第2話 鈴

 やがて宗一郎が戻ってきて、開きっぱなしになっていたふすまを閉めた。

 丸いちゃぶ台を挟み、二人の向かいにゆっくりと腰を下ろす。

「さて、まずはくわしい話を聞こうぢゃないか」

 縁側とは反対の襖が開き、女中と思われる老婆が茶を運んできた。

 真之介は困ったように小夜を見た。

「いつもみたいに界統鎮かいとうしずめの儀を始めたら、急に門から飛び出してきたんだ」

「儀式の途中、ということかい?」

「ああ。こんなことは初めてだからびっくりして、すぐに返そうとしたんだが……」

「拒絶された、と」

「うん」

 三人の前に茶を置いた女中が去っていき、小夜は二人の顔を落ち着きなく交互に見つめる。

 すると宗一郎が小夜を見た。

「小夜さんの話も聞かせてくれるかい?」

「あ、はい。えっと……」

 こちらの世界へ来る前に何があったか、小夜は思い出しながら話す。

「道を歩いていたら、変な門を見つけたんです。鈴の音がして、門の向こうから聞こえてるみたいだって気づいたから、近くに寄ってみたら……吸いこまれた、みたいな感じで」

「鈴はこれだな」

 と、真之介が取り出したのは銀色の鈴だ。赤いひもに数個ずつくくられたものが、三つほどたばねられたものだった。

 軽く振ると小夜の聞いた音がした。

「そう、それです。その音が聞こえたんです」

 宗一郎はあごに手を当てて考えこむ。

「門の向こうに音が聞こえていたのか。とすれば、ますますおかしいな」

「鈴の音で浄化するんだから、普通はその時点で誰も通さなくなるはずだよな」

「ああ、そう言われてきたけれど……」

 宗一郎はゆのみに手を伸ばし、茶を一口飲んだ。

「しかし、衣装はどう見ても未来人だ。何らかの原因があって、こちらへ来てしまったと考えるほかないな」

「そうなんだよな。けど、母屋おもやには置いておけない。ここの客間で寝泊まりさせてやってくれないか?」

「ああ、そうするのがいいな。あちらは何かとにぎやかだし、朝彦も夕彦も、未来のことを聞きたがるだろう」

「それがどれだけまずいことか。親父には話しておくつもりだけど、朝彦たちには絶対に内緒だ」

「そうだね」

 宗一郎はうなずくと「しの」と、呼んだ。

 先ほどの女中がやって来て、宗一郎は客間を用意するように言った。しのはうなずき、ちらりと小夜の方を見てから、再び廊下を去っていった。


 案内された客間には布団ふとんがあり、そのそばにはきちんとたたまれた浴衣ゆかたも置かれていた。どうやら、寝間着ねまきとして使えるようにという配慮はいりょのようだ。

 女中のしのは最低限の説明だけをすませると、すぐに部屋を去ってしまった。あまりにも事務的な態度に、小夜は戸惑わずにはいられなかった。

 一人、広々とした部屋に残された小夜は、呆然と立ちつくした。

「本当にここ、大正時代なんだ……」

 窓の外に広がる町並みは、教科書で見たような古きよき日本の風景だった。瓦屋根の家々がのきつらね、通りを行きかう人々全員が和装に身を包んでいる。

 大正時代と聞いて一般的に思い浮かべるような、モダンな洋装の人影はどこにも見当たらない。どうやらこの辺りは都市部とは言えない、閑静かんせいな地域のようだと小夜は察した。

 深いため息を一つついて、その場に腰を下ろす。

 ふと思い立ち、持っていたかばんからスマートフォンを取り出した。まだ充電が残っており、電源を入れることができた。

「けど、電波はないよね」

 当然だと分かっていながらも、やはり小夜はがっかりしてしまう。画面に表示される圏外けんがいのマークが、現実を突きつけるように思えた。

 オフラインでもできることといえば、写真を撮ることくらいだろう。しかし、未来へ帰ることを考えると、過去の写真を撮るのは決していいことではないはずだ。それこそ、歴史に干渉することになりかねない。

 未来に帰ることができず、過去にも居場所がない。どっちつかずの宙ぶらりんな状態に思えてきて、小夜は再び大きなため息をついた。


 真之介が母屋へ向かうと、玄関先で遊んでいた少年たちが気づいて声をかけてきた。

「兄さん、おかえりー!」

 朝彦あさひこ夕彦ゆうひこだ。

 二人はそっくりな顔をした双子で、真之介の歳の離れた弟だった。髪はまだ幼いせいか、真之介よりも少し明るいくり色をしている。

「おう、ただいま」

 と、真之介が短く返すと、二人がすぐそばへ寄ってきて口々に言う。

「儀式やって来たんでしょ? うまくできた?」

「兄さんのことだから、きっと簡単だったよね」

 少し生意気な口をきくのが朝彦で、純粋なあこがれのまなざしを向けるのが夕彦だ。

 彼らの言葉に、真之介は内心苦笑した。

 しかし小夜の存在を告げるわけにはいかないため、真之介は視線をそらす。

「悪いが、ちょっと親父に用があるから、また後でな」

 と、双子たちの間を通り抜けた直後だった。

「兄さん、変なにおいがするよ」

 ドキッとして真之介が立ち止まると、夕彦が鼻をくんくんさせて言う。

整髪料ポマードのにおいぢゃないね」

「かいだことのないにおいだなぁ」

「うん、かいだことないにおいだね」

 朝彦と夕彦が顔を見合わせて首をかしげる。知らない何かのにおいへの純粋な疑問が浮かんでいた。

 きっと小夜のにおいだ。門から現れて一緒に倒れこんでしまった時に、未来の何かのにおいが真之介に移ってしまったに違いない。

 真之介は内心でため息をついた。

「悪いが急いでるんだ」

 と、真之介は二人を振り払うようにして玄関へ向かい、戸へ手をかけた。朝彦たちに勘付かれる前に、早くこの場を離れたかった。


 電波がないのではゲームもできない。スマートフォンはただの板と化している。バッテリー残量は徐々に減っていくが、モバイルバッテリーを使う必要性を感じられない。

 小夜は退屈を持てあまし、畳の上に寝転がってごろごろしていた。天井の木目模様を数えたり、箪笥たんすや襖をまじまじと観察してみたりしたものの、時間の流れはあまりにもゆるやかで、退屈がつのるばかりだった。

「いつ帰れるんだろ……」

 頬に畳の跡がつくのもかまわず、べたっとうつ伏せになる。

 慣れない和室のにおいが鼻腔びこうをくすぐる。都会育ちの小夜にとって、すべてが新鮮であり、同時に居心地の悪さも感じていた。

 十八歳になって、アルバイトで貯めたお金を使って、昔からずっと考えていたことをようやく実行に移した。その最中に過去へ飛ばされてしまったなんて、不遇ふぐうにもほどがある。

「まだ、何も見つけられてないのにな」

 つぶやくと気持ちがさらに沈んで、小夜は何度目かのため息をついた。早く元の時代へ帰りたかった。

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