第6話 道中
数日経ち、とうとう東部へ向かう準備が整った。
エリックとレオポルトは、護衛たち、魔術師たちを少数連れて、王都を出る。
そしてエリックは「愛人」であることを口実に帯同しているため、レオポルトと同じ馬車に乗り込んでいた。
「おい、貴様。殿下に対して近すぎるぞ、離れろ」
そしてその道中、レオポルトの補佐だという茶髪の青年がにらんできて、非常に居心地が悪い。ヨーゼフ・ヘンケルという彼は、レオポルトの幼馴染で、共に育った仲なのだという。
それはたしかに、エリックのことが気にいるわけがないと、納得はしている。
とはいえこの状態が、密室で、十日以上続くのか。エリックはレオポルトの隣で、密かにため息をついた。
そして当のレオポルトだけはのんびりと足を組み、流れる景色を眺めている。
「ヨーゼフ。そうエリックをいじめるな」
「いいえ。そのようなことはいたしておりません」
いや、いじめているだろう。エリックは反論を飲み込み、俯いて膝の上に手を置いた。心細くて指を組む。
ヘンケルはエリックから視線を外して、レオポルトを見つめた。
「殿下。いくら演技とはいえ、この男を甘やかしすぎです」
どうやら、愛人関係が演技であると知っているらしい。それにしても当の本人の前で、そんなことを言うのか。エリックは目を瞬かせて、まじまじとヘンケルを見つめた。
レオポルトはため息をついて、首を横に振る。
「またお前は、私の評判なんかを気にしているのか。今更損なわれるものなどないだろうに」
「いいえ、違います。あなたは昔からそうだ。自らを貶める行いはやめるべきだと、ずっと申し上げています」
「頑固な奴め。そうしてずっと私の側にいるから、妙な噂を流されるのだぞ」
「愚か者たちに何を言われようと、私は気にしません。はやしたてる奴らが悪い」
テンポのいいやり取りに、目が回りそうだ。レオポルトは苦笑いをして、エリックの肩に腕を回す。驚いて飛び上がるエリックに、「かわいいな」とレオポルトが囁きかけた。
ヘンケルは「殿下」と、鋭く叱責する。
「そのように、男色の振りをなさるのはおやめください」
その言葉に思わずぎょっとして、エリックは彼をまじまじと見つめた。
ヘンケルは鼻を鳴らして、エリックをまたにらむ。エリックは、しどろもどろに話し出した。
「いや。男色の振りっていうか……その、まあ、不義や不貞でもなし。非難することじゃ、ないと思いますけど、ね?」
口下手ながらもレオポルトを庇おうとすれば、ヘンケルは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「黙れ。貴様と会話するつもりはない。口を慎め」
レオポルトは「ヨーゼフ」と叱責するように名前を呼んだ。エリックは困り果てて、ヘンケルを見つめる。
彼はレオポルトを真っ直ぐに見つめて、「殿下」と口を開いた。
「俺は、あなたにどこまでも着いていきます。どうして、自らを壊すような振る舞いをされるのですか。男が好きだという、愚かな真似はやめてください」
男が好きだという、愚かな真似。
その言葉に、エリックの中の何かが、切れた。
エリックは踵で、馬車の床を鋭く叩いた。冷ややかな声で「で?」と言い放ち、足を組んで顎を上げる。その豹変ぶりに、レオポルトとヘンケルは怯んで口をつぐんだ。
しんと静まり返った馬車の中で、エリックが口を開く。
「ヘンケル殿。男が好きだと、どうして愚かなんですか?」
「お、おかしいだろう。男なのに、男が好きだなんて。女じゃあるまいし」
たじろぎつつも、ヘンケルは負けじと反論する。エリックは口をへの字に曲げて、さらに噛みついた。
「それじゃ、男が好きなのが、仮に『おかしい』こととしましょうか。なぜ、たかがそんなことで、レオポルト殿下の価値が損なわれるんですか?」
「だから、奇行なのだ。どれだけ優れた人物であっても、評判を貶める要因になってしまう」
呆れ切った様子で言うヘンケルに、エリックは鼻を鳴らした。
「そんなことで落ちる評判、勝手に落としておけばいいだろ。こんなにできた人いないだろうに、見る目がないな」
頭にますます血が昇る。ヘンケルとて一歩も譲らず、「殿下」とレオポルトの方を向いた。
「この男は頭がおかしいです。今すぐ放り出しましょう」
「なんだとぉ……!」
エリックは憤慨し、拳を握りしめた。
「やってみろ、こちとら腐っても宮廷魔術師だ。末代まで祟ってやるからな!」
レオポルトは口元を押さえてうつむいた。その肩は、小刻みに震えている。
「殿下?」
ヘンケルが、おずおずと声をかける。やがてその震えは大きくなり、笑い声が漏れ出した。
エリックは、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「何がおかしいんですか!」
「ふ、ふふ。はっはっは! 面白いな、二人とも」
腹を抱えて笑うレオポルトに、エリックとヘンケルは顔を見合わせた。二人ともすっかり毒気を抜かれて、緊張を解く。
エリックはレオポルトへ、冷ややかな視線を向けた。
「まったく。何でそんなに笑うんですか」
「いや、すまない。詳しくは言えないが、こんなに明るい気分になったのは久しぶりだ」
そして、優しい目つきでエリックを見つめる。それにどきりとして、エリックはそっぽを向いた。
「おい貴様、無礼だぞ」
ヘンケルの声も、先ほどと比べて覇気がない。レオポルトはくすくす笑っている。「構わん」と、ヘンケルに向けてブーツのつま先を揺らした。
「ついでにヨーゼフ、お前の無礼も不問にしておく。幼馴染のよしみだ」
ヘンケルは頭をさげて、レオポルトへ恭順の意を示す。
エリックは二人を交互に見て、なるほどと頷いた。
随分と仲がいいのだろう。率直に言って、うらやましかった。
ヘンケルの心無い言葉は、ひどい。しかし間違いなく、レオポルトを思う気持ちの裏返しだ。レオポルトもきっとそれを分かっているから、特に咎めはしないのだろう。
ずきずきと胸が痛んだ。それを口に出さないように、外を見つめる。
レオポルトはエリックの身体に、ぴったりと腕を回して引き寄せた。
「拗ねるな」
「拗ねてなど、いません」
澄ました顔で言うと、「嘘をつけ」とレオポルトがまた笑った。この人が笑顔になるなら、まあいいか、とエリックは座席の背もたれへと寄りかかる。
ヘンケルはどこか呆気に取られた表情で、二人を見ていた。
それ以降、エリックとヘンケルは小競り合いを繰り返すものの、大きな喧嘩はなかった。淡々と時は進み、何日も過ぎた。
やがて道の先に、山々の影が近づいてくる。
エリックは馬車の窓から身を乗り出して、その景色に歓声を上げた。
「大きい!」
白い雪がわずかに残る頂上から、緑豊かな麓にかけての稜線の雄大さ。それが幾重にも連なり、どこまでも続いている。見上げる初夏の空は、突き抜けるような青さだった。
エリックは生まれてこの方、旅行をした経験がない。平野にあった実家の領地とも、長く暮らした王都とも違う風景は、何もかもが新鮮だった。
外の空気を思い切り吸い込むと、「危ないぞ」とヘンケルがエリックの首根っこを引っ張る。ぐえっとうめいて、猫の子のように取り込まれた。そのエリックの頬を、レオポルトが「子猫みたいだな」とつつく。
子猫。エリックがレオポルトの言葉に呆然としていると、ヘンケルは二人をかわるがわる見た。呆れたように口をへの字に曲げているが、その表情はどこか柔らかい。
「よかったな」
ヘンケルがそう言うので、エリックは彼に視線を向けた。
「何がですか?」
「……俺と一緒の馬車の旅が、もうすぐ終わるぞ。邪魔者が消えるんだから、喜べ」
どこか自虐的な口ぶりに、エリックは首を傾げた。口には自然と微笑みが浮かぶ。
なるほど、レオポルトの友人だと思った。
「三人での旅、楽しかったですよ。また喧嘩しましょうね」
エリックの言葉に、レオポルトが噴き出した。腹を抱えて笑いはじめる。
ヘンケルは苦虫を噛み潰したような顔をして、「二度とごめんだ」と言い捨てた。
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