変わってしまった日々
――白瀬さんにお手伝いを任された翌日、登校中。
俺は家事技術の向上に努めている。単に人数が増えることが負担なのではない。
料理や掃除、洗濯――どれも男一人の場合とは気を配る量が段違いだ。
「お?」
俺は洗濯表示の多様性に辟易していた。
「小街く~ん。……あれ?」
これマジ? 世の主婦主夫(順不同)方々は覚えてんの?
「調べてんのか……そもそも珍しいのか――」
「無視するんじゃないよ」
「おぅわッ!」
白瀬春乃は無遠慮に、俺の脇腹を強く掴んだ。
快晴というのに少なめのハイライトを宿した、青い瞳。
対照的に、その銀髪は陽光を編んだように煌いていた。
「考え事ですか?」
「ちょっと調べもの……だけどここ学校近いし、用ないなら……」
あまり俺に近づかない方がいいと、そう思った。
用もないのに俺みたいな男と歩くなんて、白瀬さんがしていいことじゃない。
「用ならあるよ。おはよう、って言いたかったの」
寂しそうな顔……とは、少し違った。
不平、不満、怒り――なんというのか、適した言葉が見つからない。
「おはよう」
俺の言葉を聞いた白瀬さんの顔、今度はわかりやすかった。
不平と不満の激おこだ。
「義務挨拶すんな!」
「えっ、だって、おはようって言いたかったんでしょ?」
「そりゃそうだけど、挨拶っていうのはさ、その日初めて心を通わす瞬間で――」
ぶっきらぼうに言った俺が悪いのはわかる。
でも小一時間話が続きそうだったので、俺は先を急いだ。
「手ぇ繋ぐよ?」
「わッ、ごめん! 俺が悪かったからそれだけは!」
「これが脅迫になるの、複雑なんだけど」
仕方がないのだ。校内ならともかく、校門を一緒にくぐるわけにはいかない。
そこには――ヤツらがいる。
「おはようございます!」
「おはよう! いい天気ですね!」
校門にずらりと、男達が並んでいる。
元気に健やかに挨拶をする彼らは――風紀委員ではない。
「おはようございま~……す」
「「「おはようございますッ!」」」
白瀬さんが静かに挨拶をすると、彼らは数百倍の熱量を返す。
「ああ……白瀬さんは今日も白瀬さんだなぁ……」
「いやいや、今日はまた一段と白瀬さんだよ」
彼らは――『白瀬春乃ふぁんくらぶ』。永嶺学園〝最大人数の〟部活動である。
兼任歓迎だとして、ギャグだろ。
学校のパンフレット作る人の気持ち考えたことあんの?
毎朝わざわざ教室に来て白瀬さんに挨拶をするので、迷惑だとそれが禁止され。
『じゃあ校門で全員に挨拶すればよくね?』と天才的な発想で校則の穴を抜けた。
きっとああいうヤツらがパチンコとか作るんだろうな。
「おはようございます」
俺はしっかりと白瀬さんから距離を取りつつ、校門をくぐった――のに。
「――あ」
白瀬さんはふと、振り返った。
「小街くん! おはよう!」
『ふぁんくらぶ』は俺を見た。
「お”う”……ぐ……おは、よう……ございます」
「んふふ~」
白瀬さんは満足そうに、いたずらっぽく微笑んだ。
◆◆◆
午前中はどうにか致命傷で済んだ。
この教室にも10人ほど『ふぁんくらぶ』がいる。早退しようかな。
「白瀬さん、一緒にお昼どう?」
誘うのは女子。男子は話しかければめった刺しだからな。
それはそれで不健全な気もするけど。
「あー……」
こっちを見るなよ。
「うん、いいよ」
「やったぁ! じゃあ、カフェ行こ。今日ね、スイーツ無料券あるんだ~」
「わ、いいねぇ」
今日はどの隙間に住み着こうか悩む、俺の前を通り過ぎる白瀬さんが机を小突く。
その拳を開くと、ひらり一枚の紙が落ちた。
『一緒に帰ろ』――と、書かれていた。きっと何を言っても聞かないだろうな。
まぁそれはまだわかるんだけど。
白瀬さんお気に入りの、このペンギンのイラストはやめてほしい。
かわいいのに目が怖い。次元の壁を超えそうな、名状しがたい恐怖を感じる。
◆◆◆
「ごっめ~ん、待った?」
「待ったよ。待ってたんでしょ」
放課後から少し経ち、誰もいない教室に白瀬さんが顔を見せた。
誰もいなくなるのを待って、きっと他の用事を済ませていたのだろう。
「帰ろうか」
荷物を持って立とうとすると、白瀬さんは手に持つファイルを差し出した。
「はいこれ」
「なにこれ」
「雇用契約書」
……内容、場所、期間、報酬……うん、雇用契約書だな。
今までこれを用意してたのか。
「報酬はちゃんと渡したいから。そして家事使用人は、労働基準法の適用外!」
「恐ろしい言い方するな」
「深夜労働もできちゃうねぇ」
でも願ってもない。時間の制約がないのはありがたい。
どうしても時間外に伸びることはあるだろうし、休日も――コイツ今なんつった?
「深夜労働……? の可能性が?」
「え、や、その……ほらあれよ。主に秋穂とか冬樹とかがさ、ど~しても引き留めることがあるかもしれないし」
「……まぁいいけど」
その場合白瀬さんちに泊まることになるのかな。
なんてこった。秋穂ちゃん用に絵本を持って行こう。
――と、さっさと書いてしまおう。
「……ん?」
「む、不備でもありました?」
「不備じゃないけど――報酬たっけぇ、と思って。世の平均年収超えるよ」
「そりゃあ、四人分だから。……むしろそれくらいで申し訳なく……」
白瀬家の財産状況は知らないけど、これくらい支払う余裕はあるんだな。
すげぇなマジで大富豪。『白瀬』って、どんな一族なんだろ。
「今更だけど、扶養とか大丈夫?」
「父さんに相談はしたよ。『そうか』だって」
「……でっけ~、器」
本当に、今更だしな。
「はい。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
……本当にお手伝いさんになっちゃったな⁉
口約束とか、簡単な書面とかじゃなくて、雇用契約書交わしたなぁ!
ちゃんと、責任を果たさないと。
「じゃあ今日からってことで」
「どうぞこき使ってくださいな」
冷蔵庫の中身は覚えてるし、スーパーに寄る必要もないかな。
必要なものは見てから――明日どうせ土曜日だし。
「よっしゃ、じゃあ帰ろ。夏凪待ってるし」
帰路につきつつ、頭を抱えた。そうだった、夏凪ちゃんどうしよう。
壁があるまま続けるわけにはいかない。引き受けた以上は、何とかしないと。
「ん……たぶん大丈夫だと思うよ。夏凪と小街くん、ちょっと似てるし」
「俺、あんな冷たい目してる⁉」
「してない。や、夏凪も冷たい目なんてしないよ?」
そりゃあ姉だからだ、家族だからだ。
白瀬さんはあの、異物を見る目を知らないだろう。きっと虫を見る目だ。
「小街くんが、夏凪に家族判定されればいいわけだから」
「それができりゃ苦労しないのよ」
「春乃ディレクターに任せなさい! 斬新でユニークなアイデアを考えましょう」
「おお……期待してますよ、ディレクター」
しかしうーん……と二人で腕組み悩むまま、白瀬家についてしまった。
「よし、アドリブで」
「ディレクターやめちまえ」
朗らかな笑みで突き放されて、俺の心は沈んだ。
だが――これは仕事なのだ。俺がやらなければならない。
「ただいまー!」
と白瀬さんが玄関を開けると、そこには夏凪ちゃんがいた。
まるで主を待つ猫のように柔らかな笑みを向け――俺に気づく。
「おかえ――はぁ……」
文句を言われるより傷ついた。
「また来たのね」
「これからも来るよ」
瀕死の重傷であろうとも、負けるわけにはいかない。
せめてにこやかに、警戒を解いてもらおうとするものの。
「ああ、そう……」
敵対より無関心の方が辛いと、俺は初めて知った。
夏凪ちゃんは聡明だ。白瀬さんの――姉の限界は知っている。
他人の手が必要だと知った上で、理解の上で、俺を考えないようにしている。
「うちの中、見てまわるでしょ? 私は部屋にいるから」
言い残して、夏凪ちゃんは振り返った。
白瀬さんが俺の袖を引く。
「すっごい……冷たい目してた……ぁ」
「そうでしょうとも」
わかってくれてよかった。改めて思い知らされた。
そう簡単にはいかない。
「ご、ごめんなさい。ちゃんとあたしが言って聞かせるから」
「ううん、大丈夫。なんとかするよ」
何から始めようか。好きなものとか、趣味とか、したいこととか知らないと。
お手伝いさんは、ただ家事をするだけの人じゃない。
「やりがいあるなぁ」
ココロの隙間を埋めなければ――
「……ぅ笑ってる~~コワ~!」
「やる気の新人に怯えるなよ、ディレクターが」
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