第二話「猪突猛進の用心棒」
アルト村は、貧しい村だった。
アースがリリアに案内されて足を踏み入れたその村は、彼が最初に目覚めた荒れ地と同じくらい、活気に乏しい場所だった。人々は痩せこけ、その目に輝きはない。家の壁は崩れ、畑にはまともな作物が育っている様子もなかった。
「これが……村の現状なんです」
リリアが悲しそうに呟く。彼女の話によれば、ここ数年、原因不明の土地の劣化が進み、作物がほとんど穫れなくなってしまったのだという。村人たちは、森で僅かな木の実を拾ったり、か細い獲物を狩ったりして、なんとか食いつないでいるらしかった。
そんな村に、アースが収穫した巨大なカボチャは、まさに天の恵みだった。
最初は遠巻きに見ていた村人たちも、アースがリリアを通じてカボチャを振る舞うと、その表情を驚きに変えた。
「な、なんだこの甘さは……!」
「こんなに美味しいカボチャ、食べたことがないぞ!」
アースのカボチャは、ただ大きいだけではなかった。【豊穣神の祝福】を受けた作物は、栄養価も味も、通常のものとは比較にならないほど向上していたのだ。甘く煮付けたカボチャの煮物、ホクホクに蒸かしただけのシンプルな一品、そして種を煎ったおやつ。どれもが、飢えた村人たちの心と体を温かく満たしていった。
子供たちがカボチャを頬張り、満面の笑みを浮かべる。その光景を見て、アースは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
(ああ、俺は、この笑顔のために農業がしたかったんだ)
前世では感じたことのなかった、確かな充足感がそこにはあった。
アースの畑は、村の希望の星となった。カボチャだけでなく、持ち込んだ他の種――ジャガイモ、トウモロコシ、トマト――も、次々と驚異的なスピードで育ち、村の食糧事情は劇的に改善されていった。村人たちはアースを「豊穣の神の使い」と呼び、心からの感謝と尊敬を寄せるようになった。
しかし、平穏な日々は長くは続かなかった。
問題となったのは、その豊かな作物が放つ、強烈な匂いだった。人間だけでなく、森に住む魔物たちにとっても、それは抗いがたい魅力を持っていたのだ。
ある晩、村の見張りが立てていた警鐘が、けたたましく鳴り響いた。
「魔物だ! クリムゾンボアの群れだぞ!」
その叫び声に、村は一瞬にしてパニックに陥った。クリムゾンボア。その名の通り、血のような赤い毛皮と、剃刀のように鋭い巨大な牙を持つ、猪型のモンスターだ。気性が荒く、一度狙った獲物は執拗に追い続ける。一頭でも厄介だが、群れとなれば村一つを壊滅させるほどの力を持っていた。
村の男たちが錆びついた槍や鍬を手に集まったが、その顔には絶望の色が濃く浮かんでいた。数も、力も、圧倒的に不利だった。
「みんな、家の中に隠れて!」
村長の叫びが響くが、誰もが足がすくんで動けない。地響きと共に、森の暗闇から何十頭ものクリムゾンボアが、血走った目で村の畑を目指して突進してくるのが見えた。
誰もが諦めかけた、その時だった。
「――俺の畑には、指一本触れさせない」
静かだが、鋼のような意志を宿した声が響いた。声の主は、アースだった。彼は鍬を一本肩に担ぎ、臆することなく畑の前に立ちはだかった。
「アースさん! 無茶です!」
リリアが悲鳴のような声を上げる。だが、アースは振り返らなかった。
彼は静かに目を閉じ、スキルに意識を集中させる。大地から、畑に植えられたカボチャのツルから、力が自分に集まってくるのを感じた。
(やれるはずだ。作物を育てるだけが、この力の使い方じゃない)
クリムゾンボアの先頭が、畑に到達する寸前。アースはカッと目を見開いた。
「喰らえ!」
その声に呼応するように、畑のカボチャのツルが、まるで生き物のようにうねり、地面から勢いよく飛び出した。ツルは瞬時に伸び、猪たちの足に絡みつき、その勢いを殺す。
「ブモォォォ!?」
予期せぬ妨害に、クリムゾンボアたちは次々ともんどりうって転倒した。だが、群れの勢いは止まらない。後続の猪たちが、仲間を踏み越えて迫ってくる。
「まだだ!」
アースは次に、畑に実っていた巨大なカボチャに意識を向けた。ツルが巨大な投石器(カタパルト)のようにしなり、人の頭ほどもあるカボチャを砲弾のように射出した。
轟音と共に放たれたカボチャは、正確にクリムゾンボアの頭部に命中。硬いカボチャの直撃を受けたモンスターは、悲鳴を上げる間もなく地面に沈んだ。
一発、二発、三発――。
アースは次々とカボチャを撃ち出し、正確無比な射撃で群れを混乱に陥れる。畑のツルは自在に動き回り、敵の足を絡めとり、身動きを封じる。それはもはや農業ではなく、一つの戦術だった。
常識外れの光景に、村人たちも、そしてクリムゾンボアたちも呆気に取られていた。やがて、リーダー格の巨大な個体をカボチャの集中砲火で仕留めると、残った猪たちは恐れをなし、蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ帰っていった。
後に残されたのは、夥しい数の気絶したクリムゾンボアと、静まり返った村、そして鍬を片手に仁王立ちするアースの姿だけだった。
「……勝った」
アースが呟くと、村人たちから割れんばかりの歓声が上がった。
この一件で、アースは村の英雄となった。しかし、彼は自分の無力さも痛感していた。今回はスキルのおかげで何とかなったが、またいつ同じようなことが起こるかわからない。自分一人で、この村と畑を常に守り続けるのは不可能だ。
「護衛が必要だな……」
翌日、アースは村の広場に用心棒を募集する立て札を立てた。報酬は、彼の作る作物の現物支給。「腹いっぱい食べられること」を保証するという、食いしん坊にはたまらない条件だった。
その日の昼下がり。二人の旅人が、その立て札の前に姿を現した。
一人は、しなやかな体躯に、腰まで伸びる美しい銀髪を揺らす女性。ピンと立った狼の耳と、フサフサの尻尾が、彼女が獣人であることを示していた。その金色の瞳は、まるで獲物を前にした肉食獣のように鋭い。
もう一人は、彼女より少し年下に見える、同じく銀髪と狼の耳を持つ少女。姉らしき女性とは対照的に、物静かで落ち着いた雰囲気を漂わせている。
「……ここか。美味い飯が腹いっぱい食えるって場所は」
姉らしき女性が、期待と疑いが半々といった声で呟いた。
「姉さん、あまり期待しない方が……」
妹らしき少女が冷静に窘める。
彼女たちこそ、食料を求めて各地を放浪していた狼の獣人姉妹、姉のフェンと妹のリゼだった。
アースは、二人を自分の小屋に招き入れた。そして、言葉で説明するよりも早いと、クリムゾンボアの肉を使ったステーキと、採れたてのジャガイモをふんだんに使ったポトフを振る舞った。
ジュウジュウと音を立てる分厚い肉、湯気の向こうで黄金色に輝くジャガイモ。その匂いを嗅いだ瞬間、フェンの喉がゴクリと鳴った。
無言で料理を口に運んだ姉妹は、次の瞬間、その目を大きく見開いた。
「なっ……! なにこれ、美味っ……!!」
フェンが、それまでのクールな雰囲気をかなぐり捨てるように叫ぶ。肉は驚くほど柔らかく、噛むほどに旨味のある肉汁が溢れ出す。ポトフの野菜は、一つ一つが信じられないほど味が濃く、優しい甘みが口の中に広がった。
リゼも、静かだが興奮を隠せない様子で、一心不乱にスプーンを動かしている。
あっという間に皿を空にした姉妹に、アースはにっこりと笑いかけた。
「どうだ? 俺の用心棒になれば、毎日こんな飯が腹いっぱい食えるぞ」
その言葉は、どんな甘言よりも姉妹の心を揺さぶった。
フェンは皿を舐めんばかりの勢いで綺麗に平らげると、ドン、とテーブルに皿を置いた。そして、決意に満ちた目でアースを見据える。
「決めた! あんたの用心棒、このフェン様が引き受けてやる! その代わり、約束は守ってもらうからな!」
「……姉さんがそう言うなら。私も、異存ありません」
リゼも、こくりと頷いた。
こうして、猪突猛進、戦闘力だけは折り紙付きの狼獣人姉妹が、アースの仲間に加わった。
最強の用心棒と、最高の食事。この出会いが、アースの農園をさらに大きく発展させ、そして新たな嵐を呼び込むことになるのを、まだ誰も知らなかった。
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