第1話 1925年

 気づいた時、小夜は見知らぬ誰かの上に倒れていた。

「ごめんなさいっ」

 はっとして飛びのくと、尻に妙な感触を覚える。地面についた手の平には土がついていた。

 不思議に思う間もなく、小夜が下敷きにしていた男が体を起こす。

「なんなんだ、いったい」

 はっとして彼を見た小夜は、一瞬にして困惑した。

「え……?」

 広々とした空き地がどこまでも続いていた。道は舗装ほそうされておらず、草が生え放題になっている。遠くに見える民家は古めかしく、まるで見覚えのない景色だ。

 古めかしいと言えば、目の前にいる男もだった。黒い詰襟つめえりにマントを羽織はおり、下駄げたをはいている。地面に落ちた学生帽を拾い上げ、かぶりながら男は言った。

「儀式の途中、未来人が飛び出してくるなんて初めてだ。ほら、立て」

 うながされて小夜は立ち上がる。

 すると男が肩をつかみ、小夜の体を回して後ろを向かせた。

「門が見えるだろう? 帰りなさい」

「えっ?」

 そこにあったのは門だった。つい先ほど、小夜が見つけた門だ。

 金属製らしい細いフレームに、上部がつながっていて簡略かんりゃく化した鳥居のようでもある。向こう側に見えるはずの景色は、陽炎かげろうのようにゆらいでいてはっきりとしない。

 戸惑う小夜を見かねてか、男が背中を押して門をくぐらせようとした。

「ちょ、ちょっと待って」

 と、小夜が言った直後――門が反発するかのように、見えない力で小夜の体を押した。

「きゃあっ」

「うわっ」

 男とともに思わず数歩下がった小夜は、目をぱちくりさせてしまう。何が何やら分からない。

 すると男も戸惑った様子でつぶやく。

「なんだ、今の……まさか、拒絶されたのか?」

「拒絶……?」

 無意識に繰り返した小夜は振り返り、初めて男と視線が合った。

 身長は小夜より十センチ程度高いだろうか。痩せ型で、切れ長の目にナチュラルな眉毛。すっと通った鼻筋の下に、端正な形の唇がある。

 思わず目を奪われた小夜は我に返り、頬を赤らめて顔をそらす。

 男の方も気づいたらしく、すぐに小夜から手を離した。

「す、すまない……」

「い、いえ……」

 妙な雰囲気になってしまったところで、小夜は我に返った。

「じゃなくて、何ですかここは!?」

「え?」

「周り、何も無いじゃないですか! どこなんですか、ここ?」

 男は理解した顔を見せてから、気まずそうに視線をそらす。

「大正十四年三月二十日。未来人であるきみからすれば、過去にあたる」

「大正……? えーと、西暦は?」

「一九二五年だ」

「百年前!?」

 小夜が驚いて声を上げると、男は困ったように眉尻まゆじりを下げた。

「とりあえず、おれについてこい。拒絶された未来人なんて初めてだ。何が起こってるのか調べないと」

 返事も待たずに歩き出し、小夜は慌てて男の隣へ並ぶ。

「どういうことなんですか?」

「知らん。古い文献ぶんけんに何か書いてあるかもしれないし、宗一郎そういちろうが何か知ってるかもしれない」

「あの、あなたは?」

 男がちらりと小夜を見る。

園ノ宮真之介そののみやしんのすけ界統御者かいとうぎょしゃだ」

「かい、とう……?」

 聞き慣れない言葉に首をひねる小夜だが、すぐに思い直して自分も名乗る。

「わたしは中林小夜です」

「そうか。小夜、よけいなことは話すなよ」

「え?」

「未来人に干渉かんしょうされると、世界が狂っちまう。そうさせないためにおれたちがいるんだが、とにかくこっちに干渉するな。おれはきみを元の場所へ戻したら、きみのことを綺麗さっぱり忘れなきゃならん」

「……なるほど、です」

 フィクションにもよくあるルールだ。タイムスリップした先ではよけいな干渉をせず、痕跡こんせきを残してもいけない。

 しかし、小夜には聞きたいことがいくつもある。あの門はいったい何なのか。どうして自分は未来から過去へ来てしまったのか。

 などと考えているうちに、真之介はどんどん先を進んでいく。小夜は置いていかれまいとして、必死に背中を追いかけた。


「ここだ」

 真之介はそう言ってかわら屋根のついた立派な門をくぐった。

 そこにあったのは純和風の日本家屋だ。左右だけでなく奥行きもあり、広い敷地があるのが分かる。

 小夜はびくびくしながら真之介の後をついていく。

 真之介は目の前に見える建物ではなく、庭を突っ切って奥にある建物へ向かった。

 小さめの平屋であることから、どうやら離れらしいと分かる。

「おい、宗一郎、いるか?」

 と、縁側から中へと声をかける。

 すると人の気配がし、ゆっくりと障子しょうじが開いた。

「ご苦労だったね、真之介」

 と、顔を出したのは、涼やかな目元が印象的な美青年だ。草色の和服を着ており、色が白くて線が細い。年は真之介より五歳くらい上だろうか、二十代半ばに見えた。

 真之介がむすっとした表情でどかりと縁側に腰を下ろすのを見て、和服の男は小夜に気づいた。

「おや……これはいったい、どういうことだい?」

 小夜は居心地が悪くてそわそわしてしまったが、かまうことなく真之介は言う。

「返そうとしたら拒絶されたんだ」

「拒絶?」

「こんなことは初めてだ。あの場所に放っておくこともできないから、連れてきた」

「ふむ、妙なこともあるものだね」

 そう言ってから男は小夜へ向けて目を細める。

「私は園ノ宮家の当主、宗一郎だ」

「中林小夜です」

 と、反射的に名乗ってからはっとしたが、真之介は何も言わなかった。

 宗一郎は穏やかな口調で言った。

「すぐに元の世界へ返す方法を探すから、ひとまずお上がりなさい」

「は、はい。お邪魔します……」

 と、小夜は縁側へ近づき、先に真之介が下駄を脱いで上がる。

 その後をついていくようにして小夜も中へ入るが、立派な屋敷でありながら人気がないのを不思議に思った。

 障子の向こうは広々とした和室で、床の間に掛け軸がかかっていた。小夜には読めないが、何か立派な書のようだ。

 宗一郎はどこかへ行っており、小夜は真之介にならってたたみに腰を下ろす。

 肩にかけていたショルダーバッグを横へ置くと、真之介が視線をよこしてきた。

「何が入ってるか知らんが、未来から持ってきたものは、そのまま未来に持ち帰るんだぞ」

「あ、はい。そうですよね」

 かばんの中にはスマートフォンやICカード、財布にハンカチ、リップにモバイルバッテリーなど、二〇二五年のものが入っている。過去に忘れものをしないよう、小夜は気をつけなくちゃと思った。

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