某ライトノベル作家 第2章 AI排斥期
「既得権益を守るだけでは、文化も市場も失う。」
――杉村洋介(出版評論家)
机の上に開いたノートパソコンには、いくつもの資料が並んでいた。海外でAIを用いたシリーズがヒットしている、そんな記事を僕は何度も読み返しては閉じた。
――試してみたい。
口に出さなくとも、その衝動は自分でも抑えきれなくなっていた。
小さな打合せ室で、若手の編集者に向かい合う。彼は手帳を開いたまま、視線をこちらに寄せた。
「……正直に言うよ。俺はAIを一度使ってみたいんだ。下書きでも、アイデア出しでもいい。人の熱で磨けば作品になるはずだ」
声に力を込めたつもりだった。だが空気は揺れず、編集者の手元のペンが小さく止まった。
「気持ちは分かります。けど……」
彼は一拍置いてから言葉を選ぶように続けた。
「会社の方針は、AIを拒絶するというものでした。編集長も、会議でも、はっきりと」
僕は苦笑して椅子の背にもたれた。予想していた返答だ。だが予想と現実の間には、確かに違いがあった。胸の奥に落ちた言葉は重く、しばらく息の仕方を忘れた。
「そうか……。分かってるさ」
カップのコーヒーは冷えきっていて、口に含むと苦味だけが舌に広がった。自分の提案が、議題にすら上がらないという現実。その苦さは、ただの飲み物以上の意味を持っていた。
夜、帰宅の電車でスマートフォンを開く。海外のニュースが短い見出しで流れてきた。
「AI小説、電子書籍ランキングを独占」
写真も装飾もなく、無機質な文字列だけ。なのに、心臓の奥に小石を落としたように波紋が広がった。
自宅の机に戻り、引き出しから提案書を取り出す。何度も読み返し、結局また閉じる。紙の折り目に指を滑らせると、ちくりとした痛みが走った。挑戦したい衝動と、会社に拒絶された記憶がせめぎ合い、僕の指先を凍らせていた。
編集部の空気は日に日に固まっていった。打ち合わせでも会食でも、話題は安全なものばかり。未来の話は避けられ、笑いは形だけになった。言葉に熱はなく、無言の同調が広がる。
若手編集者は時折、言いたげに口を開きかけては閉じた。サポートしたいのだろう、だが会社の立場を背負う以上、それ以上は言えない。その沈黙こそが、何よりの誠実さに見えた。
深夜、ランプの下でパソコンに向かう。キーボードを叩く指は迷いがちで、打ち出される言葉には震えが混じった。机に置いたカップから漂うのは、冷えきったコーヒー苦味だけ。その味は、行動できなかった自分への小さな罰のようだった。
窓の外、街の灯りはまだ消えない。だが僕の中の勇気は音もなく沈んでいった。声を上げる勇気を失うこと――それが未来を削っていくのだと、僕は知りながら目を閉じた。
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