消失点

 それは完璧な密室だった。 雪深い山荘。外部との連絡は途絶え、唯一の出入り口である扉は内側から固く施錠されている。窓も全て内鍵。暖炉の火が静かに燃え、薄暗い部屋を影が這う。


 朝、発見されたのは、当主・広瀬の凍りついた遺体。 胸には、一撃で命を奪ったであろう、鋭利な刃物。周囲に争った形跡はない。


 集まったのは、山荘に滞在していた広瀬の妻、友人、そして広瀬の秘書。 全員にアリバイがあった。 妻は隣の寝室で泥のように眠っていた。友人は深夜まで読書をし、秘書は自身の部屋で報告書に目を通していたという。彼らは皆、広瀬の部屋から離れた場所におり、物音一つ聞いていない。


 捜査官の伊吹は、部屋をゆっくりと見渡した。 血痕は遺体の下、床にわずかばかり。刃物は広瀬の手元、床に転がっていた。 完璧な密室。誰も入っていない。誰も出ていない。 ならば、凶器はどこから現れた? そして、犯人は?


 部屋の隅、アンティークの地球儀が目に留まる。 ひび割れた表面。その裂け目から、わずかに赤黒いシミが見えた。 伊吹は地球儀を拾い上げ、遺体と交互に見つめた。 そして、ゆっくりと、しかし確信に満ちた声で呟いた。


「この地球儀は、持ち主の記憶を呼び起こすものだとか」


 彼の手にある地球儀は、本来、内部を照らす電球が仕込まれているはずだが、それはどこにも見当たらない。 広瀬の胸に刺さっていた刃物が、どこかで見たことがあるような――。 伊吹は、皆のアリバイをもう一度頭の中で組み立て直した。


 やがて、伊吹の視線は、部屋の入り口に最も近い位置にいた人物に固定された。 その人物だけが、夜中に一度、広瀬の部屋から出てきている可能性がある。 彼のアリバイは、本当に完璧だったのか? 伊吹は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。 扉の鍵が、内側からかけられていた…それが、この事件の「消失点」。 そして、その消失点を生み出すことができるのは、たった一人だけだ。

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