第30話 模様替え
王都へ提出した完了報告は、早馬で無事に届けられ、その返事もまたイオネス山脈の麓へと届いた。
こうして、エリックとレオポルトは帰路へついた。冬ということもあり、帰路は行きよりもずっと時間がかかった。
エリックはレオポルト、ヘンケルと同じ馬車へと乗り込んだ。エリックが遠ざかる山々を窓から眺めていると、レオポルトが「そうだ」と呟く。
「帰ったら、俺たちの部屋の模様替えをしよう」
ヘンケルは目を見開いて、ぽかんと口を開ける。エリックも目を丸くして、レオポルトに振り向いた。レオポルトは二人の反応に、「なんだ、二人とも」と苦笑する。
「さすがに、家具の老朽化が酷いんだ。新調せねばならないと思ってはいたのだが、先延ばしにし続けていた」
その表情は、どこか晴れやかだ。エリックは、レオポルトの部屋を思い出す。
ぼろぼろの家具に、空のクローゼット。埃を被ったアクセサリー入れ。
それらはすべて、彼が母と過ごした日々の思い出のよすがだろう。
そしてレオポルトにとって、それらはきっともう不要になったのだと、エリックは思った。
「いいんですね?」
エリックの問いかけに、レオポルトは「ああ」と穏やかに頷く。ヘンケルはほっと息を吐いて、窓へともたれかかった。
レオポルトはにやりと笑って、隣に座ったエリックの手を取る。
「お前の好みで部屋を内装しよう。どんな豪華な家具だろうが絵画だろうが、なんでも用意するぞ」
「えっ、そんなこと言われても……内装のことなんて、よく分からないです」
困り顔のエリックを見て、レオポルトが「困っているところもかわいい」と指を絡めた。ヘンケルはげっそりした表情になって、脚を組んで虚空を見つめた。馬車と一体化するように壁へよりかかって、黙り込む。
そんなヘンケルを無視して、レオポルトはエリックの肩に腕を回した。
「エリック。これから先、お前がどんなことを望もうと、俺はそれを叶えてやりたい」
ふうん、とエリックは気のない返事をした。そっぽを向く。
「僕のことが、自分で何もできない子猫ちゃんにでも、見えてるんですか?」
「いいや。子猫のようにかわいいと思ってはいるが、お前はひとりで、どこまでも行ける人だと知っているよ」
だからこそだ、とレオポルトは囁く。エリックはレオポルトを見上げて、身体をもたれさせた。
「そんなことしなくても、離れませんよ。地獄にだってお供します」
エリックの言葉に、レオポルトは甘い笑みを浮かべて頷く。空気になったかわいそうなヘンケルは、「王都に着いてからやってくれ」とうめいた。
やがて、馬車の旅も終わる。エリックとヘンケルは道中喧嘩もせず、お互いなりに名残を惜しみながら、王都へ帰った。
そしてレオポルトは、国王へ成果を報告するため、御前へ出ることになった。エリックも、謁見を許された。
二人で玉座の前に通され、先にレオポルトが跪く。彼が跪く姿は、生まれて初めて見た。エリックも、続いて跪く。
国王は――レオポルトの父は、報告の後、ゆるく頷く。
「大義であった。褒美を取らせよう。何を望む」
「それでは、私の私室の、新たな家具を賜りたく存じます」
レオポルトの言葉に、周りがどよめく。国王は「面を上げよ」と命じて、レオポルトをまじまじと見た。
「……そんなものを望むのか。誠に、それでよいのか?」
「はい。私が真に望むものです」
王は、そうか、と頷く。ではそのように、と宣言がなされ、レオポルトの褒美は決まった。次いで、エリックの名を呼ばれる。
「褒美に何を望む」
エリックの欲しいものは、ずっと前から決まっている。
「いつまでもレオポルト殿下のお側で、お仕えしとうございます。それ以外に、私の望むものはございません」
視界の隅で、レオポルトの肩がわずかに揺れた。
王はしばらく黙り込んだ。レオポルトとエリックを交互に見た後、頷く。
「エリック・クレーバー。面を上げよ」
言われた通り、顔を上げる。国王の緑の瞳が、エリックを射抜くように見つめた。
「この褒美の機会は、一度きりだ。それを承知で、何もいらぬと申すか」
「いいえ、望むものはございます。先ほど申し上げたものでございます」
エリックの本心だ。微笑みを浮かべると、そうか、と王は肘置きを指で叩いた。
「ならば、構うまい」
エリックは、深く頭を下げた。唇には、自然と笑みが浮かぶ。
「ありがたき幸せに存じます」
こうして、二人の謁見は終わった。玉座の間から出ると、杖を突く音が耳を叩いた。宮廷服を着た、ドミニクだ。彼は忌々しげに顔を歪めて、口を開く。
「話は聞いているぞ」
エリックはにわかに緊張した。レオポルトが肩を叩いて、解きほぐしてくれる。
レオポルトは「大叔父上」と、爽やかに微笑んだ。
「わざわざお声掛けいただき、ありがとうございます」
「私の子飼いは役に立っただろう」
ドミニクは、それを無視して言葉を続けた。エリックが警戒するように踵を後ろへずらすと、しわの奥の青い瞳が射貫いてくる。
「今のうちに、この世の春を楽しむがいいさ。そこの獣は、主人をよく見定めておくように。雄犬の尻を追っていても、未来はないぞ」
そして、二人の返事も聞かずに、ドミニクは立ち去っていった。エリックが思わずレオポルトを見上げると、彼はわずかに顔を険しくしていた。
「殿下」
そっと手を引くと、レオポルトは我に返ったように肩を震わせる。そして首を横に振って、「行こう」とエリックの手を取った。
しばらく王宮を歩く。いつも通り、あの荒れた庭園へと向かう道だ。
レオポルトは人目がなくなってすぐ、エリックを物陰へと引き込んだ。その青い瞳は、不安げに揺れている。
「どうしたんですか?」
エリックが尋ねると、レオポルトは唇をわずかに噛んだ。そして、口を開く。
「お前は、本当に、あれでよかったのか? 王に望めば、許される限り、なんでも叶うはずだったのに」
「うーん……他に願い事なんか、ないですし」
首を傾げるエリックに、そうか、とレオポルトは呟く。
拍子抜けしたような顔だった。それからじわじわと、目が細められていく。何かを悔いるような顔だった。
「……研究所に、元の立場に、戻りたくはないか? 今ならまだ、戻れるはずだ」
ちいさな掠れ声で、レオポルトが尋ねる。いつになく自信のない様子に、エリックは思わず笑った。
エリックにはよく分からないが、さっきのドミニクの言葉は、レオポルトのやわらかいところを引っかいていったのだろう。
「戻りたくないって言えば、嘘になります。でも戻れないでしょう?」
エリックの言葉に、レオポルトの瞳がさっと伏せられた。それに、とエリックはさらに続ける。
「あなたの側にいる方が、ずっといい」
途端にレオポルトの腕が伸びて、エリックをきつく抱きしめた。慌てて抱きしめ返して、肩に顔を埋める。
(また急に、寂しくなったのかな)
エリックは目を瞑って、彼に頬擦りをする。
抱擁は無言のうちに解けた。レオポルトはエリックの手を引いて、歩き始める。
そしてあの荒れたちいさな庭園へ、二人はたどり着いた。雪がしんしんと降り積もり、あたり一面は真っ白だ。白い息を吐きながら、レオポルトが言う。
「エリック。ここは、俺の母がよく、子どもだった俺を連れてきてくれた場所なんだ」
思わず、息を呑んだ。レオポルトは手を離して、エリックの向かい合う。
「俺の本当の目的を、お前に明かそうと思う。その上で、俺の側にいるかどうか、決めてほしい」
心細そうな声だ。エリックは頷いて、彼をまっすぐに見上げる。
彼は息を長く吐いて、短く吸った。
「俺の血縁上の――実の父親は、国王陛下ではない」
がん、と頭を殴られるような衝撃だった。レオポルトはエリックの反応も見ずに、淡々と続ける。エリックに構わず、事実だけを述べていった。
「当時の母は、王太子の妾妃だった。しかしドミニクが母へ言い寄り、そして私が生まれた」
一旦言葉を切って、レオポルトはうっすらと笑みを浮かべた。
「……言いたいことは、分かるな?」
「レオポルト殿下」
あんまりな話だった。エリックは、首を横に振る。
レオポルトにとって、これは、つらい話だ。
「無理しないでください」
「いいや、聞いてくれるか」
そしてなおも、レオポルトは、言葉を続ける。ためらうことなく、自らを切り刻むように。
「当然陛下は、私を疎んだ。しかし何不自由なく、自らの子として養育はしてくれたよ。母も、こんな生い立ちであっても、俺を愛してくれた」
あの傷んだ家具だらけの部屋で、レオポルトは、母親と寝起きしていたのだという。そして彼女は、レオポルトとここで、時を過ごしたのだろう。もしかしたら、憩いの時間として。
エリックが言葉を失っていると、レオポルトは低く笑った。今度は苦しさの滲む笑みだった。
「十代の終わりを迎える頃、俺は初恋をした。……その相手に告白して、あの噂を立てられたことは、以前言ったな」
はい、とエリックは頷く。レオポルトの目が、痛みに耐えるように閉じられた。
「母は息子が同性を愛する人間であることを、酷く悲しんだ。そして自ら儚くなった。私は彼女の息がある時に見つけたが、手当の甲斐はなかったよ」
エリックはたまらなくなって、レオポルトに抱きついた。今すぐこの人の苦しみや悲しみや寂しさを、吸い取ってしまいたかった。しかしそれは叶わず、レオポルトは「大丈夫だよ」と囁く。
「以来、私は『野犬公』と呼ばれるようになった。そしてこの噂は、私の身を守るのにちょうどよかった。王位にふさわしくない振る舞いをする、奇異な人物に、野心を持つ者は近寄らないものだ」
言っていることすべてが悲しい。エリックは「僕は違います」と胸板へ頬擦りをした。
レオポルトは黙って、エリックの頭を撫でた。そうして寄り添っている間に、雪がちらちらと舞い始める。
「……それで俺は、俺という存在が許せなかった。俺を生み出した原因も憎かった。だから」
エリックを抱きしめて、レオポルトが深く息を吐き出す。すまない、と吐息まじりに囁いた。
「お前を、引き込んだ。ドミニクはお前の魔術を盗み、自らの利権を増やそうとしていた。そしてその魔術が、母の無念を晴らせるかもと思って、俺はお前を」
言葉は、そこで途切れた。
エリックは肩を震わせる。レオポルトは「エリック」と、小柄で痩せぎすな身体をきつく抱きしめた。
「俺はこういう、どうしようもない男だ。逃げるなら、今のうち――」
そしてまた、言葉に詰まる。エリックは涙を目に湛えながら、顔を上げる。頬を両手でぴたりと挟んで、「もう」と微笑んだ。
どうせそんな言葉を、レオポルトが言えるはずもないと、分かっていた。強張った頬を包んで、愛撫するように囁く。
「心にもないこと、言っちゃダメです」
今度はエリックがレオポルトを抱き寄せて、背中を叩いた。レオポルトは息を震わせて、エリックに言った。
「しかし俺は、お前からもう、何も奪いたくない。今が最後の機会なんだ。お前が望むなら、俺は、何でも叶えてやりたい」
良心から来る本音だろう。だけどエリックは、彼の本当の願いが何なのか、しっかりと理解していた。
「側にいてほしいなら、ちゃんとそう言ってくださいよ。誤魔化さないで」
エリックはくすくす笑って、レオポルトのすっかり冷え切った頬を撫でた。ね、と首を傾げて、身体をわずかに離す。
「結論から言います。何度も言っていますけどね、僕はあなたから、決して離れません。離れたくないんです」
レオポルトの身体の強張りが、わずかに解ける。エリックは、まったく、と呆れて首を横に振った。
「あなたは自虐的すぎます。その分僕が側にいて、あなたをずーっと褒めますけど」
「エリック」
途方に暮れたように、レオポルトが呼んだ。もう、と憤慨するふりをして、エリックはその手を握る。寒さだけではない理由でかじかむ指先を、温めるようにさすった。
「僕はあなたの心を守りたい。だって、あなたのことを、愛しているから。……あなたが僕を、そう思ってくださっているように」
見上げて、にこりと微笑みかける。ついでに、小首を傾げた。
「ね。僕の言うこと、聞いてください」
レオポルトは、ちいさく笑い始めた。それは軽やかで、明るくて、涙に濡れた声色だった。エリックも泣きそうに笑って、レオポルトの手を引く。
「ここは冷えます。僕たちの部屋に、戻りましょう」
エリックの手を、レオポルトが握り返した。やがて指が絡まり、二人は顔を見合わせる。
レオポルトはうつむきがちになって、エリックを呼んだ。
「すまない。俺はどこまでも、お前を連れていく。二度と手放してやれそうにない」
エリックは、その手をしっかり掴んだ。逃がさないとばかりに身体を寄せて、「もちろん」と弾むような声で言う。
目頭がつんと痛んで、熱かった。
「どこまでもついていくと言ったでしょう? あなたの側を選んだのは、僕なんですから!」
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