某ライトノベル作家 第3章 ――AI後(市場席巻後の崩壊)
「拒否した十年は、取り戻せる十年ではなかった。」
――杉村洋介(出版評論家)
書店の棚に並ぶ背表紙は、どれも似たような光沢を放っていた。整然と揃えられたタイトル群は、一冊ごとの個性よりも、量産された秩序を思わせる。指先で紙の端をなぞると、ざらつきではなく滑らかなコーティングが返ってきた。
変化を最初に知るのは、目ではなく指先なのだと僕は思った。
電子書店のランキングを開けば、その感覚はさらに鮮明になる。見知らぬタイトルが上位を独占し、更新の速度は止まらない。レビュー欄には「テンポがいい」「次がすぐ読める」といった短い感想が並ぶ。読者は楽しんでいた。だがそこに、僕が大切にしてきた細部や抑揚は、影のように沈んで見えなかった。
ある日の打合せ。編集部の片隅、狭い部屋に僕と若手編集者だけがいた。
「会社の方針は……変わりません。AIは使わない、と」
彼は手帳を閉じながら静かに言った。その声音には迷いと申し訳なさが混じっていた。
「君が悪いんじゃない」そう返しながらも、胸の奥に重い石が落ちていった。
――あのとき、もっと強く声を上げていれば。外に出てでも挑戦していれば。
後悔は繰り返すほどに形を変え、やがて僕自身を責める棘になった。
夜、自宅の机でコーヒーを啜る。底に残る冷たい苦味は、失われた時間の象徴のようだった。パソコンの画面に新しい文を打ち込む。
「……これが、まだ僕にできることだ」
砂地に穴を掘るような執筆。崩れても、また掘り進める。その繰り返しに意味はあるのか。そう自問しながらも、指は止められない。時折、言葉が鋭く立ち上がり、自分の中に眠っていた感情を照らす瞬間がある。その刹那の光だけが、僕を支えていた。
時おり届く手紙には、読者の文字が並んでいた。「この物語で救われました」「続きを待っています」――短い言葉でも、インクの匂いと人の体温がそこにあった。だが、ランキングや数字の下降は冷たく現実を告げる。
ある夕暮れ、古い書店で自分の初期作を見つけた。黄ばんだ紙の匂いに胸が締め付けられた。隣では若い客がAI小説の新刊を手に取り、笑顔を見せている。世界は変わり続け、僕は取り残された。失われた十年は、もう戻らない。
それでも――。
机に戻り、深呼吸をする。杉村の断言が、再び胸の奥で響いた。
「拒否した十年は、取り戻せる十年ではなかった。」
それは罰でも慰めでもなく、ただの事実だった。
僕に残されたのは、後悔と、それでも書き続ける意志だけ。
言葉がある限り、僕はまだ物語を紡ぐだろう。
その事実だけが、夜の闇に最後の光を落としていた。
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