6.前のめりに生きてなんぼ
「……名雲さんだ」
世界は案外狭いらしい。
食いつくようにミチ先輩のスマホを手に取って、和泉は懐かしい人の顔をまじまじと見つめる。
「これ、うちの大学ですよね」
人に囲まれた写真の中には、見覚えのある大学祭の飾りが見えた。
「名雲さん、うちの大学の人なんですか? ミチ先輩の知り合いだったんですか? どこで知り合って――」
「ちょ、ちょっと待てよ」
衝動のままに詰め寄ると、ミチ先輩は慌てたように身を引いた。
「まあ落ち着けよ。それ、三年とちょっと前の写真だ。名雲はたしかにうちの大学にいたけど、とっくの昔にいなくなってる。俺が一年のとき、その人、四年生だったから。俺の知り合いっつーか、知り合いの知り合いだな」
三年前というと、ちょうど和泉が三度目の受験を控えていた時期だ。ミチ先輩の三つ上ということは、名雲は今二十五歳ということか。
「有名な人だったよ。成績はいつもトップだったし、就職だって大手に決まってたらしい。なんでうちみたいな三流大学にあんなやつがいるのか不思議なくらいだって、上の学年の人たちがよく噂してた。卒業式ではあの人が主席だろうって聞いてたけど……」
「違ったんですか」
尋ねると、ミチ先輩は言いづらそうに口ごもった。
「卒業しなかったんだよ。卒業の一期前に中退した。家庭の事情っつーか、親の借金と介護のせいで在学できなくなったって聞いたけど……気の毒な話だよな」
ということは、和泉の金を取ったときも、やはり名雲は金に困っていたのだろう。だからといってモヤモヤが晴れるわけではないけれど、少しだけ納得できるものはあった。
「俺が会った名雲さんは、ちょうと中退したあとだったってことですよね。もっと年上の社会人かと思ってました。介護の仕事をしてるって言ってたんです」
「あー……。たしかに介護の資格が欲しいっつってた記憶はあるよ。バイトもそっち関連だった気もするし。でも、その辺も複雑らしいぞ。喫茶店やってた父親が経営難でギャンブル狂いになって、それを苦にした母親が自殺しようとしたとかなんとか。介護がいるようになったってことは、親御さんのどっちかがよっぽどひどい状態だったんだろうな」
「よく知ってますね」
思わず突っ込むと、ミチ先輩は片眉を上げて、とんとんと自分の耳を指で叩いてみせた。
「言ったろ? 壁に耳あり障子に目あり。他人の不幸っつーのは、おもしろおかしく拡散されるもんなんだよ。気をつけな」
「気をつけます。ちなみにその潰れた喫茶店の名前、分かりますか?」
食いつくように和泉は尋ねる。その勢いに驚いたのか、ミチ先輩は目を丸くした。
からりと氷が軽やかな音を立てる。一瞬の動揺をさっと笑顔で覆い隠したミチ先輩は、余裕ぶった頬杖をつきながら問いかけた。
「何だ、家まで押し掛けようってか? いつも受け身な和泉くんにしてはずいぶん積極的じゃないか」
「いえ、その……、そういうわけじゃないんですけど……」
ただ、また会える可能性が少しでもあるのだと思ったら、聞かずにはいられなかっただけだ。
「いいよ、皆まで言うな。どうせそこまで遠くないし、明日あたり、卒業旅行代わりにドライブでもしてみるか?」
おあつらえ向きに明日は土曜日だ。バイトの予定も入っていない。おずおずと和泉はミチ先輩を見つめる。
「……いいんですか?」
「おうよ。大学生活ラストに、後輩の恋路を見守るってのも悪くない」
そう言って酒を飲もうとしたのだろうが、ミチ先輩のグラスには何も残っていなかった。そっと和泉の水を差し出すと、ミチ先輩は「ありがとう」と言って嬉しそうに受け取る。
気持ちのいい飲みっぷりを見せつけたあとで、感慨深そうにミチ先輩は和泉を見た。
「和泉のそんな必死な顔、初めて見たよ。そういう顔もできるんだな」
「必死……なんですかね」
和泉にとって、良くも悪くも名雲という男は忘れられない相手だ。けれど、どこで何をしているのかも分からぬ相手のことなど、苦い思い出としてこのまま色褪せていくだけだろうと思っていた。積極的に探そうとも思わなかったし、もう一度会いたいとも思わなかった。
(……いや、違う)
会いたくないなんて嘘だ。会えるはずがないから、諦めようと自分をごまかしていただけだ。
だから、思いがけず細い繋がりが見えた途端に、食いつかずにはいられなくなる。考えるより先に、体が勝手に動いてしまう。
家族と離れてからの三年間で、自分の心にはだいぶ聡くなれたと思っていたのに、どうやらまだまだ疎いらしい。己の腹事情さえ分からなかったあのころから、ちっとも成長できていない。
気恥ずかしさに目を泳がせていると、ミチ先輩は「いいことだ」と満足げに肩を叩いてきた。
「普段のミステリアスな和泉くんも悪かないけど、人生なんてもんは前のめりに生きてなんぼだからな!」
「そういうものですか」
「そういうものだ!」
べろべろになったミチ先輩に肩を貸しつつ、物静かなバーテンダーに会計を頼んで店を出る。路地に描かれた紫陽花模様のスプレーアートが、妙に達者で目についた。
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