい紅子! あのとき、おまえが言い出したんだぞ!」

「はぁ? なに、未来予知でもできんの? 五年後に四百万になるって知ってたら売るわけないでしょ!」

「でも、売った! おまえが! 一人百万がたった三万だぞ! おまえのせいで、九十七万円も損したんだ!」

「黙れ、このキモロン毛!」

「このクソアマ!!」

 取っ組み合い寸前。僕は二人の間に割って入った。


「やめて二人とも! 僕らが仲間割れしてる場合じゃない! どうすべきか考えないと!」


 全員が沈黙。

 発言した当人の僕でさえ、なにも考えが浮かばなかった。


 しばらくして、突然──紅子が眉間に皺を寄せた。かわいい顔が、般若のように歪みはじめる。


「わかった……少しだけ本気出す」


「「出た! 伝説のベニーモード!」」


 その顔を見た瞬間、昔の記憶が蘇る。

 カードバトルのとき、紅子がこの顔になったら──もう誰も勝てなかった。僕も、耕平も、竜司でさえも。地元のカードバトル大会でも余裕で優勝していた。


 そう、彼女──ベニーなら、やってくれるかもしれない。


 数秒後。


「オーケー、任せて! 私が竜司くんを説得する!」


 あまりに晴れやかな顔に、僕と耕平はつい信じてしまった。

 そして三人は向かう──元凶、竜司のもとへ。


 ◇


 会場に戻ると、竜司がふんぞり返っていた。紅子が笑顔で対峙する。耕平は横で固まっている。僕は、ただ立っていた。


「さぁ、話し合おう。カード売って一人百万、平等に分ける。賛成か反対か、理由も聞こうじゃねぇか?」


 紅子が一歩前に出る。その瞬間、僕の喉がひりついた。

 言うべきか──あのカードは、もうない。でも、今それを言ったらどうなる? 竜司は怒るだろう。「裏切りだ」と言うかもしれない。「責任とれ」と言うかもしれない。


 足が一歩、前に出かけて止まった

 僕の心臓が、ドクンと鳴った。

 言うべきだ。でも、言えない。


 紅子が口を開く。


「はぁ~、バカなの? 算数できる?」

「──な?! なんだとテメエ!」

「考えなよ。あのカード、五年前は九万円で取引されてた。それが、今は四百万。価値が四十倍以上に増えたんだよ?」

「だから、売ろうってんじゃねえか!」


 紅子が鬼の形相になった。竜司を食い殺しかねない雰囲気で畳みかける。


「てめぇアホか!? こんだけ伸びるカードが、この程度で頭打ち? 九桁いくかもだろ!!」


 始まった。ベニーモード。察しはつく。まだ“ある”ことにして、売らないように仕向けるつもりだ。


 僕は、ただ見ていた。

 紅子の言葉が、竜司を圧倒していく。


「四百万なんてはした金で売れるか!! もし売ったとして、あのカードの値段がもっと高騰したらどーすんのよ? 一千万に化けたら? あんた責任とれんの!? とれないでしょ? 責任ってのはね、未来に備えて“持ち続ける”ことを言うのよッ!!」


 竜司が黙った。紅子の勝ちだ。僕たちは逃げ切った。

 でも──なにかに負けた気がした。


 紅子がニコニコと機嫌よさそうに笑っている。耕平は安堵の溜息。竜司は小さくなって、去っていく。


 無邪気に笑っていたあのころの記憶が、唐突に脳裏をよぎった。 みんなで床に座って、カードの封を切った瞬間。


『おっ! 当たった!』

『マジかよ! やったな雪光!』


 僕は笑っていた。耕平も、紅子も、竜司も。記憶の中のあの笑顔を壊したくなかった。守りたかった……そう思っていた。そう思いたかった。


 でも本当は、違う。竜司の目を見た瞬間、喉が塞がった。怖かった。怒られるのが。責められるのが。“責任”をとるのが。

 僕は、あの笑顔を守ったんじゃない。自分の弱さを、過去の思い出で包み隠しただけだった。


 成人式だっていうのに──僕は、まだ“子供のままでいたい”と、そう願っている。

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