そこの男子! 逃げるなっ!

餡純

第1話

「盛り塩、よしっ! ネックレス、よしっ! 餃子、よしっ!」


 最後に満腹になって膨れ上がったお腹をぽんと軽快に叩いた中村恵は、首元からやたらにごつい十字架のネックレスをぶら下げている。デスクの上に置かれているノートパソコンにきっと強い視線を投げた。画面からの明るい光が、恵からの挑戦を受けて立つように光って見える。


 なんとしてでも勝たなければいけない戦いがある。

 


 特大のガーリックパウダーの容器がインテリアのように置かれているデスクに恵はどすんと腰を下ろした。念のために膝の上には伯方の塩の袋、一キロを置いた。


「ねぇ、めぐ。十字架って悪魔に効くんじゃないの?」


 数時間前にそうラインを送ってきた友人の真菜との会話が頭をよぎる。念のためよ、と返した恵に、餃子はなんで? と愚問を投げつけてきたので、ニンニクが入ってるからと返すと、


「……それは吸血鬼に効くんじゃないの?! ていうか、あんたが食べたいだけでしょ!」


「それもあるけど! 念のためだから! 腹が減っては戦が出来ないって言うでしょ?」




 夜の十一時。

 ノートパソコンの明かりが恵の険しい顔を暗闇に浮かび上がらせた。



 小説を書き換えてくる幽霊との戦いのはじまりだ。


 なんとしてでも勝利を収めて、明日の朝には書き終わらなければならない。

 



 すべての事のはじまりは、三日前だった。雑居ビルの三階に事務所を構える中小出版社に、慌てた様子で先輩が入ってきたかと思うと、「事件です!」と叫んだのだった。傾く度にぎぃぎぃと鳴る椅子に座っていた編集長が、何事だと片眉をくいっと引き上げた。


 大手出版社所属の作家が、大衆雑誌に載せる短編小説の締め切りが迫る中、失踪してしまった。代打の作家を探しているが、なかなか見つからない。締め切りは三日後。校正などのチェックを入れたら実質二日後が締め切りだ。


 頭頂部の生え際がかなり後退してしまって、嫌につやつや光っているおでこを編集長は撫でると、ふぅんと息をついてから缶コーヒーを一口飲んだ。


 デスクに鞄を置いた先輩はスマホで何やら忙しく打ち込みながら、こんなの無茶ぶりですよ、と嘆いている。


 雑誌に大穴が空いてしまうかもしれない緊急事態に、下請けの我が社にもなんとならんかと声がかかったんだな、と恵は人ごとのようにこれは大変だ、どうなることやらと見守ることにしようと決め、来月号の小ネタ集めをまとめたファイルを開こうとした、その時だった。



「あ」

「え」


 先輩は恵を見た。


「確か、小説書いてみたいって言ってなかった?」


 げっ、面接で大きく出たことを思い出した。記事だけじゃなくて、いつか小説も書いてみたいです。それぐらい文章を書くのが好きなんですっ、とはきはき話して、就活にピリオドを打てた。ああ、と納得の声を出した編集長が恵を見て、「よし、決まりだ。お前が穴を埋めろ。大手にうちが請け負います、って連絡」


 了解です、とスマホを耳に当てる先輩。がたんと椅子を倒す勢いで立ち上がった。



「無理です!」



 先輩がスマホで話しながら頭を何度も下げた後、恵に言い放った。


「テーマは、恋で。二時間後に三本プロット出して。先方のOK出たら、執筆スタートして。締め切りは三日後で。ゲラは15ページ。王道の恋がいいらしいから、学園もので。捻りはいらない。王道ど真ん中突っ走って」


「で、でも、私には仕事がっ!」


 泣きそうになりながら、食い下がると、周りにいた先輩たちが次々と挙手した。


「これぞチームワークだ。ほら、先輩たちがお前の仕事はしてくれるから、とにかく話しを書け」


 わなわなと体が震える。チームワークなんかじゃないっ。自分に火の粉がかからないようにしているだけだ! 唇を噛みしめつつ。


「も、もし書き終わらなかったら?」


 ふっと優しげに笑った編集長が、何も心配することはないさ、と零すものだから、てっきり責任は俺が持つと宣言してくれると思ったら、


「その時は、ぜーんぶお前の責任になるから。安心しろ、始末書は用意しとくから」


「ひどい!!!」


 その頭の髪を一本残らずピンセットで引き抜いてやる! いつか! と固く誓った恵は、猛然とプロットを書き始めた。




 通った企画は、幼馴染み青春ラブコメだった。ヒロインは明るくて、クラスで人気者のマミ。相手の男子は、奥手で不器用なタクミ。彼は過去に好きな子に告白をして、「え、冗談でしょ? キモッ」と振られた経験がある、事にしてみた。その傷をマミが癒やしつつ、なんやかんやありつつ、マミから告白して物語は終わる。果たして、タクミはトラウマを克服出来るのか。


「本当にこのネタでいいんですか? ありきたりすぎません?」

「馬鹿言え。15ページしかないのに、独自の設定詰め込んでどうする。王道はいいぞ、王道は。読者が安心して読めるからな」


 それに、と編集長がコーヒー臭い息を吐きながら言った。


「先方もちゃんと配慮してくれるらしいから。急遽、新人発掘コーナーにしてくれるらしいぞ、良かったな」


 いいわけがないと毒づきながら、家に飛んで帰って、本文を執筆しはじめた。

 バレンタインのチョコを義理だよ、と言いながらも本当は本命なんだけどね、と思いつつ渡すマミ、二人でコンビニに寄ったり、一緒に帰ったり、体育祭では二人で走らせて、文化祭でも言い流れを作った、さあ、あとは告白シーン書いて終わりだ! と思っていたら、怪奇現象が起こった。



 文字が消えていく。書き換えられていく。



 告白したいマミが下駄箱に話しがしたいと手紙を入れたら、タクミがそれを捨てる。


 ラインでは話しを逸らす。それならとマミが屋上に呼び出したら、立ち入り禁止の札をドアにかけてしまう。マミが弁当を渡せば、ダイエットしてるからと断る。一緒に帰らない。視線も合わせない。言葉少なになっていく。


 どんなに書き直しても、文化祭から先、一向に告白シーンに辿り着けない。えへへ、頭が可笑しくなってしまったのかな、と思っている暇はどこにもなかったので、とりあえず幽霊だと仮定した。


 波阿弥陀仏の動画を流し、部屋の四隅に盛り塩を置いた。そんな恵の努力をあざ笑うように、キーボードのキーを内側から引っ張るように、デリートのキーが動き続ける。


 消される前に、印刷を試みても無駄だった。


「どうしてよおぉぉぉ! え? なに? 好き避け?!」


 問題は文化祭から先だ、と頭を抱えていると、カチ、カチと音がする。デリート以外のキーが動いている。



《俺が好かれるわけないじゃん……》



 ついに、私とコンタクトを取りに来たな、ゆうれ、ん? 幽霊? あれ、これキャラじゃない? 混乱しつつも、恵はそんなね、はははと乾いた笑いをもらした。


《どういうこと?》


 打ってみる。返事が来るわけないよね……と思っていたら、キーボードが動き出した。


《中学の時に、告白したら笑われたから》


 ――それ、私の考えた設定!


《ごめん、私が悪いっ。私があんたに恋愛のトラウマなんて設定したから! くっ、自業自得! でも、お願い。今回はまじ大丈夫だからっ》


《作者都合で傷つけられてんのに、信じられるかっ》


《あなたが、マミちゃんと向き合ってくれないと、この話し終わんないの! それに始末書書きたくないっ》


 打ち込んだのに、返事が来ない。とりあえず、彼との話を消して、文化祭からの続きを書こうとした時、だった。


《私、告白したいんですけど?! 文化祭まで順調でしたよね? これ、私、告白できるんですよね?! OK貰えるんですよね?!》


 怒濤のスピードで打ち込まれたクレームが、餃子を食べ過ぎた腹に直撃した気がした。


《そ、それなんだけど……》


《なんか避けられてません?! 私、何かした? ……ねぇ、私ってそんなに可愛くないのかな……。だって、ラストは告白して彼氏出来る予定なんだよね?! そうじゃないの? プロット、変えた?! 告白したいよおぉおぉぉぉ》


 やばい、明るくて真っ直ぐなヒロインの真っ直ぐが、曲げられすぎて、このままじゃメンヘラ化しちゃうっ! そんな設定してないのにぃ、と歯ぎしりしつつ、《少々お待ちください》と打ち込んだ。胃がキリキリする。餃子を吐き出しそう、と口で手を覆った。



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