薬師の旅路。

ゆうじん

第1章【旅立ち編】

第1話 失われる日常

 「お大事になさってください。」


 最後の患者の背中を見送ってホッとひと息をつく。


 「今日は多かったですね〜。お疲れ様です。」


 薬局の入り口の扉の鍵を閉めながら事務員の石井さんが労いの言葉をかけてくれる。石井さんはベテランの事務員ですごく頼りになる存在だ。患者の名前と顔をほとんど覚えているので、俺が新人で初めてここに配属になった時には「〇〇さんだ、あれ準備してあったっけ?」「△△さんは話が長くなりやすいから長くなりそうだったら私もフォローするね」と色々助けてもらった。

 人間関係も含めて不安だらけだったが、石井さん含めここの人たちは良い人しかいなくて、本当に恵まれていた。

 忙しくて大変な日々が続いていたが、なんだかんだで薬剤師としてもう10年になる。その間に結婚もして、子供も二人生まれて、薬局の管理者にもなった。

 今や仕事もプライベートも充実して、何の文句も付けようのない。


 「ありがとうございます。連休あけですしね〜。石井さんこそお疲れ様でした。」


 やはり連休後は患者が集中するので激務になりやすい。左手首に巻かれているスマートウォッチには19:20の時刻が表示されていた。

 患者がいなくなっても、患者情報を記録する薬歴の作成やメールチェック、薬の発注などやることはまだまだある。

 メールボックスを見ると、数件しか溜まっておらず、表題的に自分に関わりがありそうな内容はあまりなさそうなので、メール処理はたいしたことなさそうだ。

 巻けば20時前には帰れるだろう。いや、帰るんだ、と心に強く決め、黙々と仕事を片付けていく。


 「あれ?そういえば今日は娘さんのお誕生日じゃなかったっけ?」


 そう、なんてたって今日は長女である真凜まりんの5歳の誕生日だ。朝の出勤前にも「早く帰ってきて、早く帰ってきて」と何度もしつこく言われてしまった。


 「そうなんです。だから早く仕事片付けて帰りますよ。」

 「そうね〜、子供の誕生日を盛大に祝える機会ってそんな多くないのよ。うちの子なんて中学生になると、そういうのいいから、なんて。反抗期ってのもあったかもしれないけどね。はしゃいで家族と楽しく過ごせる誕生日は小さいうちにしかできないから、早く帰ってあげなさいね。」

 「わかりました!」


 石井さんは3人の子供、しかも男の子を育て上げた。確か末っ子が来年で高校卒業だったはず。実体験に基づいたアドバイスだ。説得力が違う。

 次女の花凛かりんの3歳の誕生日は2ヶ月前にあったが、子供達以上に大人の俺がはしゃいでしまった。

 真凛の場合、すでに自我があって、誕生日がなんたるかを理解しているため、花凛の誕生日以上に騒がしくなることは予測できる。きっと笑顔がいっぱいの夜になるだろう。

 息を短く吐き出して、目の前にある仕事に集中する。


 目標の20時前、現時刻は現時刻は19:50。無事に仕事を終えて、帰路へとつくことができる。

 冬が目前に迫っていることもあり、お店を出ると冷たい空気が体を撫でた。もう少し厚手のアウターを羽織ってくるべきだと後悔しながら、車のドアを開けると、助手席にキャラクターがあしらわれた紙でラッピングされた長方形の箱が視界に入った。タイトルを変えながら長年放送されているアニメのおもちゃだ。

 真凜が幾度となくせがんできたが、そうホイホイと買ってあげる訳にはいかない。なんでも買ってあげる、というのは子供にとってみたら嬉しいことなのかもしれないが、それが原因で我儘に育つのも困る。

 これは自分がそう育てられてきたからという影響も大きいと思う。こういうのは特別な時に買って、ご褒美として手に入れるからこそ嬉しさも倍増する。と、真凜にも諭したことはあるが、いつも「何言ってるのパパ」とそっぽを向かれる。当然理解など出来はしないだろうが、きっと大人になれば真凛にだって分かるさ。

 けれど唯一制限なく、欲しいと言ってきたら買ってあげるものがある。それが本だ。ジャンルは問わない。絵本だって、図鑑だってなんでもいい。将来的に漫画は考えるかもしれないが、小説であれば惜しみはしない。

 これも自分が育った環境が影響していて、「活字を読むという行為に悪いことはない」というのが親の持論であり、欲しい本は基本的になんでも買ってくれた。俺はその持論には少し疑問があって、目には多少は影響するだろうと思っている。しかし、それを除けば確かに悪影響はないと判断している。

 だから、親が自分にしてくれたように、今度は俺が娘たちにも同じことをしてあげたい。もう少し大きくなって、小説に興味を持ってくれたら嬉しいな。そんな将来を楽しみに想像するとつい顔が綻んでしまう。

 それに来月はクリスマスも控えている。去年は家族で出かける予定も考えていたのだが、急な休日当番で薬局を開けることになってしまい、どこにも行けなかった。

 今年は何もないことを祈り、少し遠出でもしたい。大きなクリスマスツリーがイルミネーションで燦々と輝く場所もあるから、そこにしようかな。

 きっと真凜も花凛も大喜びだ。でも寒いから風邪を引かせないようにしないと。

 そしてクリスマスプレゼント。今年は何をお願いするだろうか。去年のはしゃぎ様ったらすごかった。部屋中を走り回ってサンタクロースを探していた。お礼を言いたかったらしい。そんな姿を見たら、ただただ嬉しかった。幸せを感じた。

 でもいつかはサンタクロースなんて存在しない、パパママがやってくれたことなんだと現実を知ってしまう。それはいつなのだろうか。俺もいつからそれを知ってしまったのだろう。それを知った時、どう感じたのだろう。

 子供の成長は楽しみでもありつつ、少し残念でもある。こうして無邪気で無垢な心が現実を理解して、社会がなんたるかを目の当たりにしていくのだから。

 まぁでも今そんな将来を悲観してもしょうがない。安全に帰って、このプレゼントを届けるのが第一の使命であるのだ。

 交差点の信号が赤から青に変わった。

 そういえば、帰りにケーキもらってきてって──アクセルを軽く踏み込むと、右側から大きな光が視界を覆った。強い衝撃と共に一瞬にして目の前が真っ暗になった。


 何が起きた


 頭が酷く痛む


 腕が動かない


 何かに挟まっている


 フロントガラスは粉々に砕けあってないようなものだ

 

 プレゼントは無事だろうか


 ガラスがかぶっているが損傷はないみたいだ


 よかった


 早く家に帰らないと


 真凛にまた怒られる


 ケーキも取りに行かないと


 けど


 頭がぼーっとして


 意識が遠のいていく


 あや──


 



 

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