「どんぶり」

「おうオヤジ、ごっそさん。ここの天丼はうまいね、海老が尻尾だけついたすり身みてぇな味しやがる。っと、小銭がどこだったかな……」


 客もまばらな定食屋。天丼をすっかり平らげた顔馴染みの与太郎が、そのポケットをまさぐる。


「ちょっと待てよ、今出すからな。──あ、そういやオヤジ知ってっか? どんぶりって日本語じゃねぇんだよ」


 手を動かし口を動かしの与太郎。店主は会計の片手間に適当な相槌で付き合うことにした。


「なに、じゃあ中国語かって? 違うってば英語だよ英語。の言葉なの!」


 オホンと、わざわざ拳骨を顔ン前まで持ち上げて咳払い一つ。


「『Don't bleed, count Joy.』ってホラ、聞いたことあるだろ?」


 そう言うと与太郎は念仏でも唱えるよう、早口にブツブツと繰り返す。


「どんとぶりーどかうんとじょい。どんぶりーどかうんじょい……どんぶりーかんじょい……どんぶりー勘定って」


 店主もこれには思わず、ほぉと感心したため息を吐く。店主も商売人だ。『どんぶり勘定』くらい聞いた覚えはあるが、その謂れまでは知らなかった。体どころか頭のほうも怠け者の与太郎にしちゃあ、えらく含蓄のある言葉を知っていた。


「コレは救世主メシアが『傷つくのを止め、楽しさを数えなさい』って言いなさった嘉言かげんなんだよ」


 ウンウンと腕組みで頷く与太郎。立派なすり──海老天の次は、この言葉を噛み締めているようだ。


「そっから頭のほうだけ取って、傷のつかない丈夫な器のことをって言うようになったってワケよ。──お、あったあった。これで足りるよな。そんじゃなー」


 小銭をカウンターに放るなり、店の入り口のほうへ踵を返す与太郎。

 その背中に待ったがかかる。


「──あ? 何だって? 銭が足りねぇってのか。おいおい俺ァ楽しさを数えろってんだよ? 何も客が出した銭を数えろってんじゃないの」


 与太郎が投げつけた銭は、天丼どころか天かすだって買えないような端金だった。食い逃げしようとは太ぇ野郎だが、与太郎はまた賢しぶってオホンオホンと咳払い。


「いいか、もういっぺん言うぞ? 救世主メシアは言いました。『Don't bleed, count Joy.』と。このイーイ嘉言をだね……」


 また屁理屈を捏ね捏ね。そうして煙に撒こうとする与太郎が、不意に思い至ったようアッと声をあげた。


「あっ、なるほどな。『みたいなじゃ仕事にならねぇ』ってことか」


 バカ言っちゃいけねぇ。

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