第20話 とある木こりの娘の話

 屋敷から街へ出るまで、エリックの足で三十分ほど。木こり小屋までは、そこから馬車に乗って二十分。

 途中でパン(それも干しブドウ入りのちょっといいもの)を買い、乗合馬車に揺られながら朝食にした。腹がくちくなれば、気持ちにも多少ゆとりが生まれる。

 口の中のブドウの風味を惜しみながら、エリックは山を見上げた。通信水晶の埋まっている場所は、オットーやハンネスだったら分かっているはずだ。

 あの木こりの親子が、今のエリックの頼みの綱だった。

 馬車が木こり小屋の近くで止まる。うっそうとした森の手前だ。運賃を手渡して、エリックは歩き出した。

 頻繁に人が出入りするためか、森の中でも歩ける道はたしかにある。それを辿っていくと、小さな丸太小屋があった。隣には、がっしりとした体形の馬が繋がれている。

 エリックは扉の前に立ち、深呼吸をした。意を決して、ノックする。

 返事はない。もう一度、さらに強くノックしても、無音だ。

 恐らく、留守なのだろう。エリックはすごすごと、扉の横へと膝を抱えて座った。確かにここは木こりたちの活動拠点とはいえ、ふもとに用事があるときしか滞在しないだろう。エリックがうかつだった。

 こうなったら、ハンネスが来るまで待ってやると、エリックは決めた。さすがに日が落ちるまで何もなかったら、屋敷へ帰るが。

 なんにせよ、あの牢獄での日々に比べたら、なんでも天国みたいだった。森の中は薄暗いが小鳥の声が聞こえて、風が気持ちいい。そういえば、寝不足だった。エリックはまぶたが重たくなって、うとうとと目を閉じる。


「おい。起きろ」


 とん、と肩を叩かれて、エリックは座ったまま飛び上がった。目の前には、大柄な男がいる。オットーだ。はしばみ色の瞳が、じろりとエリックをにらむ。


「お前、どうしてここにいる」


 エリックが答える間もなく、「センセ?」と気の抜けるような声がした。ハンネスが、男の背後から覗き込んでいる。


「あれ、エリックせんせ。どうしてここに?」


 オットーは黙り込んだまま、小屋へと入っていった。ハンネスはかがんでエリックへ視線を合わせて、「びっくりしたぁ」とまじまじエリックを見る。


「どうしたのセンセ。王子様と喧嘩しちゃった?」

「いや、そうじゃなくって」


 エリックは首を横に振って、立ち上がった。山を指さす。


「通信水晶について、調べたいことがあって。山を案内していただきたいんです」

「そっか。うーん」


 しかし、返事は芳しくない。ハンネスは「ごめんね」と首を傾げた。


「これからの季節、俺たちは冬の準備で忙しくなるんだ。今日も山に入って、魔獣避けのまじないをしなくちゃならない」


 たしかにそれは、住民たちにとっては死活問題だ。それでも、とエリックはなおも食い下がる。


「日が落ちてからはどうですか? 作業が終わったら……」

「その時は、俺たちもう、山の家に戻ってるね」


 けんもほろろな返事に、エリックは唇を噛む。

 切羽詰まったその様子に、ハンネスは頬を掻いた。


「そうだなぁ。うーん……親父!」


 ハンネスが小屋に向かって声を張り上げると、扉が開いてオットーが顔を出す。ハンネスはその不機嫌そうな表情に構わず、話しかけた。


「センセがどうしても山の案内してほしいらしくて。たぶん通報ってやつの関係なんだけど、今日の仕事、抜けてもいい?」


 なんだか大事になってきた。エリックが成り行きを見守っていると、オットーは腕組みをしてうなる。表情は苦い。

 エリックは言い募った。


「このままだと通報体制が、正しく動かないかもしれないんです。それを調べるために、どうか、協力していただけませんか」

「だけどアンタ、王都の魔術師なんだろう。礼儀知らずどもに協力する筋合いはないな」


 エリックの脳裏に、ゲスナーの言動が浮かんだ。それを出されると、エリックの立場は弱い。うなだれると、「まあまあ」とハンネスがなだめる。


「でもこの人、レオポルト様の大事な人じゃん? おやじも聞いただろ」


 その言葉に、ぴくりとオットーの眉が跳ねる。じっとエリックを見つめた。

 エリックも、オットーを見つめ返した。目を逸らしたら負けだと思った。

 先に視線をそらしたのは、オットーだった。長いため息をついて、丸太小屋の扉を開ける。


「……入れ」


 それだけ言って、オットーは中へと入っていった。エリックがハンネスを見上げると、「ほら」と急かされる。


「おやじの気が変わらないうちに、さ」


 慌てて立ち上がり、「お邪魔します」と扉をくぐった。

 小屋の中には暖炉があり、少し煙のにおいが残っている。何よりも獣のにおいと、木の香りが混ざって、独特の雰囲気をかもしだしていた。

 薄暗い中で、切り出した丸太そのままの椅子に、オットーが座っている。エリックが立ちすくんでいると、後から入ってきたハンネスが「ほら」と椅子に座るよう促した。


「それじゃあ、失礼します」


 ぺこりと頭をさげて、椅子へ座る。オットーは脚を組み、顎をさすった。値踏みをするようにエリックを眺めている。

 それでもしばらく経って、オットーは口を開いた。


「お前は本当に、レオポルト様と親しいのか」


 はい、と頷く。ローブの袖に施された刺繍を、そっと撫でた。オットーは怪訝な顔をした後、そうかと頷く。


「そんなら、昔話でもするか」


 エリックは、首を傾げた。オットーは色の濃い金髪を、ぐしゃぐしゃとかき混ぜる。そういえばレオポルトも似た髪色だな、と、ふと思った。


「俺のおふくろと、妹のグレタは、大層な美人だった」


 唐突な話に戸惑いつつ、背筋を伸ばして聴き入る。オットーはエリックを見て、軽く唇の端を上げた。


「二人とも、俺にとっては自慢の家族だった。だけど親父が死んじまって、俺たち一家はバラバラになった」


 どこかで聞いた話と似ている。目を丸くするエリックに、オットーは目を細めて、苦々しく唇を歪めた。


「おやじは春先に、魔獣退治の依頼をしようと山を下りて、逆に殺されちまった。俺は木こりとして働き始めたが、おふくろとグレタを養えるほどの報酬はもらえなかった。……おふくろは、グレタを連れて、山を下りた」


 エリックの吐息が震えた。そうなると、今目の前にいる人は。

 オットーは目を伏せて笑う。


「それから風の噂で、グレタが王子に見初められたって聞いた。そりゃもう腰が抜けるほど驚いたよ。しかも、息子を生んだんだって」


 声は、ずっと沈んでいる。エリックは言葉を挟むこともできず、うつむいた。


「だけどあいつ、死んじまったんだろう。それで、せめて墓参りさせてくれって頼んだら……あいつら、そんなもんはないって言いやがった。グレタには墓もないんだって、俺は」


 オットーは声を震わせて、拳を握りしめる。とても深い愛情と、悲しみと、怒りがあった。


「それでレオポルト様を見て、俺ぁ驚いたよ。グレタに生き写しだ」


 鼻をすする。エリックは頷いて、膝の上で拳を握った。


「聞けばイオネスの話を、グレタがしていたそうじゃないか。俺は嬉しかった。あの子が、グレタの息子だってことは、疑いようがない」


 はい、と頷いた。エリックはしばらく迷って、それでも口を開く。


「レオポルト殿下は、以前、お母さまの敵討ちがしたいとおっしゃっていました」

「敵討ち?」


 怪訝な表情のオットーに、エリックは続ける。


「もしおじいさまが亡くならなかったら、お母さまは、どんな人生を歩んでいたんだろう……と。その無念を晴らしたい、と仰っていました」


 オットーは、目を瞑ってうつむいた。エリックは何も言わず、指を組んでオットーを見つめた。

 しばらく経って、オットーが膝を叩いて立ち上がる。相変わらず唇はへの字に曲がっているが、先ほどまでの威圧感はない。


「……気が変わった。おい、ハンネス」

「へえい」


 気の抜けるような返事をして、ハンネスがエリックの背後に立つ。オットーは、地図を投げて寄越した。エリックが受け取ると、オットーがハンネスをにらむようにして見る。


「こいつを案内していい。一日の仕事の埋め合わせは、覚悟しとけよ」

「よっしゃ。じゃ、行こうぜ、センセ」


 エリックは咄嗟に立ち上がり、「ありがとうございます」と膝をついて礼をした。今のエリックが求めていることを、オットーは、許してくれた。

 オットーは「よせ、よせ」と手を振る。


「大したことじゃねえ。しかし、見上げた忠誠心だな」


 目を細める。どこか微笑ましそうなその表情に、エリックは薄っすらと笑みを浮かべてうつむいた。


(言えない。まさか恋人だなんて……)


 うつむきがちなエリックを置いて、ハンネスはあれこれ腰へ荷物を提げていく。


「じゃあ、せめて途中通るところくらいは、魔獣がいないか見ておくから。エリックせんせ、行こう」


 そう言って、ハンネスは小屋を出る。エリックは慌てて顔をあげて、その後を追った。

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