第4話 進展

 ノエルは俺の手を引っ張ったまま勢いよく扉を開けた。


「ベリトさん!」


 机に向かって帳面を見ていたベリトさんが、驚いて顔を上げた。

 クリーム色の長い髪を整えて、大きく瞬きを何度も繰り返している。


「の、ノエル? それにノアまで。どうしたの?」


 俺は荒い息を整えながら、ベリトさんを見つめた。


「ノア、大丈夫? 息が荒いようだけど」

「だ、大丈夫、です。けど、ちょっと待って、ください……」


 必死に呼吸を整える。


「もう、早く言いなさいよ」

「だ、誰のせいで……」

「大丈夫だから。ゆっくり、落ち着いたらでいいからね」

 

 ベリトさんは笑みを浮かべながら、俺が回復するのを待ってくれた。

 深呼吸してから、俺は口を開いた。


「ベリトさんは、俺達が騎士団を目指してるって知ってますよね?」

「ええ。最近ノアが凄い頑張ってるのも知ってるわ。偉いわね」

「あ、ありがとうございます」

 

 っと、照れてる場合じゃない。


「俺とノエルは、騎士団に入ったらその給料を孤児院に入れます。子どもたちのために、ここに全部回すつもりです」

 

 俺の言葉に、ベリトさんの目が見開かれる。

 驚きと、信じられないような表情。

 だが、それはすぐに落ち着きを取り戻す。


「なに言ってるの。貴方たちが頑張って稼いだお金は、自分のために使いなさい」


 机の上に置かれた帳簿がそっと閉じられる。

 内容は見られなかったが、中身の想像は付く。


「最近スープが薄すぎたかしら? 子供たちを心配させちゃダメよね。もうちょっと濃くするように伝えておかないと」


 優しく微笑むベリトさんの気持ちが、今の俺には痛々しく映る。

 説得は難しいかも知れない。

 なら、子供なりの対応をするしかない。


「ベリトさん、諦めてください。俺達はもう決めたんです。なにがなんでもお金をここに入れるって」

「ノ、ノア。どうしてそんなこと」

「私もよ。ベリトさんに拾われて今があるんだから。そうするのは当然よね?」

「ノエルまで……」

「たとえ拒否されてもやめません。なにがなんでも孤児院にお金を入れます」


 暫く困ったように俺とノエルを見比べた後、ベリトさんは困ったように笑う。


「ここを出たら、貴方達には前を向いて生きて欲しいのに」

「前を向いても後ろを向いても、俺達に見えるのはベリトさんたちですから!」

「いつまで経っても私達の親ってことね!」


 その言葉に、ベリトさんが息を呑んだ。

 

「ノア、ノエル……」


 ベリトさんの唇が震え、次の言葉がなかなか出てこなかった。

 次の瞬間、大粒の涙が頬を伝い落ちた。


「ありがとう。わたしなんかに、そんなこと言ってくれるなんて」


 席を立ったベリトさんは、俺とノエルをまとめて抱きしめた。


「受け取るわ。二人の気持ち、無駄にはしないからね」


 肩に落ちる涙の温かさを感じながら、ノエルと顔を見合わせる。


「ベリトさん。困ったことがあったら言ってくださいね」

「ええ。ここにいる間でも、頼ってくれれば協力するんだから」

「そう。そうね……」


 ずっと胸に引っかかっていたものが、ようやくほどけた気がした。


♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢


 その日の夜、今日も今日とて残飯漁り。

 まだ痛んでもない飯を捨てるとは、王都に住んでいる者たちも贅沢なもんだ。

 これじゃただの美味い飯。

 スキルの成長に繋がらない。

 この際、美味いからそれでもいいけど!


 腹を満たして孤児院へ戻ると、玄関脇の部屋から声が聞こえてきた。

 前に聞いた声と同じ、人身売買をベリトに持ち掛けた連中だ。


「ベリト、いい加減考え直せよ。子どもを何人か売れば、あんたも楽になるだろ」


 吐き捨てるような言葉に、無意識に拳を握る。

 だが、そのすぐあとに聞こえてきた声は強かった。


「お引き取りください」

「なんだよベリト。今日は随分と強気じゃねえか」

「ここにいるのは私の子供です。金のために売るなんて、絶対にしません」

「あぁん? 血の繋がりもねえガキ共だろ?」

「血など関係ありません。私の大切な子供たちを、貴方達に渡すことはありません」


 扉越しに、彼女の強い決意が伝わってくる。


「っち。今日は無駄みてえだな。またくる。お前ら、行くぞ」


 男たちは舌打ちをし、足音を響かせて去っていった。


 これはきっと、ゲームにはないストーリーの進み方だ。

 ベリトの気持ちがいつまで持つかはわからない。

 それでも、俺とノエルがいるうちは、孤児院を守ってくれるはずだ。


 ここからだ。

 孤児院を守るために、俺はもっと強くならなきゃいけない。

 強くなっているとはいえ、状態異常耐性スキルはまだ鍛えられる。

 逆に言うと、もっと鍛えなければいけないということだ。


 闇に消えていく背を見ていると、中からベリトが出てくる。


「ノア。こんなところでなにをしているの?」

「べ、ベリトさん!」

「……聞いていましたか?」

「なにをでしょうか?」


 横目でこちらを見てくるベリトから目をそらす。


「はぁ、まったく。この子は……」


 そのため息にはどんな意味が含まれているのか。


「夜な夜な街に出ているようですが、なにをしているんですか?」

「今日たまたま散歩に行ってただけで、毎日ってわけじゃ」

「そうなんですね。ノアっ!」

「あっ!」


 懐に忍ばせておいた麻痺キノコを奪われる。


「なんでこんなものを持ってるんですか?」

「こ、これはですね」

「あと、その臭い」


 くんくん、と俺の身体の匂いを確認してくるベリトさん。

 逃れようとするが、肩を掴まれ、くんくんと動く鼻が眼前に迫ると。


「……残飯漁りをしてますね」

「ど、どうしてそれを」

「臭いでわかります」


 得意げにそういうベリト。


「懐かしい。というのは、今は関係ありませんね。なぜそんなことを?」

「い、いや。あの。これは」

「まさか子供たちのために? であればやっぱり資金繰りをどうにかしないと」

「違います! いや、残飯食べれば他の子に分けられるっていうのは事実ですけど」

「ではなんのために?」


 再び、ぐっと顔が近づけられる。

 ばっちりと開くベリトの瞳は真剣そのもの。


 ……ここは、誤魔化せないか。


「俺はノエルほど強くないですから。別のところを鍛えないといけないんです」

「別のところって」


 俺はベリトが持つ麻痺キノコに齧り付く。


「ノア!? なにを!」


 噛み砕いた瞬間、舌に広がるえぐみと痺れ。

 喉を通った途端、電流のような感覚が全身を駆け抜けた。


「ぐっ……!」


 腕が震え、足先まで感覚が薄れていく。

 息をするが肺がうまく機能している気がしない。

 視界が揺れ、冷汗が出てくる。


「ノア! 今すぐ吐き出して!」


 ベリトさんが必死に俺の肩を支える。

 俺は首を横に振り、痺れる舌で無理やり声を絞り出した。


「だ、大丈夫。です、から」


 麻痺に侵された身体は重い。

 だが、完全に動かないわけじゃない。

 俺は震える腕を上げ、ゆっくりと拳を握ってみせた。

 深呼吸をして、その場で足踏みをしてみせる。


「うそっ。普通だったら立ってもいられない毒のはずですよ」

「ノエルと違って、強く、ないですから。こういうところで、頑張らないと」

「まさか、何度も食べていたのですか?」

「麻痺キノコは、初めて、でしたけど。なかなか、キツイ、かも」


 王都に売られてるぐらいだから、効果は薄いと思っていたが。


「当たり前です! 麻痺キノコは猛毒ですよ!」

「そ、そうでし、たか。あはは……」


 俺の認識が甘かったようだ。

 心配してくれているベリトさんが触れる感触すらない。


 が、急に身体が軽くなった。

 重りを外されたみたいに、肺に空気が入りやすくなる。


 恐らくスキルレベルが上昇したからだ。


「ほ、ほら。大丈夫。大丈夫ですよ」

「ノ、ノア?」

「ふぅー……。俺が残飯を食べ漁ってる理由はこれです」

「これって言われても」

「汚いモノを少しずつ食べて、耐性を付けてるんです」


 腕を掴むベリトさんの腕を、しっかりと掴み返す。


「これが俺なりの強くなる訓練です」

「なぜそこまでして強くなるんですか? そんな無茶をしなくても」

「みんなの笑顔が見たいから。みんなを幸せにしたいんです」


 それが俺の頑張る理由だ。

 ベリトは暫く俺の眼を見続けると。


「……変わりましたね、ノア」

「ノエルにも言われました」

「だとしたら、間違いないんでしょうね」


 ベリトが静かに目を細め。

 その瞳は潤んでいるのに、どこか穏やかで、優しく俺を見つめている。


「覚悟は、決まっているんでしょうね」

「もちろんですよ」

「そうですか。なら付いてきてください」

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