第36話
※
俺は屋上へ続く梯子を猛烈な速度で登り、水溜りに足を突っ込みながら叫んだ。
「待て! 二人とも、戦闘中止だ! これは命令だぞ!」
「私はトシくんの部下じゃないよ! 命令なんて!」
「目標は極めて危険です、戦闘は中止できません!」
俺は交互に二人を見ながら、しかしどうにもできなかった。
肩書も階級も、なんの意味もないじゃないか。
「くそっ!」
自動小銃の弾倉を交換し、空に向かって撃ち放った。フルオートだ。
耳を麻痺させるほどの銃声を響かせ、俺は二人の様子を窺った。
恵美は黒翼を縮め、右腕を差し出している。僅かに帯電しているようだ。自身が感電していないのは、やはり超常現象の為せる業か。
一方の久弥は、自動小銃を構えていた。片手に一丁、両手で二丁。サーチライトで照らし出された腕は、無骨な機械で置き換えられている。
ふと、奇妙なことに気づいた。
恵美が攻撃する気なら、今までに雷光が何度も見えたはず。
久弥だったら銃声がバラバラと響いていたはず。
そのどちらも発生していないのは、どういうことだろうか。
あまりの緊迫感に、俺は正直、自分の存在が何なのかを見失いかけた。
ここには、俺が体験したことのないような濃度の殺気が漂っている――。
だが、いや、だからこそ俺は戦わなければならなかった。二人を止めなければ、俺は幼馴染を、あるいは部下を、もしかしたらその両方を喪ってしまう。
まさか、両親を亡くした時と同じ体験を俺にしろと?
「二人とも、動くんじゃねえ! 少しでも動きやがったら、今度こそ俺がぶっ殺してやる!」
この叫びが二人に届いたのかは定かでない。一つ確かなのは、これが合図になってしまったということだ。
恵美は一瞬で翼を展開、軽く屈み、屋上にクレーターを残す勢いで一気に上昇した。
久弥はと言えば、上空を見上げたまま、僅かに身体の向きを変えている。最終的に右腕を下げ、左腕に持たせた自動小銃で狙いを定めた。
先に仕掛けたのは、恵美。急上昇から急降下へと転じ、両腕を突き出しパッと展開した。そこから放たれたのは、小雨のように展開する電気エネルギーの光弾。
対する久弥は、バックステップを繰り返して光弾を回避、横転しながら自動小銃で速射。
恵美は翼を器用に動かし、直撃コースから離脱。数発喰らったように見えたが、あれは翼で防御しただけだろう。
久弥も久弥で、驚異的な運動性能を見せつけた。わざと転ぶことで光弾の嵐から距離を取る。久弥が立ち上がった時には、二人とも最初に相手が元いたところに足をついていた。
有限の光弾を放ち、飛翔するにもエネルギーを要する恵美。
有限の弾丸を持ち、未知の天使に立ち向かう久弥。
「惜しかったようですね、恵美さん」
「そのようですね、久弥さん」
突然の意味ありげな遣り取りに、俺は呆気にとられた。何の話をしているんだ、こいつらは?
すると、振り返りざまに恵美が大きく腕を伸ばした。次の瞬間、腕が揺らめいた範囲内からオーロラのような波が生まれた。瞬く間に広く展開し、久弥の腹部あたりの高さを維持して広がっていく。自分に有利なフィールドを築こうとしているのだ。
常人にあれを防ぐ手立てはない。予想通り、久弥はこれをしゃがみ込むことで回避。
予想外だったのは、久弥があるものを手にして立ち上がったことだ。
歩兵携行用の対戦車ミサイル。三発まで装填可能で、僅かな構造的特徴から察するに、今は熱線追尾弾が込められているようだ。
久弥は惜しげもなく、ミサイルを全弾発射。バシュン、という排気音に混ざって白煙が舞い、恵美から久弥の位置を覆い隠す。
恵美は敢えて退き、回避と防御を選択。飛翔しながら小さめのバリアを連続展開し、直撃を妨げる。しかし完全に爆風を封じ込めることは叶わず、翼で自身を丸め込むようにして、爆風と熱波に耐えることとなった。
そして、それこそが久弥の狙いだった。恵美が自由落下するように仕向けたのだ。トリッキーな飛翔を、無理やり封じ込めるために。
俺は叫ぼうとした。もうこれ以上は戦わないでくれ。どうして二人が戦う羽目に陥っているんだ。味方同士じゃないか。
だが、言葉にはならなかった。俺が口をぱくぱくさせているのは、実に滑稽な姿だっただろうな。
そんな俺の視野で、何かが銀色に煌めいた。久弥の腕だ。片腕が、目が眩むような真っ白な光を発している。だが目くらましほどではない。何をする気だ?
答えはすぐに現れた。久弥の腕が、細長く展開したのだ。
多関節の金属腕は鞭のようにしなり、一瞬で槍状に変形。それが爆炎と黒煙の境目に突っ込んだ。
ぶわり、と爆発物の残滓が吹き散らされ、体勢を崩した恵美の片翼を貫通した。
そのまま鞭は振るわれて、パラボラアンテナの基部に衝突。今度はコクリート片が飛散した。
久弥はすかさず、片腕に握ったままの自動小銃の狙いをつける。しかし一瞬、躊躇った。
慌ててバックステップするが、恵美の電撃からは逃れられなかった。
電撃が加えられたのは、ほんの一瞬。だがそれは、致命的な一瞬だった。何故なら、久弥の金属腕を通した電撃だけで、久弥はばったりと倒れてしまったからだ。
しかし、ここでただ倒れる久弥ではなかった。あの狙いでは、久弥の自動小銃は必ず恵美の左胸を直撃する。そう俺には察せられてしまったからだ。
そしてそれは、恵美の空気中の指向性電撃にも言えること。つまり、二人がいっぺんに絶命することになる公算が極めて高い。
「……んなこと……そんなこと、許せるわけねえだろうがああああああああ!!」
俺は自動小銃を投げ捨て、叫びながら二人の間に割って入った。
二人の中央で立ち止まり、片腕に自動小銃の銃弾を、もう片腕に電撃を喰らう。
痛みはない。というか覚えていない。その瞬間にしたって、何かを考えていたわけではない。
むしろほっとした。これで俺が死ねば、恵美も久弥も戦いを止めるだろう。
禍根は残るだろうが、だとしても最初の犠牲者は俺で構わない。
そして感じていた。
俺の全身の感覚神経が役割を放棄したのだな、とまるで他人事のように。
消えゆく意識の中で思ったこと。
安っぽい言い草だが――、ニュアンスこそ違えど、二人は俺が愛した女性なのだ。
俺のことはどうでもいいが、せめて二人だけでも生きてくれないか。
大野三佐が絶叫しているのが耳に残っているような気がしたが、今は眠らせてもらおう。そう判断し、俺は本能のままに意識を切り飛ばした。
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