Ep.14 BUD/S(地獄週間)

4 Years Ago


September, 2018

晴れ

California Coronado, United States

海軍特殊戦センター



 (BUD/Sの第一段階が、第四週目を迎えた。百五十名以上いたはずの候補生は、すでに半数近くにまで減っていた。そして、運命の日曜日の夜がやってきた。地獄週間(ヘルウィーク)へようこそ!)


 午後十時。突然、宿舎のドアが蹴破られ、凄まじい発砲音と閃光、そして怒声が嵐のように吹き荒れた。


 「Wake up, maggots! It's party time!(起きろ、蛆虫ども! パーティーの時間だ!)」

 教官たちが、M60機関銃を空に向けて乱射しながら、次々と宿舎になだれ込んでくる。催涙ガスが充満し、視界と呼吸が奪われる。俺たちは叩き起こされ、混乱の中、装備を身につけ、外へと引きずり出された。


 地獄週間(ヘルウィーク)。それは、日曜の夜から金曜の朝まで、五日間半(百三十時間)にわたって不眠不休で続く、BUD/Sの象徴とも言える訓練だ。この期間中、候補生は合計で四時間ほどの睡眠しか許されず、肉体と精神の限界を遥かに超えた、極限状態へと追い込まれる。


 夜が明けても、地獄は終わらない。凍てつく太平洋での長距離水泳、泥の中を匍匐前進で進み続ける「マッド・フラッツ」、そして、悪名高きログPT。全ての訓練が、休みなく、延々と繰り返される。


 火曜日の夜。俺たちは、全員が限界を超えていた。睡眠不足による幻覚が、あちこちで始まっていた。


 (美香……)

 彼女の顔が、波間に浮かんで消えた。俺は、なぜここにいる? 何のために、この苦しみに耐えている? 自問自答が、朦朧とした意識の中をぐるぐると回る。


 その時だった。ログPTの最中、ブラッドの足がもつれ、彼が担いでいた丸太の端が地面に落ちた。連帯責任。マクブライド教官が、悪魔のような笑みを浮かべて近づいてくる。


 「O'Connor, carry this log you love so much and go back and forth to the surf zone by yourself.(オコナー。貴様が愛してやまない、この丸太を担いで、一人でサーフゾーンを往復してこい)」


 それは、死刑宣告に等しかった。すでに体力を使い果たしているブラッドに、たった一人で二百キロの丸太を運ぶことなど、不可能だ。


 ブラッドは、唇を噛み締め、屈辱に顔を歪ませながら、丸太を担ごうとした。だが、彼の膝は笑い、身体は言うことを聞かない。


 「...Damn it...!(……クソッ……!)」

 彼の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちたのを、俺は見逃さなかった。あの自信に満ち溢れたオールアメリカンが、初めて見せた弱さだった。彼のプライドが、完全に打ち砕かれた瞬間だった。


 ブラッドが、力なく立ち上がり、あの鐘の方へと歩き出そうとした。誰もが、息を飲んだ。


 「Wait(待て)」

 静かな、だが、芯の通った声が響いた。クリスだった。彼は、ゆっくりと立ち上がると、ブラッドの前に立った。


 「We are your arms and legs(俺たちが、お前の腕と足だ)」

 そして、クリスは黙って丸太の端を担いだ。それに続くように、俺も、そしてクルーの他のメンバーも、次々と立ち上がり、丸太を肩に乗せていく。俺たちは、教官の命令に、公然と背いたのだ。


 そして、金曜日の夜明けが訪れた。

 「...That's it.(……ここまでだ)」


 静かな声が、砂浜に響いた。マクブライドだった。彼の鬼のような形相は、そこにはなかった。ただ、一人のベテラン兵士としての、静かで、そしてどこか誇らしげな表情があった。


 「Hell Week is now over. You are the survivors.(ヘルウィークは、今、終わった。貴様らは、生き残った)」


 その言葉が、すぐには理解できなかった。数秒の沈黙の後、誰かが、堰を切ったように泣き崩れた。


 俺たちのクルーも、例外ではなかった。俺たちは、五日間苦楽を共にした丸太をそっと砂浜に置くと、互いの肩を抱き合い、そのまま崩れるように座り込んだ。


 「...I did it...I did it…(……やった……やったぞ……)」

 ブラッドの目から、大粒の涙がこぼれ落ちていた。クリスも、静かに顔を伏せ、肩を震わせている。俺の目からも、熱いものがこみ上げてきた。この仲間たちと共に、地獄を生き抜いたという、魂の奥底から湧き上がる、激しい感動だった。


 百五十名以上で始まったクラス234は、この時点で、三十名を切っていた。



3 Years Ago


February, 2019

快晴

California Coronado, United States

海軍特殊戦センター



 (ヘルウィークがもたらした嵐が過ぎ去ると、コロナドには奇妙な静けさが訪れた。生き残った三十名弱の候補生たちの間には、もはや不要な敵愾心や見栄は存在しなかった。代わりに、言葉を交わさずとも互いの覚悟を理解し合える、静かで、そして鋼のように強固な連帯感が生まれていた。俺たちは、同じ地獄の釜の飯を食った、正真正銘の兄弟だった)


 だが、感傷に浸る時間は一瞬も与えられなかった。BUD/Sの第二段階「潜水段階(ダイブ・フェイズ)」、そして第三段階「陸戦段階(ランド・ウォーフェア・フェイズ)」が、休む間もなく俺たちに襲いかかった。


 水中での閉塞感と死の恐怖、そして、サン・クレメンテ島の荒野での、実弾が飛び交う近接戦闘(CQB)訓練。俺たちは、ブラッドの天性の攻撃性、クリスの神がかり的な狙撃術、そして、俺の情報分析能力を組み合わせ、一つの生命体のように戦う術を、その身体と魂に刻み込んでいった。


 そして、半年に及んだ地獄の果てに、卒業式の日がやってきた。


 コロナドの青い空の下、俺たちは真新しいカーキ色の制服に身を包み、整列していた。半年前、百五十名以上で始まったクラス234の、これが最終的な姿だった。


 「Kamiya, Hayato!(カミヤ、ハヤト!)」

 俺は、一分の隙もない動きで司令官の前へ進み、敬礼した。マクブライドといった、俺たちを地獄の底に叩き落とした教官たちが、今は誇らしげな表情で俺たちを見つめている。


 司令官が、小さな金色の徽章を俺の胸に突き刺した。鷲が、錨と三叉の銛(トライデント)、そして拳銃を掴んだ、SEALsの象徴。ズシリ、と胸に突き刺さる金属の感触は、物理的な重さ以上の、計り知れない重みを持っていた。


 (美香……義之さん……俺は、やったぞ)


 心の中で、静かに呟く。アナポリスの誓いの日から、何年経っただろうか。遠く、果てしなく遠い道のりだった。だが、これはゴールではない。本当の戦場に立つための、スタートラインに過ぎない。


 式が終わり、家族との感動的な再会が繰り広げられる中、俺たち三人は、少し離れた場所からその光景を眺めていた。ブラッドの元には、テキサスから駆けつけた彼の両親と、手紙の主である恋人が駆け寄り、涙ながらに抱き合っている。クリスの元にも、年老いた母親が、息子を誇らしげに見上げていた。


 俺の元に来る者は、誰もいない。だが、不思議と孤独は感じなかった。


 「...But without you guys, I wouldn't be here. This belongs to the three of us.(……だが、お前たちがいなけりゃ、俺はここにいなかった。こいつは、俺たち三人のもんだ)」


 家族との再会を終えたブラッドが、俺とクリスの肩を力強く抱いた。


 しかし、感傷に浸る時間は長くは続かなかった。BUD/S卒業は、あくまでSEALsになるための第一関門に過ぎない。本当の訓練は、ここから始まるのだ。


 翌週、俺たちは「SQT(SEAL Qualification Training)」と呼ばれる、二十六週間に及ぶさらに専門的な訓練課程へと進んだ。BUD/Sが候補生をふるいにかける「選抜」の場であったのに対し、SQTは、生き残った者たちを本物の特殊部隊員へと作り上げる「教育」の場だった。


 高々度降下低高度開傘(HALO)による空中潜入、砂漠や雪山でのサバイバル技術、情報収集と分析、そして、ありとあらゆる状況を想定した、実弾による戦闘訓練。


 長いようで、あっという間の日々だった。そして、ついに俺たちは、SEALs隊員として、実戦部隊へと配属される日が来た。


 俺たち三人は、奇しくも同じチームへの配属が決定した。バージニア州に拠点を置く、DEVGRUデヴグルー(海軍特殊戦開発グループ)……通称「SEALチーム・シックス」だった。


 そこは、SEALsの中でも、さらに選び抜かれた者たちだけが集う、エリート中のエリート部隊。彼らが赴くのは、世界で最も危険な、光の当たらない戦場だ。


 トライデントの重みが、再び、俺の胸にのしかかった。それは、BUD/Sを卒業した時の誇らしさとは違う、もっと冷徹で、現実的な重圧だった。これから俺たちが向かうのは、訓練ではない、本物の戦場だ。失敗が許されない、死が常に隣にある世界。


 だが、俺はもう一人ではなかった。隣には、ブラッドとクリスがいる。俺たちは、このトライデントの重みを、三人で分かち合っていくのだ。


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