第17話 手紙

 話を終えて応接間から出ると、十二歳くらいの少年が廊下にたたずんでいた。

 小夜と視線が合い、少年はおもむろにたずねる。

「あなたが、僕の姉様ですか?」

 どうやら夫妻との話し合いがもう耳に入ってしまったらしい。

 真仁は「玄関で待っている」とだけ言って先へ行き、小夜は少年へ近づく。

「ええ、そうです。十五年前、行方不明になった小夜です」

「……姉様」

 少年は涙をこらえるようにして言った。

「生きていらっしゃったんですね。まさか、こうして会えるとは……っ」

「清孝くん、でしたよね。朝彦くんと夕彦くんから聞いています」

「っ……」

 彼もまた、小夜がいないことを寂しく思っていたのだろう。涙を見せまいとして慌てて袖で拭い、輝くような笑顔を見せた。

「あなたにお話したいことがたくさんあります。こちらでお暮らしになられるのなら、その時にはいっぱい、いっぱいお話しましょう」

「ええ、わたしもたくさん聞きたいことがあります。お父様たちが用意をしてくれるそうなので、それまでおたがいに楽しみにしていましょう」

「はいっ。お待ちしています、小夜姉様」

 清孝が嬉しそうに笑い、小夜も笑みを返してから玄関へ向かった。素直でかしこそうな弟だと、内心で嬉しく思った。


 真仁の口から報告を聞き、真之介はまぶたを片手で覆って息をついた。

「よかった……」

 ぽつりともれた言葉に小夜は頬をゆるめてしまう。

 すると、朝彦と夕彦が立ち上がった。

「小夜姉、兄さんと結婚するの?」

「ぼくたちの姉さんになるってこと?」

 真仁は少々困惑した様子だが、短く肯定した。

「そういうことだな」

 そして居間を出ていき、自室へと向かう。

 朝彦たちはすぐに小夜の前までやってきた。

「やったね、小夜姉!」

「一緒にいられるの、嬉しい!」

「ええ、わたしも」

 と、小夜が返せば、真之介が割りこんでくる。

「おれの嫁だ。お前たちの遊び相手ぢゃない」

 すると朝彦がにやつきながら言った。

「分かってるよ。でも、小夜姉はシャンぢゃないか」

 はっとして小夜はたずねた。

「その、シャンって何ですか? 前にも聞きましたけど」

 視線を真之介へ向けると、彼は頬を赤くさせた。代わりに夕彦が笑顔で答える。

「美人って意味だよ」

 小夜の頬もかっと熱くなる。

 双子がくすくすと笑い、真之介はたまらず廊下へと逃げた。小夜が思わず後を追うと、気づいた真之介が足を止めて振り返った。

「その……おれはきみのことを、外見で選んだわけぢゃない」

 と、どこか言い訳のように言われて、小夜は穏やかに返す。

「わたしもです。外見で選んだわけぢゃなくて、やさしくて不器用なところが好きです」

 真之介は耳まで真っ赤にすると、玄関へ向かって駆け出した。

「あっ、真之介さん」

 呼び止めようとした小夜だが、考え直してやめた。

 ふと振り返ると、双子が居間から顔だけを出してのぞき見ていた。真之介が逃げ出したのは、彼らのせいだったようだ。

「まったくもう」

 と、怒って見せながらも小夜は言った。

「それぢゃあ、わたしは離れへ戻っているから」

 二人はこくこくと黙ってうなずいた。

 多少は罪悪感を覚えているらしいと察し、小夜は背中を向けてから小さく吹き出した。あいかわらず可愛い少年たちだ。


 夕方になり、宗一郎は再び体調を崩したようだった。朝は落ち着いていたように見えたが、やはり無理をしていたのだろう。

 小夜たちに背を向け、布団に横たわったまま、宗一郎は言った。

「あとはあの門だが、誰も近づかないようにすればいいだけだな。それさえできれば、ひとまずは安心だ」

「ああ、すでに頼んである。明日には門の周りに、厳重げんじゅうな囲いを作ってくれることになった」

 真之介がそう答えると、宗一郎は「そうか」とだけ短く返した。その声には、安堵と疲労が入りまじっているように聞こえた。

 小夜は部屋に重苦しい、気まずい空気が流れているのを感じていた。しかし、何か言葉を発しようにも、適切な言葉が見つからなかった。

 代わりに、これまでずっと心の中で考えていたことを、意を決して口にした。

「あの、わたしの荷物だけでも、未来に返せないでしょうか?」

「荷物を未来に?」

 真之介が驚いたように視線を向け、小夜は続けて説明する。

「わたしを育ててくれた両親に、せめて手紙だけでも残したいんです。かばんの中に手紙を入れて返すことができたら、あちらにいるやさしい人が、家族の元へ届けてくれるかもしれません。そうしたらきっと、あちらの両親も少しは悲しみを癒やしてくれると思うんです」

「なるほどな。確かにかばんやその中身は、ここにいつまでも置いておけない。歴史に干渉させないためにもいい考えだ」

 と、真之介は小夜の言葉に納得し、宗一郎もまた口を開いた。

「一か八かと言ったところだが、悪くはないね。明日には囲いを作るなら、今晩中にすませてしまうといい。夜闇に紛れれば、人目を気にすることもない」

「ありがとうございます」

 小夜は心底ほっとした。

 いつまでもかばんやスマートフォンが手元にあると、未来への未練が断ち切れず、過去で生きていく決意がゆらいでしまいそうで怖かったのだ。

 育ての親への手紙もまた、小夜なりのけじめであり、感謝の気持ちを伝える最後の機会だった。


 部屋へ戻り、文机ふづくえで手紙を書いた。

 紙は手帳についているメモを使い、愛用のボールペンを使って書いた。どうせ未来に返すのだから、未来のものを使うのがいいと思ったのだ。

 書き出しはなかなか思い浮かばなかったが、「小夜は元気でやっています」という一文で始めると、後はすらすらと書けた。

「事情があってお母さんたちの元には帰れないけど、どうか心配しないでください。それと、せっかく大学受験をしたのに、通えなくてごめんなさい。きっと今頃、たくさん迷惑をかけていると思うと、わたしも辛い気持ちになります」

 母親の手料理がふいに懐かしくなった。少し濃いめの味噌汁と、よく食卓に出ていた茄子なすの漬物が恋しい。

「急にこんなことになってしまって、ごめんなさい。でも、本当にわたしは大丈夫なので、それだけは信じてください。わたしは新しく見つけた居場所で、必ず幸せになります」

 父親は日曜大工が趣味だった。幼い頃に作ってもらった椅子と机は小夜のお気に入りで、いつか一人暮らしをする時が来たら持っていくつもりでいた。

「お父さん、お母さん、これまでありがとう。二人の子どもになれて、小夜はとても幸せでした。本当に本当にありがとう。もう二度と会えなくても、ずっと大好きです」

 書き終えて息をつく。

 途中、泣きそうになった小夜だったが、意外にも涙は出なかった。

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