第二話「奇跡の畑と森の賢者」
「本当に、こんなもので育つのか……?」
アレンは、目の前に広がる小さな畝を眺め、不安そうな声を漏らしました。それもそのはずです。私が領主である父に頼み込んで確保した種芋――私が「ポポイモ」と名付けたそれは、干からびていて、とても芽が出るとは思えない代物だったからです。
「大丈夫よ。この子は見た目によらず、とっても生命力が強いんだから」
私は自信満々に答えながら、一つ一つの種芋を丁寧に土の中に埋めていきます。父は最初、私の突飛な申し出に戸惑っていましたが、私が実際に魔法で雑草を元気にしてみせると、目を丸くして驚き、最終的には裏庭の自由な使用を許可してくれました。藁にもすがる思いだったのでしょう。
全ての種芋を植え終えると、私はそっと畝の上に両手をかざしました。
「お願い、私の可愛いポポイモたち。元気に育って、みんなを笑顔にしてね」
指先から、陽だまりのような緑色の光が溢れ出し、大地へと染み込んでいきます。魔法の名は、自分で「緑の指先(グリーンフィンガー)」と名付けました。前世の園芸愛好家たちへの敬意を込めて。
それからの毎日は、驚きの連続でした。
翌朝、畑を見に行くと、固い土を押し開けて、可愛らしい双葉がいくつも顔を出していました。その成長速度は常軌を逸しており、アレンは毎日「お、お化け芋だ……」と腰を抜かさんばかりです。私は魔法の力で土中の栄養バランスを整え、必要な水分を与え続けました。ポポイモは、その愛情に応えるかのように、ぐんぐんとツルを伸ばし、青々とした葉を茂らせていきました。
そして、一月も経たないうちに、収穫のときがやってきました。
「いくわよ、アレン!」
「ああ!」
私とアレンは、大きく育ったポポイモのツルを掴み、力いっぱい引き抜きました。ずぼっ、と小気味よい音と共に土の中から現れたのは、私の想像を遥かに超える大きさの芋でした。一つ一つが大人の頭ほどもあり、それが一つの株に、何個も連なっているのです。
「こ、これは……!」
噂を聞きつけて集まってきた領民たちも、目の前の光景に言葉を失っていました。誰もが諦めていたこの不毛の大地で、信じられないほどの作物が実ったのですから。
その日の夜、領主の館の広場では、ささやかな収穫祭が開かれました。ふかしたポポイモ、焼いたポポイモ、ポポイモのスープ。調理法は単純でしたが、その味は格別でした。ほくほくとした食感と、噛むほどに広がる優しい甘み。飢えに苦しんでいた領民たちは、涙を流しながらその恵みを頬張っていました。
「リリアナ様、ありがとうございます……!」
老婆が、しわくちゃの手で私の手を握りしめます。その目には、感謝と尊敬の念が浮かんでいました。今まで遠巻きに私を見ていた領民たちの視線が、温かいものに変わっているのを肌で感じます。胸の奥が、じわりと熱くなりました。これが、誰かのために力を尽くすということなのですね。私の居場所は、ここにあります。
ポポイモの成功で、グリーンウッド領は少しだけ活気を取り戻しました。しかし、私は満足していませんでした。
「ポポイモだけでは、栄養が偏ってしまいます。それに、いつ病気が流行るか分かりません。もっと多様な作物が必要よ」
次なる目標は、薬草の栽培でした。この世界にも薬師はいますが、貴重な薬草はほとんどが遠方の土地から高値で買うしかありません。領内で栽培できれば、領民たちの健康を守れるし、新たな収入源にもなるはずです。
しかし、私には薬草に関する知識がほとんどありませんでした。前世の知識も、こちらの世界の植物と一致するとは限らないのです。
困り果てていた私に、父が古い言い伝えを教えてくれました。
「領地の西に広がる『迷いの森』……その奥深くには、あらゆる知識を持つエルフの賢者が住んでいるという。だが、森は、名前の通り人を惑わし、生きて帰ってきた者はいないと聞く」
危険だ、と父は止めましたが、私の探究心に火がついてしまいました。エルフの賢者。未知の植物。こんなに胸躍る話はありません。
「私、行ってみる!」
「リリアナ!?」
アレンの悲鳴を背に、私は決意を固めました。もちろん、無謀なことをするつもりはありません。護衛のアレンと、森の入り口までなら詳しいという領地の猟師と共に、出発することになったのです。
森に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でました。木々が鬱蒼と生い茂り、昼間だというのに薄暗い。猟師の言う通り、少し進んだだけで方向感覚が狂い始めます。道がいくつにも分かれ、同じ場所をぐるぐると回っているような感覚に陥りました。
「これが、迷いの森……」
アレンが警戒しながら剣の柄に手をかけます。
そのとき、私の鼻がふん、と動きました。これまで嗅いだことのない、清涼感のある甘い香り。植物学者の勘が、この先に珍しい植物があると告げています。
「アレン、こっちよ!」
「おい、リリアナ! 勝手に行くな!」
私は香りの源を目指して、森の奥へ奥へと進んでいきました。アレンの制止も耳に入りません。やがて、木々が開けた小さな空間に出ました。そこには、苔むした巨大な木の根元に、質素な小屋がひっそりと佇んでいたのです。そして、その小屋の周りには、見たこともない様々な植物が美しく手入れされた庭を作っていました。
香りは、その庭の一角に咲く、銀色に輝く小さな花から発せられていました。
「きれい……」
私がうっとりとその花に近づこうとした、そのときです。
「我が庭に、無断で立ち入る者は誰だ」
凛として、それでいてどこか冷たい声が響きました。振り返ると、小屋の戸口に一人の男が立っています。長く尖った耳、白磁のように白い肌、そして月光を溶かし込んだような銀色の髪。人間ではありません。彼こそが、エルフ。
彼は私とアレンを値踏みするように一瞥すると、その冷ややかな翠色の瞳を私に固定しました。
「人間の子供か。ここは子供の遊び場ではない。すぐに立ち去れ」
「お待ちください! 私、あなたにお聞きしたいことがあるんです!」
私は慌てて彼の前に進み出ました。
「私はリリアナ・グリーンウッド。この土地の領主の娘です。薬草の栽培について、あなたの知識をお借りしたくて参りました」
しかし、エルフ――シルヴァンと名乗った彼は、興味がなさそうに鼻を鳴らしました。
「人間に教える知識など、持ち合わせていない。それに、お前たち人間に植物を育てる真の資格などない。ただ利用し、奪うだけだろう」
彼の言葉は、刃物のように冷たかった。長年、人間たちに森を荒らされてきたのかもしれません。その不信感は根深いのでしょう。
諦めて帰るしかないのか。そう思ったとき、私の足元で、ポシェットに入れていたものがカサリと音を立てました。そうです、これなら。
私はポシェットから、出がけに摘んできた一輪の花を取り出しました。それは、ポポイモの栽培と同時に、品種改良を試みて生み出した新種のハーブでした。ミントのような爽やかさと、カモミールのような優しい甘さを併せ持った、心を落ち着かせる香りがします。
「これ……」
私はそのハーブを、シルヴァンに差し出しました。
「これは、私が作ったハーブです。どうか、この香りをかいでみてください」
シルヴァンは訝しげな顔をしながらも、私の差し出した花に顔を近づけました。そして、その香りを吸い込んだ瞬間、彼の翠色の瞳が、わずかに見開かれたのです。
「この香りは……? 古代文献に記されていた『癒しのミント』のそれに近い。だが、より洗練され、複雑な香気……こんな植物は見たことがない。まさか、お前が?」
彼の声には、初めて感情の色が宿っていました。私はここぞとばかりに、自分の持つ「緑の指先」の力について説明しました。植物に触れ、その成長を促し、ときにはその性質を少しだけ変化させることができる、と。
シルヴァンは黙って私の話を聞いていましたが、やがてふっと息を漏らし、口元に微かな笑みを浮かべました。
「面白い。実に興味深い。よかろう、リリアナ・グリーンウッド。お前の力を、この目で確かめさせてもらう」
彼は交換条件を出してきました。私が定期的に新しい植物を生み出し、彼に研究材料として提供すること。その見返りに、彼は自身の持つ薬草に関する知識を私に授けてくれる、と。
願ってもない申し出でした。
こうして、私は森の賢者シルヴァンという、最強の協力者を得たのです。彼の膨大な知識は私の「緑の指先」と合わさることで、無限の可能性を秘めていました。彼の助言を得て作った薬草畑は瞬く間に緑で覆われ、風邪薬から鎮痛剤まで、様々な薬草が収穫できるようになったのです。
奇跡の芋に、万能の薬草。グリーンウッド領は、私の緑の指先によって、少しずつ、しかし確実に豊かさへの道を歩み始めていました。
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