第3話
「あ、あの」
教室を出ようと席を立った時、柊が声をかけてきた。
「ど、どうしたの?」
「ええと、そのまま家に戻る?」
「まあ、そうだけど」
「じゃあ、一緒に帰ってもいい?」
「え?」
「そ、その、初日だから緊張してて」
「ああ、なるほど」
あまりにいつも通りの一日過ぎてすっかり忘れていたけど、今日から柊がうちにバイトでやってくるんだった。
初日だから緊張する、という気持ちは俺にもわかる。
初めて店で働いたのは確か去年の冬頃だったけど、自分の家だというのに店の制服に袖を通して客前に立つあの時の緊張感は半端なかった。
ただでさえ人見知りっぽい柊のことだし、他人の店で働くとなればあの時の俺とは比べものにならないだろう。
「まあ、緊張するのは無理ないよ。ちょうど母さんにさ、仕事のこと教えるように言われてたし帰りながら話そっか」
「う、うん。不束者ですが、よろしくお願いします」
大袈裟な挨拶をしながら深々と頭を下げて柊は固まっていた。
少しの間、彼女が顔を上げるのをジッと待ってはいたのだが、ずっとそのままだったので俺の方から「そろそろ行かないと」って声をかけて。
二人で早足気味に教室を出た。
◇
「いらっしゃ……あら、雪愛ちゃんこんにちは」
店に戻るとちょうど夕方のための準備中で、テーブルで休憩していた母が柊を見て駆け寄ってきた。
「よ、よろしくお願いします!」
「そう固くならなくていいわよ。我が家と思ってくつろいで」
ねっ、新、と。
目配せしながら笑う母は俺を揶揄っているつもりだろう。
何を期待してるか知らんが、柊はあくまでバイトしに来てるんだ。
俺が変な気を起こして働きにくくしたら元も子もない。
「じゃあ私は奥で休んでるから。新、これからのこと色々話しておきなさい」
「はいはい」
母さんがいなくなると、柊は隣で少し大きく息を吐いた。
「ふう」
「ごめん、馴れ馴れしい母親で」
「う、ううん大丈夫。親しくしてくれて嬉しい」
「そう? まあ、怒るような人じゃないから安心して」
店が再び開くまであと一時間。
とはいえ、それまでの間も決して休まるものではない。
父は仕込み、母は経理、そして俺はこの時間に掃除や洗い物をする。
まずは簡単なことからやってもらおうと、柊を食洗機の前に案内した。
「うわー、溜まってるなあ。柊さん、ここにある食器を順番に食洗機に入れていってくれる?」
「うん。あの、森崎君は?」
「俺はその間に表の掃除でもしてるよ。終わったら声かけて」
そう言い残して俺は外へ。
いつもは両方俺の仕事だから、片方だけでも人がやってくれるのはありがたい。
とはいえ今日は初日だから、少ししたら様子を見に行ってあげないとなんて思いながら玄関先をはいていると。
「あの」
柊が外にきた。
「ん? なにかわからないことあった?」
「ううん、終わった」
「え、もう?」
「うん。早く会い……ええと、早く次の仕事教えてほしくて」
「ま、待ってて。すぐ行くから」
今日の洗い物はいつにも増して多かったはず。
あれをこんな短時間で片付けてしまうなんてそんなことができるのだろうかと、半信半疑でシンクを見ると。
「おお」
思わず声が出てしまうほど、見事に綺麗に片付いていた。
山積みだった食器は綺麗に棚に仕舞われ、なんなら食洗機周りもピカピカに磨かれていて。
あまりの片付き様に言葉を失っていると、奥から母が出てきた。
「あら、ピッカピカじゃない。これ、新がしたの?」
「いや、柊さんが」
「えー、すごいじゃない。雪愛ちゃん、家事得意なのね」
「そ、そんなこと、ないですよ」
「いやいや、新だとこうはいかないもの。ふふっ、雪愛ちゃんが来てくれて助かるわ」
満足そうな母に、まんざらでもない様子で照れる柊。
そんな二人はどこか気が合うのか、「じゃあ営業時間まであっちでお茶でもしましょっか」なんて。
母が柊を連れていってしまった。
「……ったく」
しかし母のテンションが上がる理由もわからなくもない。
子供は息子一人だし、時々「職場に女の子欲しいわー」とぼやいていたから、念願叶って嬉しいのだろう。
柊は……意外と楽しそうに話してるな。
嫌じゃないならまあいいけど。
母さんが変なこと言わなけりゃいいが。
♡
「雪愛ちゃん、あの子は母親から見ても奥手っぽいからグイグイ行くのよ」
「は、はい。ええと、新君は彼女とか連れてきたことないんですか?」
「ないない。まあ、私らのせいで店の手伝いばっかさせてるのも悪いんだけどねー。まさかこんな可愛い子があの子を慕ってくれてるなんてねえ」
新君のお母さんはとても優しい。
昨日、なんとしてもバイトの面接に合格したかった私は、思い切って自分の気持ちをぶちまけたんだけど、そんな私を快く受け入れてくれた。
あの日。
入学式の日に困っていた私を助けてくれた彼に。
私は恋をした。
中学までは親の転勤などもあって何度か転校したこともあり、友達が少なかった私は自然と人見知りになっていった。
だからあの日も、通り過ぎていく人たちに声をかけることもできず、一人で泣いていた。
本当に存在感がないのか、クラス分けの名簿にすら名前を忘れられていたみたいで先生すら驚いていたけど。
私は思い切って、先生に言った。
彼と同じクラスにしてください。
もちろん先生は自分たちのミスだからと、私の願いを受け入れてくれた。
あの日の不幸も、彼のおかげで幸運なエピソードに変わった。
全部、彼のおかげ。
でも、学校でどう話しかけたらいいのかわからず、話しかけてくれた友達に彼のことを聞いたら、おうちが店をやっていると知った。
名前は聞いたことある有名店だったから、一人で行くのも緊張したけど。
勇気を出して来てよかった。
偶然、バイトの募集までしているなんて。
「さて、そろそろ営業時間ね。今日はこのエプロンつけて、私についてきて仕事したらいいから」
「は、はい。よろしくお願いします」
受け取ったエプロンをつける。
これ、実は前に新君が使ってたやつらしい。
おばさんは「おさがりでごめんね」と言うけど、私はその方が嬉しかった。
頑張って、ここでずっと雇ってもらうんだ。
ずっと。
シフトなんて言わなくていいように。
永久就職、できるように、ね。
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