第四十話 赤松の春風

翌朝。

 支度を終えたコマは、静かに部屋を立ち上がった。


「少し用事を済ませてきます。ロッテ、一緒に行くよ」


 促されるまま、ロッテは無言で後をついていく。

 二人が向かったのは町外れの小さな祠だった。


 鳥居をくぐると、冷たい朝の空気が漂う。

 ロッテが口を開いた。

「用事って?」


 コマは一呼吸おいて、静かに答えた。

「……私、少しの間、この町を出ようと思ってるの」


「は?」

 ロッテの眉が跳ね上がる。

「なにそれ!?どこに行くっていうのさ!」


 その言葉に、コマはわずかに目を細めた。

「ロッテ……。実はね、伽耶さんたちと約束していたの。あなたと伽耶さんたちが友になれたら、彼女たちに協力する、と」


「……え?」

 一瞬、ロッテは言葉を失った。

「意味がわからない……」


 コマはこれまでの経緯をロッテに語った。

 話を聞くにつれ、ロッテの表情が険しくなり始める。


「つまり……私は利用されてたってことか」


「そうじゃない。話を聞いて――」

「勝手に私を巻き込んでたってことじゃないか!!」


 ロッテは叫ぶと踵を返し、宿の方へ駆け出した。

 コマも慌てて追いかける。


「何が友だ!あいつらを友だなんて思ってない!」





 宿に駆け込んだロッテは、勢いよく二階の障子を開け放った。


「……っ!」

 だが、部屋は空だった。布団も畳まれ、誰の気配も残っていない。


 追いついたコマが女将に尋ねると、女将はにこやかに答えた。

「ついさっき発ちましたよ。寂しくなりますねぇ」


「……発った?」

 コマの表情に戸惑いが走る。



 その頃、赤松の町を歩く四人。

 まだ朝靄の残る通りを、伽耶は迷いなく前を見据えて進んでいた。


「本当に良いのですね?」

 六が横に並び、低く問いかける。


「うん」

 伽耶は迷わず答える。


「時を無駄にしたな」

 おもとが吐き捨てるように言った。


「そんなことない。二人の友達ができた。時間はかかっちゃったけど――」

 伽耶は小さく息をつき、笑顔を浮かべた。


「――さぁ、天音ちゃんの所に戻ろう」




⸻⸻




 少し時間を遡る。


 コマとロッテが宿を出て祠へ向かったあと、部屋に残った四人の空気は落ち着かないままだった。


 伽耶は、膝に置いた手を握りしめ、ついに口を開いた。


「みんな、ごめん。……コマさんに協力してもらうの、やめよう」


「はぁ?」

 真っ先に声を上げたのはおもとだった。六とハクも、眉をひそめて伽耶を見る。


「ロッテちゃんからコマさんを引き離すなんて……私にはできない。あんな過去を聞いておいて……そう思わない?」


 三人は一瞬、言葉を失った。

 ロッテの出自を知っているからこそ、伽耶の言葉を強く否定できない。


「では伽耶さんは、どうなさりたいのです?」

 六が低く問う。


「正直、わかんない。でも……誰かを苦しめて、誰かを助けるって。正しくないと思うの」


「つまり……天音さんの父上を諦めると?」

 六の目が鋭く光る。


「ううん。これから天音ちゃんの所に戻ろう」

 伽耶は前を向いたまま言い切った。


「何か策があるんですか?」

「それは……これから考える!」


「馬鹿じゃない?」

 ハクが鼻で笑った。

「戦力が必要だからここまで連れてきたのに、全部無駄にするつもり?」


「……ハクちゃん、本当にごめん。でも昨日からずっと考えてたんだ。ロッテちゃんからコマさんを奪うなんて……やっぱりできないよ」


 六は深くため息を吐いた。

「はぁ……全く理にかなってはいません。ですが……言い返す言葉もありませんね」


「くだらん茶番に付き合わされたってわけか」

 おもとが伽耶を睨める。


「昨日も今日も引っ張り回されて、結局、ふり出しに戻ったってわけか」

 ハクも怒り混じりで伽耶を睨める。


「……でも、二人の友達ができた。それはきっと、無駄じゃない!」

 伽耶は俯きながらも、はっきりと言葉を絞り出した。


 おもとは口を開きかけ、しかし飲み込んでしまった。


 

 六もおもとも、ハクも、完全には納得していない。だが、ロッテの過去を思えば、伽耶の情も理解できてしまう。


「……仕方ありませんね」

 六がようやく口を開いた。

「策としては明らかに間違っていますが、伽耶さんがそう望むなら……このまま戻るしかないでしょう」


「チッ……」

 ハクは舌打ちをして顔を背ける。


「人間ってのは……」

 おもとは呆れながら渋々立ち上がった。




⸻⸻




 「どうも、お世話になりました」

 宿の戸口で、六が女将に深々と頭を下げる。それにならって三人も頭を下げる。

「あの、これ。コマさん達が帰ってきたら、渡してもらえますか?」

 伽耶が小さく折った紙を渡した。

「あいよ。道中、気をつけて行くんだよ!」


 こうして四人はコマとロッテを残し、宿を後にしたのだった。




⸻⸻



 その後。


 ロッテとコマが宿に戻り、四人が発ったと聞き、戸惑っているコマに対して、女将が話しを続ける。

「あ、そうそう。あの娘さんから預かってる物があったんだ。コマさんが来たら渡して欲しいって」

 そう言いながら女将は、伽耶から預かった紙をコマに手渡した。


 宿を後にし、道端で紙を開いて眺めるコマとロッテ。

 コマは、それを見てふっと笑い、ロッテを見た。


「ロッテは自分が利用されたって思ってるかもしれない。でも真意は違うんだよ」

「真意?」

「そう。今度は最後まで言わせて」

 コマはロッテに体を向ける。


「私はね、この町を少しの間、離れようと思うの」

 やり場のない怒りにむすっとするロッテの肩に、コマが優しく手を乗せる。




「――あなたと一緒にね」




「え……?」

 ロッテは思わずコマを見上げた。

 胸の奥で、怒りとも戸惑いともつかない熱いものが込み上げ、声にならない。

 赤松の暖かい春風が二人を包むようだった。

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