第2話 銀のペンダントと、もう一つの呼び出し

 次の日、学校へ行くのもそっちのけだった。 あの銀のペンダントは、僕のポケットの中で、触るたびに冷たく、そしてどこか温かいような気がした。


 シンプルなデザインだが、よく見ると繊細な模様が彫られ、中心には小さな、青く輝く石のようなものが埋め込まれている。


「ねえ、これ、どこで拾ったの?」


  昼休み、親友の健太がのぞき込んでくる。


「駅前。……公衆電話のところで」


「へえ、珍しいね。でも、落とし主、探すの大変そうだな。警察に届けるか?」


「……いや、ちょっと待つ。もしかしたら、また連絡があるかもしれないから」


 健太はきょとんとした顔をした。


「連絡?落とし主が? どうやって?」


 説明できない。昨夜の出来事は、あまりに非現実的すぎた。


 放課後、僕は真っ直ぐに駅前の公衆電話へ向かった。雨は上がり、昨日の嵐が嘘のように晴れ渡っている。ボックスは何事もなかったように静かに佇んでいた。


 ためらわず受話器を取る。昨日の女の子が言っていた数字、「83…45…」。 これはこの電話の番号の下4桁だ。番号を確認すると、確かに「○○-○○××-8345」となっている。 彼女はなぜ、この電話の番号を知っていたのだろう。偶然?それとも――。


 ふと、考えた。もし彼女が、どこか別の公衆電話からかけていたのなら……。


 僕はポケットから小銭入れを取り出し、10円玉を投入する。そして、ダイヤルを回す……いや、押す。最新の公衆電話はほとんどプッシュ式だ。


『こちらは、お客様のおかけになった○○-○○××-●●●●には、お繋ぎできません――』


 機械的なアナウンスが冷たく響く。当たり前だ。彼女の声以外、何の手がかりもない。


 がっくりと肩を落とし、受話器を置こうとしたその時だった。


 リンリンリンリン――!!


 突然、激しいベル音が僕の鼓膜を揺さぶった。 心臓が跳ね上がるほど驚いた。手に持った受話器は、まだ切断されていないはずなのに、まるで外線の呼び出しを受信しているかのように鳴り響く。


「……まさか……」


 震える声でそう呟くと同時に、受話器の向こうから、か細くも懐かしい声が聞こえてきた。


『……もし……もし……? 聞こえますか……?』


「聞こえてる!君か! 昨日の!」


 僕は叫びそうな声で答えた。周囲を通り過ぎる人々が怪訝そうな顔でこっちを見るのも構わない。


『……良かった……また、繋がった……』


 彼女の声は、昨日よりも少し落ち着いているように感じた。それでも、まだ震えは残っていた。

『あの……私、なんでまたこの電話に……?』


「君が教えてくれたんだよ!“83…45…”って! これはこの電話の番号だ! 君はどうして知ってるの? 君は今どこにいるの!?」


 問い詰めるように聞く僕に、彼女は少し間を置いた。


『……わからない……本当に、わからないの……』


『私……ここがどこなのか、いつなのかも、よくわからなくて……』


『でも……あなたの声が、聞こえたとき……なぜか、ほっとした……』


『この電話だけが、唯一の頼りなの……』


 彼女の言葉はますます謎に包まれていく。時空が歪んでいるような、そんな不可思議な感覚に襲われる。


「待ってくれ。落ち着こう。まず、君の名前は? 僕は祐介。鎌倉祐介だ」


『……なまえ……』 彼女は呟く。


『……ゆき……私は、ユキ……』


 ユキ。雪のように潔い、その名前を聞いた瞬間、なぜか胸がきゅっと締め付けられた。


「ユキか。よかった、名前がわかって。ユキ、よく聞いて。僕は今、駅前の公衆電話に立っている。周りにはコンビニがあって、大きな看板がある。わかるか? 心当たりは?」


『……ごめんなさい……わからない……』


 彼女の声が曇る。


『私の周りは……いつも霧がかかっているみたいで……遠くに街明かりは見えるけど、よく見えない……』


『それに……雷が鳴るたびに、電話が切れちゃいそうで……怖い……』


 雷。昨日も雷鳴とともに切れた。 もしかしたら……何かの“条件”が重なった時だけ、この不可思議な通信は成立するのかもしれない。


「わかった。怖がるな。もう大丈夫だ」


 僕は自然と、優しく囁くような口調になっていた。


「次に雷が鳴ったら、また切れちゃうかもしれない。だから、約束してくれ。また電話をくれるか?明日、同じ時間に。僕、ここに来るから」


 受話器の向こうで、息を呑む音がした。


『……本当に……?あなた、私に……会おうとしてくれるの……?』


「当たり前だよ。君は助けを求めてるんだろ?それに……」


 僕はポケットの中のペンダントに触れた。


「君の、大事なものを預かってる。返さなきゃ」


『……私の……?』


 彼女の声は、純粋な驚きに満ちていた。彼女は、ペンダントを落としたことすら知らないのか?


 その時――。 ゴロゴロ…… 遠くで、かすかに雷の音が聞こえた。


『!』


『……もう……行かなくちゃ……』


 彼女の声が急に焦り出す。


「待って! ユキ!」


『……約束……します……』


 彼女の声はかすれていく。


『明日……また……ここから……』


『祐介……さん……』


 ……パチン……


 電話は、昨日と同じように、あの短い破裂音とともに切れた。


 僕はぼうっと立ち尽くした。受話器からはツーントゥーンという音しか聞こえない。現実に引き戻された感覚と、彼女――ユキとの奇妙な約束が、頭の中でぐるぐると渦巻いていた。


 彼女は幽霊なのか? それとも、別の時間にいるのか? そんな非現実的な可能性すら、真剣に考え始めている自分がいた。


 一つだけ、確かなことがある。 僕は、彼女に会いたい。たとえそれが、常識では考えられないことだとしても。


 僕はもう一度、銀のペンダントを取り出し、じっと見つめた。 青い石が、夕日を受けて、優しく、そしてどこか哀しく輝いているように見えた。











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