第五話「お忍び王子と帝都の影」
「種子のダンジョン」の攻略成功は、グリーンウッド領に大きな変革をもたらしました。私が持ち帰った古代の種子たちは、「緑の指先」の力によって順調に発芽し、見たこともないような作物が畑を彩り始めたのです。
暗闇で青白く輝く「月光麦」の畑は幻想的な光景を作り出し、夜の農作業を可能にしました。魔力を宿す「マナトマト」は、高値で取引され、領地の貴重な収入源となりました。ギルドも活気に満ち溢れ、ダンジョンから持ち帰られる新たな種子によって、作物の種類は日増しに増えていきました。
領民たちの生活は劇的に改善され、村には笑顔が溢れています。私は、この活気をさらに広げるため、一つのアイデアを思いつきました。
「食堂を開きましょう!」
採れたての新鮮な作物を、もっとたくさんの人に味わってほしい。そして、領地の新しい名物料理を作れば、外から人を呼び込むきっかけにもなるはずです。
私の提案に、皆が賛成してくれました。ギルドの一階を改装し、「グリーンウッドの恵み亭」と名付けた食堂がオープンしたのです。料理長は、料理が得意な領主の館の料理人をスカウトし、私もときどきウェイトレスとして店に立ちました。
看板メニューは、「ポポイモと虹色ニンジンのシチュー」と、「月光麦のパン」。シンプルですが、素材の良さが際立つ料理は、たちまち領民や冒険者たちの間で大評判となりました。噂は風に乗って広がり、いつしか近隣の町や村からも、珍しい作物を求めて客が訪れるようになっていたのです。
そんなある日の昼下がり。食堂が少し落ち着いた時間帯に、一人の青年が、ふらりと店に入ってきました。
彼は、上質な、しかし旅慣れた様子の服を身にまとい、腰には一振りの見事な剣を下げています。人目を引く整った顔立ちに、夕暮れの空のような穏やかな紫色の瞳。年は、アレンより少し上くらいでしょうか。一見すると、どこかの裕福な商家の息子か、腕利きの傭兵のようにも見えました。
「いらっしゃいませ!」
私が明るく声をかけると、青年は少し驚いたように私を見て、それから柔らかな笑みを浮かべました。
「ここは、良い匂いがするな。おすすめはなんだい?」
「それでしたら、うちの看板メニューのシチューセットはいかがでしょう? 月光麦のパンも付いてきますよ!」
「では、それを頼む」
彼はそう言うと、窓際の席に腰を下ろしました。
私は厨房に注文を通し、彼のためにシチューを運びました。湯気の立つシチューからは、野菜の甘い香りが立ち上っています。
「どうぞ、ごゆっくり」
私が立ち去ろうとすると、彼に呼び止められました。
「君が、ここの領主の娘のリリアナ嬢だね?」
「え? は、はい。どうしてそれを……」
「噂は聞いているよ。君の魔法が、この寂れた土地を楽園に変えた、とね」
彼の言葉には、どこか探るような響きがありました。私は少し警戒しながらも、彼の向かいの席に腰を下ろしました。
「そんな、大げさですよ。私一人の力じゃありません。領民のみんなや、仲間たちが協力してくれたおかげです」
「謙遜するんだな」
彼はそう言うと、スプーンでシチューを一口運び、そして、その紫色の瞳を興味深そうに細めました。
「……これは、美味い。驚いた。野菜の一つ一つが、まるで生きているようだ。」
彼の素直な称賛に、私の頬が少し緩みます。
「ありがとうございます! うちの野菜は、愛情をたっぷり込めて育てていますから!」
私たちは、それからしばらくの間、とりとめのない話をしました。彼の名はレオン。遠い国から来た旅人で、珍しい食材を求めて旅をしているといいます。彼は私の作る作物に深い興味を示し、栽培方法や、ダンジョンで見つけた種子のことまで、熱心に質問してきました。私も、自分の育てた植物の話となると、つい夢中になってしまいます。
話が弾む中で、私はふと、彼の表情にときおり、暗い影がよぎることに気がつきました。
「レオンさんは、どうして旅をしているんですか?」
私の問いに、彼は遠くを見るような目をしました。
「……故郷が、少し病んでいるのです。人々は食べ物に困り、笑顔を失っています。それを救う方法を探しているのかもしれません」
彼の口から語られたのは、帝国の首都、帝都が今、深刻な食糧不足に陥っているという衝撃的な事実でした。長引く日照りや、原因不明の病害。それに加え、一部の貴族が食料を買い占め、価格を吊り上げているというのです。
「食料を買い占め……? そんなひどいことをする人がいるんですか?」
「ああ。自分の利益のためなら、民が飢えることさえ厭わない連中がね」
レオンの声には、静かな怒りが込められていました。彼は、スプーンを置くと、真剣な眼差しで私を見つめます。
「リリアナ嬢。君のこの領地は、希望だ。痩せた土地でも、これだけの作物ができるという証明だ。この技術と、君の魔法があれば、あるいは帝都を……私の故郷を、救えるかもしれない」
彼の言葉は、私の胸に重く響きました。今まで、私は自分の目の前にいる人たちのことしか考えていませんでした。この小さな領地を豊かにすることだけを。しかし、私のこの力は、もっと多くの人を救える可能性があるのかもしれません。
そのときでした。店の外がにわかに騒がしくなり、アレンが慌てた様子で食堂に飛び込んできたのです。
「リリアナ! 大変だ! 帝都から、紋章の入った馬車が……!」
アレンの言葉と同時に、食堂の扉が開き、騎士の鎧をまとった男たちが数人、雪崩れ込んできました。そして、彼らはレオンの前に進み出ると、恭しく膝をついたのです。
「レオンハルト殿下! ご無事でしたか! こんな辺境の食堂におられるとは……!」
レオンハルト……殿下?
私は、目の前の青年と、膝をつく騎士たちを交互に見て、頭が真っ白になりました。
レオン――否、帝国第四王子レオンハルトは、困ったように頭をかきながら立ち上がりました。
「すまない、リリアナ嬢。黙っているつもりだったんだが」
彼の正体は、帝国の第四王子。民の暮らしをその目で確かめるため、身分を隠して辺境を視察していたのです。
辺境の小さな食堂での、ささやかな出会い。しかしそれは、私の運命を、そして帝国の未来を大きく揺るがす、重要な繋がりが生まれた瞬間でした。私の育てた優しい作物は、今、帝国の抱える黒い闇と対峙しようとしていたのです。
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