第28話 バンケットパーティー

 なんだか、不思議な夢を見た。エリックは朝いちばんに目が覚めて、隣で眠るレオポルトの顔を眺めながら、しみじみと思い出す。

 騎士団の制服を着崩したレオポルトが泣きそうになっていたから、慰めるという夢だ。今思い返すと、はだけた制服がとても色っぽく、かっこよく、エリックの胸にときめきは絶えない。

 とはいえ、あのレオポルトが泣きそうになっているとは。


(でもあの人、こないだはちゃんと泣いてくれたしな)


 うむ、と頷いて、決して自分の変な欲のせいではないと理由づける。現実に基づいた、写実的な夢を見ただけだ。

 なぜかそこにはだけた制服が、ついてしまっただけで……。


(でも着崩した制服はよかった……)


 ぼんやり物思いにふけっていると、「どうした」と声をかけられる。返事をする前にレオポルトの腕が伸びて、エリックを抱きしめた。

 エリックはその頬に唇を寄せる。


「なんでもないです」


 ちゅう、と吸い付く。レオポルトはかろやかに笑って、キスを返した。


「今日もかわいいな」


 エリックは時々、レオポルトの目はどうなっているんだろう、と思う。自分は立派な成人男性だ。まるで少女や猫を褒めるような語彙は、あまり相応しくないのではないか。

 とはいえ、本音を言えば、かなり嬉しい。エリックはレオポルトの胸元に懐いた。レオポルトは喉を鳴らして笑い、エリックの頭を撫でる。


「子猫みたいだ……」


 正直どちらかといえば、エリックの自認はレオポルトの忠犬だ。しかし、レオポルトがうっとりしているので黙った。

 いちゃついている間に使用人たちが入ってきて、二人を着替えさせる。

 今日はとうとう、通信網が開通する日だ。

 レオポルトは騎士団の典礼服を着込み、エリックもそれに準じた礼服を着込んだ。エリックのタイを締めようとする使用人の手を、レオポルトが「待て」と遮る。


「私がやる」


 そしてタイを受け取り、エリックの首元へと回した。喉がこそばゆくて唇を引き結ぶと、レオポルトがふっと笑う。そして手早くタイを結び、とんと胸を押した。


「これでよし」


 エリックはタイをいじりながら、「ありがとうございます」と礼を言った。頬がやたらと熱い。

 そして朝食をとり、開通式の会場となっている、屋敷のダンスホールへ向かう。

 エントランス前に到着すると、ホールはすでにざわめきで満ちていた。緊張で深呼吸を繰り返すエリックの肩に手を置いて、レオポルトが囁きかける。


「功労者殿。受け答えの準備は大丈夫か?」

「はい。いや、緊張して、間違えるかもしれません……」


 レオポルトは「そうか」と言って、エリックに手を差し出した。エリックは迷いなくそこへ手を重ねて、にこりと微笑みかける。レオポルトは、「安心しろ」と甘い声で囁きかけた。


「何かあっても、その後に俺が控えている。お前は何をやってもいい。なんなら暴れたっていいんだぞ」

「そんなわけないでしょう。ちゃんとやります」


 つんと澄まし顔をするエリックに、「そうか」とレオポルトは笑った。気づくと、緊張はすっかりほどけていた。

 エリックの肩の力が抜けたのに気づいたのか気づかないのか、レオポルトが背中を叩く。エリックはレオポルトの手に置いた指へ、わずかに力を込めた。


「ありがとうございます」


 レオポルトが、「なんだ?」とエリックを見下ろす。それとほぼ同時に、二人の入場を知らせるファンファーレが響いた。エリックは笑って、「なんでもないです」と誤魔化す。


「レオポルト殿下。行きましょう」


 自然と、エリックの顎があがる。レオポルトも背筋を伸ばして、頷いた。

 エントランスが開く。着飾った大勢の人々が、二人を見つめた。

 軽蔑。好奇心。嫌悪。寄り添う二人に向けられる視線は、どれも恐ろしいはずなのに、エリックは少しも怖くなかった。

 ホールの中心へ向かい、手を離す。そこで待つダールマン侯爵へ、エリックは目を合わせる。そして胸に手を当てて、礼をした。

 ダールマンは重々しく頷き、「顔を上げろ」とエリックへ命じる。

 言われた通りにすると、彼の黒い瞳が、真っ直ぐにエリックを射抜いた。そこには軽蔑も好奇心も嫌悪もなかった。彼はただ、労わるように目を細める。


「無辜の領民が、魔獣に命を奪われることは、この土地における重大な問題だった。それが解決されない時の長さは、まるで出口の見えない暗闇のようだった」


 滔々と述べられる言葉に、エリックは背筋を伸ばす。そしてダールマンは、一際声を張った。


「しかし我々は、その暗闇に、光を灯したのだ。エリック・クレーバー。貴殿のもたらした、新たなる魔術によって」


 給仕により、ダールマンの手にワイングラスが二杯渡される。そしてダールマンは手ずから、エリックにそれを渡した。

 エリックはためらわずに、グラスを受け取る。ワインの水面は、指先の震えのために揺れていた。


「お褒めいただき、恐悦至極に存じます」


 それでも、微笑んでみせた。できるだけ豪胆に見えるように、胸を張ってみせる。

 ダールマンは、隙のない微笑みを見せる。まるで痛みや苦難を味わったことがないような、上流階級の者特有の、優美な笑みだ。

 背後を振り返れば、レオポルトも、同じように笑みを浮かべている。

 ダールマンが、グラスを掲げた。


「乾杯」


 その言葉に、エリックはグラスへ口をつける。ワインで唇を湿らせると、芳醇なブドウの香りがした。

 ふと、レオポルトと出会ったばかりの頃を思い出す。


(この国の司法は、ワインのように芳醇で豊かだから、か)


 腐っているということを、よくもこんなに優美な表現へ落とし込んだものだ。しかしエリックは、ためらいなくワインを口に含んだ。

 腐ったブドウの汁か、天下一品のワインか。いずれにせよ、エリックには同じことだ。


「おいし」


 呟くと、肩を叩かれる。レオポルトが、グラスを掲げて立っていた。


「私たちも」


 グラスを合わせる。チン、という軽やかな音が、人々のさざめきの中でもよく聞こえた。


「乾杯」


 エリックの囁きに、レオポルトも「乾杯」と続ける。そして彼はワインに口をつけて、遠くのテーブルを指差した。食事が供されており、大皿がいくつも並んでいる。


「あそこに牛肉のワイン煮があるぞ。取ってこようか」

「僕のことをなんだと思ってるんですか? あなたにそんなこと、させられるわけがないでしょう」


 もう、と憤慨する素振りを見せながら、エリックはずんずん人混みを進む。ちらちらと盗み見されている気配はしたが、気にしないことにした。


(そりゃあまあ、牛肉は、好きだけどさ……)


 いそいそと小皿へよそう。レオポルトの分もよそおうと思って、もう一枚皿をもらった。

 その時、「エリック」と声をかけられる。振り向くと、アルベルトが立っていた。


「……よう」


 彼は気まずそうに手を挙げて、エリックへ挨拶する。エリックは目を瞬かせて、久しぶり、と頷いた。


「アルベルトも、お疲れ様」


 エリックの言葉に、「参ったな」とアルベルトが苦笑する。いつもの人の良さそうな笑みだ。


「なんだ、皿を二枚も持って。食い意地張りすぎだろ」


 からかうような言葉に、「こっちはレオポルト殿下の分だよ」と唇を尖らせる。途端にアルベルトは唇を噛み、うつむいた。


「なあ、エリック。……ごめんな」

「何が?」


 エリックが首を傾げると、アルベルトはエリックの皿の片方を持った。意を決したように、エリックを見つめる。


「こっち来い」


 そしてバルコニーへと歩き出す。エリックも、その後に続いた。

 外に続く扉を開ければ、冬の近づく夜風が、二人の頬を打った。エリックは夜空を見上げつつ、アルベルトと向き合った。

 アルベルトは、皿を持ったまま、エリックへ語りかける。


「お前、今のままでいいのか?」


 その言葉に、エリックは意表を突かれた。そしてすぐに、ああ、と合点がいく。


「きみは、僕がレオポルト殿下の愛人ってことが、気に食わないんだね」

「気に食わないっていうか、酷いだろ。俺には、お前の将来も考えずに、未来を奪っているようにしか見えない」

「未来って?」

「そりゃあ、仕事して出世するとか、結婚して子どもを作って、家庭を持つとか……当たり前のことだよ」


 アルベルトらしい、とエリックは苦笑した。

 いつも真っ直ぐで、自分の正義に誠実。曲がったことが大嫌いな親分肌。孤立しがちなエリックに声をかけて構ってくれた、大切な友人。


「ありがとう、アルベルト」


 その言葉に、アルベルトはぱっと顔を上げた。そしてエリックは、苦々しく吐き捨てる。


「そんなの全部いらない。そもそも僕、恋愛対象は男なんだよね」


 アルベルトの表情が、みるみるうちに変わっていく。その口元がぽかんと開いて、目元は驚きと恐怖と嫌悪に歪んだ。

 エリックの中で、何かがぷつんと切れる。唇の端を皮肉げにつりあげて、アルベルトをにらんだ。


「……なに? アルベルト。自分の理想通りにいかなくて、残念だったね。それとも僕に惚れられてたのかって、自惚れた?」


 奥底から湧き上がる、これまでの恨みつらみが――アルベルトとは直接の関係がなかったものでさえ、抑えきれずにあふれる。アルベルトは「ちがうんだ」と、エリックへ言い募った。


「お、お前がそうだったとしても、俺はお前の友達だ。俺に偏見はない、お前はいい奴だから、大丈夫だ」

「きみはそうなんだね。僕は――」


 友達とは思わない。その声は、続かなかった。エリックの口元を、大きな掌が塞いだからだ。

 ふわりと柑橘が香って、エリックは振り返る。レオポルトが、エリックを抱きしめたのだ。


「ここにいたのか、エリック」


 甘い声で囁き、掌を離す。指の腹でエリックの頬を撫でて、アルベルトを見やった。手を伸ばして、皿を指差す。


「その牛肉のワイン煮は、私のものだろう?」


 アルベルトは、震える手で皿を差し出した。レオポルトは礼も言わずに、エリックへ向き直る。かじかむ手へフォークを握らせて、腰を抱いた。


「私の分も取っておいてくれたのか。嬉しいな。ありがとう」

「は、はい」


 エリックはちらりと、アルベルトを見やる。彼は呆然と立ちすくんでいた。

 レオポルトは肩をすくめて、「行こう」とエリックを促す。ここになってエリックは、自分の呼吸が速く、浅くなっていたことに気づいた。


「ここは冷える」


 そして、レオポルトに誘われるままに歩き出す。背後からアルベルトの呼び止める声が聞こえたが、二人とも振り向かなかった。

 やがてエリックのまなじりから、ほろほろと涙があふれる。


「……う、うう、う」


 泣きじゃくるエリックの肩を、レオポルトが労わるように撫でた。


「がんばったな」


 レオポルトの言葉が優しくて、エリックは空いている手で目元を押さえた。

 友人にありのままの自分を受け入れられず、悲しかった。悔しかった。レオポルトの心遣いが嬉しかった。

 ぐちゃぐちゃの気持ちのまま肉を食べ、ワインを飲み、ひたすらレオポルトへ甘えた。

 そしてくたくたに酔っ払ったエリックを横抱きにして、レオポルトは会場から立ち去った。

 アルベルトは、それを遠巻きに見ているだけだった。

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