第12話 告白の夜
「ハルヒト、ちょっといい?」
学科と学科の間の空き時間。僕が寮のベンチに腰を下ろし、手持ち無沙汰に煙草のフィルターを爪でトントンと弾いていると、トオルが妙に真剣な表情で声をかけてきた。
「ん」
僕は煙草の箱を差し出したが、彼は軽く手を振って笑った。
「俺は吸わへんし。まだ高校生やし」
ああ、そうだった。僕なんか中学のときから吸っていた。
周りも普通に吸っているから気にしていなかったが、高校生は煙草なんか吸っちゃいけない。
トオルは僕の正面に腰を下ろした。そして、こちらの視線を逃さずに言った。
「ハルヒト、しおりちゃんと、どうなってるん?」
僕は、一瞬だけ目を細めて煙草をくわえ直した。
どうなってるもこうなってるもない。僕たちが毎日ずっと一緒にいて、食事も隣同士、飲み会も並んで座り、休憩ごとに連れ立って散歩に出かけているのを、彼も見ていたはずだ。
しかし、だ。
確かに、何度もキスはした。でも、例の青島事件の夜のあと、何となくタイミングを逸したまま、それ以上の進展はなかった。お互いに恋人同士と明言したわけでもなく、付き合おう、なんて言葉もなかった。
だから僕は黙って煙を吐いた。トオルが、さらに踏み込んだ。
「……俺、しおりちゃんのこと、好きなんよね」
なんというストレート・フラッシュ。
僕は少しだけ肩をすくめた。真面目系男子の直球告白というやつだ。反則級の真剣さと無邪気さで、むしろ感心してしまった。
トオルは続けた。しおりには大阪に彼氏がいることも知っている。でも最近の彼女の様子は、どう見てもハルヒト(つまり僕)と、恋人のようだったから、気になって仕方なかった、と。
「彼氏とはもう別れたのかなとも思ったんんや。でも……あの子って、そういう“軽い”タイプには見えへんし」
“軽い”という単語が、僕の中のどこかをチクリと突いた。でも顔には出さず、にこやかに煙を吐いた。
「……それで?」
僕が尋ねると、トオルは予想外のことを言った。
「もう告白した。全部聞きいた。ハルヒトとのことも、彼氏のことも」
「……おい早いな(笑)」
苦笑混じりに言うと、トオルは真面目な顔で答えた。
「彼氏とは連絡も取ってないから、どうなるか分からない。でもハルヒトとは“付き合ってはいない”。トオルちゃんのことは好きだけど、恋愛対象として考えたことはなかった。でも、好きと言ってくれて嬉しかった、って」
僕の頭の中に、何かがざわついた。
確かに、僕たちは「付き合おう」と言ったわけではない。あの夜以来、一線も越えていない。それでも僕は、彼女の心はもう僕のものだと――どこかで自惚れていた。
それがこのザマだ。
内心の動揺を押し隠し、僕は作り笑いを浮かべて言った。
「じゃあ、ライバルやん」
トオルは晴れやかな顔で言った。
「やっぱりハルヒトも好きなんやね、しおりちゃんのこと。正直、もうとっくに俺には目がないと思ってた。でも、同じ土俵に立ってるって分かって嬉しいわ。負けへんで!」
何が“同じ土俵”だ、と心の中で毒づいたが、表面は穏やかに。僕はわざとらしくトオルと握手をした。
チャイムが鳴った。
僕たちは何もなかったかのように、教室へと歩き出した。
◇ ◇ ◇ ◇
その夜、僕は大部屋の大宴会からしおりに目配せして、ふたりでロビーへ抜け出した。
あいかわらずうらぶれた、くたびれた合宿所のロビー。スプリングのヘタったソファに腰掛け、僕はしおりに昼間の出来事を話した。
しおりは、驚いた顔もせずに笑った。
「うん、驚いたよ。でも私……モテてる?」
呆れたような、ちょっと得意げなその表情が、妙に腹立たしかった。
僕は感情が顔に出ないように細心の注意を払いながら、言った。
「僕は、傷ついた。とても、傷ついた。」
しおりはきょとんとした顔をしたあと、少しだけ眉をひそめた。
「でも君、私に“付き合ってくれ”って言ってくれた? 言ってないよね? あおいちゃんともなんかコソコソしてるしさ、私たち…付き合ってないやん?」
言い返せなかった。確かに、僕はいつも肝心なところで口に出す勇気がなかった。
「私だって不安なんだよ。彼氏のことだって、放ったらかしだし、君の態度も煮え切らないし。そんな状態で、どうしてトオルちゃんに“私の恋人はハルヒトです”なんて言えるの? だいたい――」
その声は、いつもの少しハスキーでやわらかい響きのまま、でもほんの少し熱を帯びていて、言葉の端々に焦りと戸惑いがにじんでいた。
「付き合ってくれ」
僕は、彼女の言葉を遮るように、思い切って言った。
「俺は、しおりが好きや。残してきた彼氏とも、別れると決めて。僕と付き合ってくれ」
しおりは黙った。
時計の秒針の“コツコツ”という音だけが、世界に響いていた。
やってしまったか――。早まったか?
長い沈黙ののち、しおりが「すん」と鼻をすする音が聞こえた。
「やっと言ってくれた。やっと」
彼女は涙声で言った。
「返事するね。君は、私の、恋人だよ」
少しかすれたミルキーボイスが、僕の心の一番奥まで届いた。
◇ ◇ ◇ ◇
翌朝。
僕はトオルを見つけるなり、笑顔で言った。
「すまんな、お前のおかげで、俺は幸せや!」
トオルは何のことか分からず、ぽかんとしていた。
まあ、いいだろう。
しおりは、もう僕の恋人なんだ。
その日の空も、やけに晴れていた。
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