Ep.16 血と砂塵
2 Years Ago
Friday, February 19th, 2021
AM 1:05 AFT
快晴
Kabul, Afghanistan
タリバン支配地区
(嵐の前の、長い静寂は終わったのだ。嵐の名は、カブール。俺たちの、最初の戦場だった)
ダムネックでの過酷な訓練の日々から二年。俺たちは、ついに、本物の戦場にいた。
CIAのセーフハウスが襲撃され、重要協力者一名が人質となった。俺たちエコー分隊の任務は、その奪還。失敗は許されない。
高度一万メートルから、アフガニスタンの闇へと、その身を投じる。眼下に広がるカブールの街は、まるで宝石箱をひっくり返したような、鈍い光の集合体だった。だが、その一つ一つの光の下に、人々の営みと、そして俺たちがこれから飛び込む死の気配が満ちている。
目標のビルに音もなく着地し、内部へと侵入する。
三階の踊り場。壁にもたれかかり、AK-47を抱いたまま眠りこけている歩哨の姿。ジェスターが、音もなく背後から近づき、ナイフでその首を掻き切った。男は、声を上げる間もなく、崩れ落ちる。血の匂いが、ふわりと漂った。これが、戦争の現実だった。
二階の廊下。ターゲットの部屋の隣のドアが、不意に、軋むような音を立てて開いた。中から現れたのは、銃を持った男ではなかった。小さな子供だった。裸足のまま、眠い目をこすりながら、俺たちの、異形の姿を呆然と見つめている。
時が、止まった。もし、この子が叫び声を上げれば、全てが終わる。
俺の指は、HK416のトリガーにかかっていた。一瞬、脳裏におぞましい選択肢が浮かぶ。だが、俺が動くよりも早く、ストーンが動いた。彼は、ゆっくりと片膝をつくと、人差し指を自分の唇に当て、「静かに」というサインを送った。彼の動きには、一切の殺気がなかった。
子供は、数秒間、ストーンをじっと見つめていたが、やがて、こくりと頷くと、音もなく自分の部屋へと戻っていった。
俺は、知らず知らずのうちに止めていた息を、細く、長く吐き出した。冷たい汗が、背中を伝う。
人質が監禁されている部屋へ、閃光弾と共に突入する。
「All clear!(オールクリア!)」
ストーンの声が、室内に響き渡る。俺は、震える人質の拘束を解きながら、今しがた自分たちが成し遂げたことの、その冷徹な現実を噛み締めていた。訓練ではない。本物の血と、硝煙の匂い。廊下で出会った子供の無垢な瞳と、目の前で弾け飛んだ男の頭部が、脳裏で混じり合う。
これが、俺の選んだ世界。
「Don't get sentimental, Hayato!(感傷に浸るな、ハヤト!)」ストーンの厳しい声が飛ぶ。「Secure the hostage. Start your escape. This is the real battlefield.(人質を確保。離脱を開始する。ここからが、本当の戦場だ)」
その言葉通り、建物の外から、AK-47の甲高い発砲音が聞こえ始めていた。街が、蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。
屋上へ続く最後の扉を蹴破り、俺たちは夜空の下へ転がり出た。カブールの空には、無数の曳光弾が赤い軌跡を描き、地上からは怒号と発砲音が絶え間なく響いてくる。
夜の闇を切り裂いて、二機のブラックホークヘリが、猛禽類のように降下してきた。
「Go!(行け!)」
ストーンの合図で、俺たちは人質をヘリへと押し込む。ブラッドとジェスターが援護射撃を行う中、俺は最後に機内に飛び乗った。
機内には、火薬の匂いと、荒い呼吸音だけが満ちていた。俺は、隣に座るブラッドと、クリスと、無言で拳を突き合わせた。
俺たちの初陣は、終わった。誰一人、欠けることなく。だが、俺の心に残ったのは、達成感ではなかった。廊下で出会った子供の瞳。そして、いとも簡単に奪った、人間の命の感触。
夜の闇に沈むカブールを見下ろしながら、俺は、この先続くであろう、長く、そして終わりのない戦いの始まりを、静かに受け入れていた。
March, 2021
晴れ
Kunar Province, Afghanistan
ヒンドゥークシュ山脈某所
(初陣の記憶は、誰にとっても重い。だが、それを背負って、前に進むのが俺たちの仕事だ)
カブールでの任務を生き延びた俺たちに、次なる任務が下された。アルカイダ系の武装勢力を現地でまとめる、通称「導師」の監視。
ヒンドゥークシュの険しい山々に潜入し、息を殺して、ターゲットの動向を監視する。
三日目の昼下がり。ターゲットは、現れた。彼は、伝統的な衣装に身を包み、長い髭をたくわえた、穏やかな顔つきの老人に見えた。そして、彼は、駆け寄ってきた一人の小さな女の子を、ひょいと抱き上げた。孫だろうか。彼は、その子の頬に、優しく口づけをした。
その光景に、俺は息を飲んだ。
テロリストの指導者。多くの人間の血を吸い、憎しみをまき散らす、悪の化身。だが、今、俺の目が見ているのは、孫を愛する、ただの優しい祖父の姿だった。
俺たちが戦っているのは、一体、何なのだ? 俺たちの敵は、本当に、分かりやすい「悪」なのだろうか。
数日後、俺たちの持ち帰った情報に基づき、導師の「排除」命令が下った。
作戦決行の夜。俺たちは、ターゲットの屋敷を見下ろす、崖の上にいた。バルコニーに、導師が姿を現す。
「Chris...fire.(クリス……撃て)」
ストーンの、非情な命令。
夜の静寂を切り裂いて、クリスのバレットM82が咆哮した。俺の双眼鏡のレンズの中で、導師の身体が、バルコニーから闇の中へと消えていった。
俺の進言で、一人の人間の命が消えた。その男は、悪党だったのかもしれない。だが、同時に、孫を愛するただの祖父でもあった。
引き金の重み。それは、ただ引き金を引く指先にかかるだけのものではなかった。作戦を組み立て、情報を分析し、そして、最後の引き金を引く仲間へと繋ぐ、その全ての過程に関わる者たちの魂に、等しくのしかかる、消えない重圧だった。
俺は、その重みを、初めて本当の意味で理解した。
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