第34話


         ※


 慌てて雪崩れ込んだ緊急避難シェルターだが、居心地は悪くなかった。

 空気は上手く循環され、食料保存庫やトイレ、風呂まで用意されている。


 本来の用途は、万が一にも日本がミサイル攻撃を仕掛けられた場合に、民間人を収容するということ。こんな山中にどれほどの民間人がいるのかさっぱりだが、もし研究施設の連中が主なお客だというのであれば、頷ける程度の規模だ。


 梯子を下りて廊下を進み、地下構造部の中央、セントラルに出る。そこはコンクリ―ト張りでありながら、どこかダイニングやキッチンに合う暖かな風情がある。理由はサッパリだが。


 疲弊した皆を労う意味もあってか、大野三佐は点呼を取り、生存者を確認してからしっかり休むようにとだけ告げた。ここには十数名の味方がいるが、ベッドルームの数は十分だった。全員に個室を与えても、まだ余るほどの室数。

 元から個室を与えられていた俺にはいつも通りの光景。だが、一般の兵士たちにとっては得難いものだったようだ。


「なるほど、そういうものか……」


 俺が顎に手を遣って皆を眺めていると、三佐に名前を呼ばれた。


「はッ、佐山准尉、参りました」

「……」

「三佐?」

「ん、ああ、すまんな。一応、人払いの済んだ会議室を用意した。本来なら『彼女』が自分でやるべきなんだろうが、タイミングがなんともな……」


 んんん? 三佐は何を言いたいんだ? というか、『彼女』って?

 俺が軽く首をひねると、時を同じくして恵美がそっと三佐の背後から顔を覗かせた。


「佐山准尉、命令だ。桧山恵美のカウンセリングをしろ。彼女が安心して眠るまで、警戒を怠るな」

「は、はッ?」

「彼女は我々が有する最強戦力だ。と、いうのが表向きの理由だが、本当の狙いは別にあってな。同年代の人間同士の方が話はしやすいだろう? 俺のような老いぼれでは、話し相手が務まらないのだ。そうなんだな、恵美?」

「その……、隊長さんには申し訳ないんですけど……」

「気にするな、恵美。それでだ、佐山准尉。お前が適任だと判断した」


 いやいや、そこまで持ち上げられても困る。カウンセリングなんて、する側もされる側も経験したことなどありやしないのだ。

 しかし。


「ごめんね、トシくん。でも、どうしても話しておきたいことがあって……」


 恵美が涙目でこちらを見つめてくる。涙は女の武器、とはよく言ったものだ。


「……了解しました。恵美を会議室に誘導します」

「ああ。よろしく頼む」


 敬礼を交わし合うと、三佐は自室にすぐにこもってしまった。セントラルに残された俺と恵美。仕方がないので、彼女に選択を任せよう。


「恵美、会議室以外に話しやすい部屋はあるか? 個室とどっちが話しやすい?」

「うん……、えと……」


 迷うくらいなら俺の部屋に呼ぶか。まだ荷物を置いたくらいの変化しかないのだが。


「ひとまず来いよ、恵美」


 こくり、と頷く恵美。俺はわざとらしく大袈裟な礼をして、ついてくるように合図した。

 わざわざ人払いをしてくれた三佐には申し訳ないのだが。


         ※


 個室は、これまた素っ気ない部屋だった。八畳ほどのスペースに、少し長めのソファやら、作戦検討用の地図やら、背もたれつきの椅子やらが点々と置かれている。

 壁際にはベッドまで準備され、見ようによってはVIPルームに見えないこともない。


 恵美を招き入れると、彼女は軽く頭を下げてから入室した。


「好きなところに座ってくれ。飲み物は?」

「うん、気にしないで」


 了解、と言ってから、俺も席についた。恵美と対面する位置にあった丸椅子を選ぶ。

 俺は先ほどの会話の肝要な部分を思い出しつつ、ゆっくりと切り出した。


「で、俺に話したいことって何なんだ?」


 この展開を予想していたのか、恵美はキッと目を上げ、こう言った。


「私、どうしてもトシくんに会いたかったんだ。だから天国で神様を説得して、現世に現れたの。でも、GBの装備で捕捉できるのは、霊体化している人たちばっかり……。だから、身体を手に入れる必要があった。そうすれば、トシくんなら私を桧山恵美だと理解してくれる。だから……」


 確かに、と俺は納得させられた。純粋な幽霊や霊体化した存在が、偶然生者の目に入るというのは、可能性ゼロではない。しかしそれはごく稀なケースであって、恵美にそれができるかどうかは定かでない。


「だ、だから手を結ばなくちゃいけなくなったんだ。――悪魔と」

「あ、悪魔……?」


 視線を落とす恵美。それでも、勇気を振り絞って言葉を続ける。


「悪魔は幽霊の望みを叶えたり、その手伝いをしてくれたりするけれど、必ず代価を要求してくる」

「代価、って……」

「私は、二十歳くらいに見えるような身体を要求した。飽くまでも大体、だけれど。その代わりに要求されたのが、GBとの接触だった」


 俺はいつの間にか、身を乗り出して聞き入った。恵美は目を上げ、俺の視線を真正面から受け止めている。


「GBとの接触、ってことは……。お、お前、俺たちを殲滅する、ってことを悪魔に強要されたんだな?」

「強要じゃないよ。ギブ・アンド・テイクだね」


そう言って、恵美は大きく息をついた。


「どうせGBに行くんだったら、大切な人と話でもしてきたらいいんじゃないか。悪魔もそのくらいは許してくれたよ。でも、十年ぶりにトシくんに出会ったら、その……、戻りたくなくなっちゃった」

「え、それってどういう――」

「私やっぱり君が好きだよ、トシくん」


 そう言って恵美は立ち上がり、俺の頭をそっと抱きしめた。


「でもごめんね、トシくん」

「な、何が……?」

「まさかこんな使い方をするとは思いもよらなかったけれど」


 そう前置きをして、恵美はゆっくりと、明確に言葉を発した。


「私は微弱な電気を扱うことができる。だからその能力を駆使して、トシくんの脳に特殊な電流を流したの。あなたに私のことが好きなんだと錯覚させるために」


 俺は自分が、足元から崩れ去っていくような感覚に取り巻かれた。


「お、俺のこの気持ちは……?」


 ここが恵美の限界点だった。恵美は、ごめんなさい、と何度も繰り返し、顔を上げてくれと言っても聞かなかった。


「今はもう、私もトシくんも他の皆も、何が何だか分からない。私、いったい何をしてしまったんだろう……」


 対象人物の身体に電流を流し、その思考を操る。俺のような下っ端の兵士には、まったく想像できない方法だった。

 そしてその方法が、桧山恵美によって行使され、俺が対象にされることになるとは。


 でも、俺の脳みそに刺激を与えたのは、恵美の電流操作能力だけだったのだろうか?

 俺自身、身体でも脳みそでもなく、そう――魂、とでも呼ぶべき部分で、既に彼女の存在を肯定していたのではないだろうか?

 

 ――事故の前も後も、そして今も、俺は桧山恵美のことが好きなんだ。

 ゆっくりでいい。今後の人生を彼女と共に歩んで行けたなら、どれほど素晴らしいことだろう。


 俺は恵美の頭を撫でるように、そっと手を差し伸べた。――そして、途中でやめた。

 それを自分に許してやるためには、俺は二人の戦いの果てを見定めなければならなかった。

 桧山恵美と市川久弥の、命を懸けた戦いだ。


 恵美に対してどう言ったらいいものか。俺が頭を捻っていると、がたん、という音と共に照明が切り替わった。真っ赤な赤色灯の光になったのだ。


 侵入者? だとしたら、あの人物以外にはあり得まい。


「来たのか、久弥……」

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