第8話 木こり

 一晩明けて、エリックはベッドで目を覚ます。まだ早朝らしく、辺りは薄暗い。レオポルトも同じベッドで眠っていたはずだが、隣にその気配はなかった。


「起きたか」


 レオポルトは窓辺に立って、外を眺めていた。エリックもベッドから降りて、隣へと立つ。

 夜明けを迎えた空は明るく、太陽が山の稜線を照らしている。澄んだ空の色に見惚れて、エリックは「綺麗ですね」と呟いた。


「そうだな」


 静かな声だった。レオポルトはじっと、山を見つめている。エリックはそれきり黙って、彼の隣に寄り添っていた。

 不意にドアがノックされ、レオポルトが「入れ」と許可を出す。


「失礼します」


 使用人たちが、ぞろぞろと入ってきた。促されるまま顔を洗い、着替えをして、身支度を整える。食堂へ出て、朝食を食べる。

 そして、仕事へ向かう時間になった。レオポルトは騎士団の制服を着て、エリックは魔術師のローブをまとう。お互いの勝負服だ。

 エリックの手に、魔術師の杖が渡される。身の丈ほどもあるそれを、しっかりと握った。密かに喜びを噛みしめる。

 ジャケットの襟元を正して、レオポルトが微笑んだ。


「行くか」


 エリックも頷いて、並んで部屋を出た。

 エントランスで魔術師たちと合流し、敷地内の別棟にある騎士団の本部へと向かう。相変わらず魔術師たちの視線は痛いが、エリックはあくまで背筋を伸ばした。

 本部へと着いてすぐ、レオポルトは騎士団の庁舎内へ招かれた。しかしエリックはエントランス前で止められ、そこで待つようにと指示される。大人しく従うと、どこからか押し殺すような笑い声が聞こえてきた。視線を走らせると、何人かの騎士が気まずそうに目を逸らす。

 魔術師たちも、レオポルトに付き従って、中へと入っていった。その物言いたげな視線に、拳を握りしめる。


(なんだよ。言いたいことがあるなら、直接言えばいいのに)


 とはいえ、言い返したり、にらみつけたりはしない。レオポルトの評判を落とすようなことは、したくなかった。だけどうつむいたら負ける気がして、前を向いた。

 しばらく経って、重たい足音が近づいてくる。

 大柄で筋肉質な男の二人組だ。年季の入ったシャツの布地はよれて、たくましい筋肉がそのシルエットを張りのあるものにしている。腰に提げているのは、斧やナイフだろう。手首に巻いているのは、魔獣避けの聖紐。靴は頑丈そうなブーツで、皮革製の防具をつけている。二人とも色の濃い金髪をしている。短く刈られており、清潔感があった。


(木こりか、猟師かな)


 片方は中年で、片方は若い青年だ。その青年と、エリックの目が、ぱちりと合った。彼はずかずかとエリックへ向かって歩み寄り、「なあ」と声をかけてくる。その上背の高さに、エリックは目を白黒させた。青年のハシバミ色の瞳が、じっとエリックを見つめる。


「は、はい」

「あんた、中央から来た魔術師のセンセ? 俺、今度作るっていう、通信水晶? の手伝いに来たんだけどさ」


 エリックはローブの袖をさばき、顔を上げる。真っすぐに瞳を見返して、にこりと微笑んだ。


「はい、そうです。僕はエリック・クレーバーといいます」

「そっか。俺はハンネスって言って、これからあんたたちの、道案内とかの世話をするんだ。あっちは親父のオットー」


 エリックは「はい」と、咄嗟に背筋を伸ばした。オットーはだんまりと口をつぐんで、エリックたちを見ている。


「工事期間中、お世話になります。魔術師のエリック・クレーバーです。よろしくお願いします」


 にこりと微笑みかけつつそう言う。

 ついでに、右手を差し出した。


「よろしくお願いします」


 念押しをするように言えば、ハンネスはにこりと微笑んだ。エリックの手を、ためらいなく取る。

 ちょうどその時、エントランスの扉が開いた。魔術師たちがぞろぞろと出てくる。

 ハンネスはエリックから手を離した。彼らと、エリックをかわるがわる見比べる。

 魔術師たちの一人が、代表して名乗る。少し顔をしかめており、居丈高な口調だ。


「宮廷魔術師代表の、アロイス・ゲスナーだ」


 元同僚たちの中で、最も気が合わないと思っていた人物だ。王都の高位貴族の出身。専門は、通信水晶の小型化。

 何かと嫌味ったらしい態度を取る傾向がある。貴族階級とはいえ田舎出身のエリックを、恐らく無意識の部分で馬鹿にしているのだろう。


「私たちが、中央から派遣された魔術師だ。そちらの男のことは無視していただいてかまわない。正当な手段で、この計画に参加しているわけではないのでな」


 ゲスナーはエリックをちらりと見て、ふんと鼻を鳴らす。かちんと来て、エリックは腕組みをした。元同僚ということもあって、舌が回ってしまう。


「この計画は僕の知識で成り立っているんだから、僕を無視したら困るのはそっちなんじゃないかな?」


 ゲスナーは顔を歪めて、「それは必要ない」と続ける。


「今回実装する新魔術については、こちらで既に体系化し、完成させている。そもそもあれは、貴様の研究ではないだろう。分不相応な成果を求める盗人め、図々しい」


 ここで言い争うのは不毛だ。エリックも、理性ではそう思っている。

 だけどこんなことは、許せるはずもなかった。

 獣のようにうなって、エリックは歯を剥きだしにする。


「あれは僕の研究だ。僕の成果だ。それをそっちが盗んで、我がもの顔しているだけだろうが。盗人は誰だよ……!」


 エリックの剣幕に、ゲスナーが怯む。にらみ合う二人の間に、ハンネスが「まあまあ、みなさん」と言って、割って入った。


「よく分かんねえけど、こんなところで喧嘩しないでよぉ。な?」


 のんびりとした声に、エリックは毒気を抜かれる。ゲスナーはローブの襟元を正して、ふうと息をついた。


「まったく、感情的にならないでくれるか。これだから田舎者はみっともなくて嫌いだ」

「そちらこそ、人を見下すような言動は控えた方がいいよ。みっともないから」


 嫌味に嫌味で打ち返す。ゲスナーの唇の端が、ひくりと歪んだ。

 またドアが開く。護衛を連れて、レオポルトが出てきた。隣にはヘンケルも経っている。

 騎士たちが、ハンネスとオットーを押しのけようとする。レオポルトは「よい」と、それを手で制止した。

 ゲスナーは目を伏せて恭順の意を示すが、その唇は歪んでいた。エリックはそれを冷ややかに見ながら、また目を伏せて礼をする。

 レオポルトはエリックに歩み寄って、背中を叩いた。顔を上げるよう促されて、エリックはひょいとレオポルトを見上げる。彼は辺りへ視線を走らせて、エリックに尋ねた。


「何か、あったのか?」

「いいえ。何も」


 にこりと微笑んで、レオポルトの隣に並ぶ。ハンネスはエリックのローブと、他の魔術師たちのローブを、改めて見比べた。そして、レオポルトとエリックを見て、首を傾げる。

 とはいえ、エリックから言うべきことは何もない。口をつぐんだエリックをよそに、レオポルトはハンネスとオットーへ歩み寄った。


「あなた方が、今回の協力者か」

「へえ、そうです」


 ハンネスは、臆せず進み出る。オットーも、一歩前へと出た。

 レオポルトは、「名は」と尋ねた。


「ハンネスです」

「オットーです」

「そうか。二人とも、いい名だ」


 そして頷いて、オットーへ手を差し出す。

 オットーは、驚いた顔をした。レオポルトはにこりと微笑む。


「これから、ともに仕事をするのだ。礼は尽くさねばなるまい」


 オットーは、目を丸くする。視線が揺れて、うつむく。そしてじっと、レオポルトの手を見つめた。


「……へえ。よろしく頼みます」


 剣だこのある白い手と、日焼けして土に汚れた手が、固く結ばれる。

 オットーは握手をしたまま、レオポルトを真っ直ぐ見つめた。


「イオネスの誇りにかけて、任された仕事はしっかりやりまさぁ」

「ああ。母からも、あなた方の話は聞いている。イオネスの人々は誇り高く、義理深い者たちだと」


 その言葉に、オットーの口がはくりと開いた。レオポルトは手を離し、ハンネスとも握手を交わした。

 エリックを振り向いて、彼を呼ぶ。


「早速だが、これから仕事だ。準備はいいか?」


 エリックは、ローブの襟をしっかり合わせた。にこりと微笑んでみせる。


「ええ。もちろん」

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