29話 悲しき傀儡

「リュシアの残響の他にも、何か良からぬ秘密があるのではと思っていた……。

だがまさか、リュシアの思想を色濃く受け継ぐ子弟──ソアラの残響を隠していたとはな」

皇帝の声音が、微かに熱をおびる。


「私はそれを見過ごせぬ。だから術をかけた。虚の輪廻を」

ぞくり、と血の気が引く。


「わたしに背くリュシアの残響もろとも、記憶も感情も剥ぎ取った。残ったのは、命の“形”だけよ」

その瞳に、わずかな執着と快楽の影が宿る。


「光も、希望もない。ただ波間を漂うだけの静寂。誰の声も届かぬ永遠の囚われ──“無間”の名を冠する、死よりも静かな地獄をソアラは味わうのだ。我に逆らうということの当然の報い」

「なんて愚かなことを……」

オレの背筋を、冷たいものが走った。


「ソアラは、命拾いをしたのう。覚えておけ、ユリウス。お前がもし、私に刃を向けるつもりなら──その愚かさは、傀儡ソアラと同じだ」

吐き捨てるような声だった。

執着と恐怖心なのか。

その奥に、どこか“愛されることへの渇望”の影が見えた気がした。


「まぁ、よい。ならば、王となれ。我が器よ。そして──傀儡かいらいは捨てよ」

「いいえ。捨てるのではなく、還すんです。彼らを……彼ら自身の場所へ」

オレはゆっくり立ちあがり、皇帝の玉座に近づく。

腰に刺した二本の短剣を、静かに取りだした。


──ドン、ドン、ドン……


花火が連続して打ちあがり、空を焦がす。

高窓から差し込む赤と金の光が、刃に反射して踊った。

皇帝はその短剣を、黙して見つめる。


蒼い桔梗の紋章。

刃の根元には、”女帝”Empress──

そしてもう一本には”皇帝”Emperor──の刻印。


「この一本は、母上がソアラに託したものです。将来、私を守るよう術をかけ……」

そして今はオレが譲り受けた。

「このもう一本──この“Emperor”と刻まれた短剣は、私の王位継承の儀に贈られた献上品の中に、ひっそりと紛れていました。守刀として」


皇帝は頬杖を解かないまま、ただ青い瞳を細めた。

その瞳に、わずかながらゆらぎが走った気がした。

「桔梗の紋章。これはアストレイア王国の紋章。寺院にあった鳥籠の底にも同じ紋章が刻まれていました」


──ドォン。

大輪の火花が弾ける。高窓の向こうに、金の閃光が咲く。

けれど、玉座の間は沈黙に沈んでいた。


「私はずっと、皇帝いや、父上のことを誤解していたのかもしれません…

この桔梗の紋は、ずっと母のものだと思っていたから──でも、ちがう。この短剣も、寺院にいた鳥籠のカナリアも──父上、あなたが母上に贈ったものではないのでしょうか?」

「……それで?」

ようやく皇帝が口を開く。

けれどその声には、感情がこもっていない。


「お前は、わたしに何が言いたい」

「母も──もしかしたら、誤解をしていたのかもしれない。あの日、寺院を襲った刺客はあなたが差し向けたものではなく、隣国の者たちが、“器”となる若き王──私を、亡き者にするために放った…アストレイア王国を奪うために、皇帝を失脚させる為に──そう考えるならば、……すべて辻褄があう。器が欲しいあなたが、みすみす私を消すなど、あまりにも矛盾しているのですから。」


“オレと同じ容姿”をしたソアラ”を襲った──。


《ソアラがオレと似た服装をしていたのは──オレが真似したからじゃない。ソアラがオレの身代わりになるために、あえてそうしていたんだとしたら?》


短剣を、母上が彼に持たせたのも、王家の証を手にした彼を“王子”として見せかけるために。

皇帝からも、敵からも──すべての脅威からオレを守るために。


 ──そして、この短剣もカナリアたちも。


「……もしかしたら、それは……父上なりの、母上への愛情の証だったのではないでしょうか?」

ふたつの短剣をさかねる。

命を奪うための刃と、歌を捧げるための喉。

正反対に見えるそれらを、“対”として贈ったのは──。

きっと、母上と共に歩むつもりだったから。


「けれど、母上は……そのどちらも、受け取らなかった。」

短剣は、命を守るために握るものにならず。

カナリアは、想いを伝える前に先に死んでしまった。

母上は最期まで父の心を拒むことを選択した。


あの時、ソアラが流した涙は──。

全てを知っていたからではないか?


「母上は、父上のお気持ちを拒み続け、寺院で最期を迎えました……。もし、あなたたちが……もう少しだけ、歩みよることができていたなら──」


器として生まれたオレの運命を嫌った母上がオレを寺院に隠したのも、きっと母上なりの愛情。

オレがあの離宮で過ごしたのも、もしかしたら父が隣国の刺客から守るために隠したとしたら──。

父の不器用な愛情もまた──。


「……ふん。お前の語るものなど、お伽話しに過ぎん。愛? そんなもの、己を見失った者が縋る幻想だ。迷いに溺れ、欲に囚われ、ただ己の無力を慰めるために生まれた、くだらぬ戯言。愛することを誇るなど──哀れなものだ。愛という毒に酔い、己の劣等を“美徳”と履き違えるとはな。まるで弱者の慰めそのものだ。」

皇帝は最後まで自分の意志を変えない。

それは彼なりのこの国を守るための覚悟なのか、それとも──。


それでも──オレは。


「それでも、私は信じたい。たとえ愛が幻想でも、人はその幻想に救われる──あなたたちの、歪んでしまった愛をその全てを──受け入れます。このくにを背負う者として。そして、あの五人の命を忘れぬ者として。私は、あなたの器としてここに誓います。この命の全てを持って、星を背負う道を選ぶと。」


そうだ──オレには命を背負わなければいけない義務がある。


この星の運命とそしてあの五人たちの。

だから、もうゆるがない。

どんなことがあってもこの強い気持ちをもって前へ進む。

オレの目は真っすぐに皇帝を見すえた。


 ──ドン、ドン、ドン……

外では歓声が沸き、鐘が鳴りひびき、花火が空を焦がしつづけている。

けれど、玉座の間はひときわ静かだった。

皇帝は、何も答えなかった。

その沈黙こそがが、全ての答えのように思えた。


 

***


花火が空に咲き、喝采が天を突く。

その日の空は、雲ひとつない晴天だった。

けれど、空気はまだ冬を引きずるように冷たく、春の陽差しもどこか頼りなげにゆれていた。

石畳の大広間は、群衆の歓声で満ちている。


正装に身を包んだ貴族たちが居並ぶなか、宮廷楽団の奏でる凛とした旋律が、式典の始まりをつげる。

けれど、その喧騒の中にも、どこか欠け落ちた影。


──白銀の騎士たちの姿は、どこにもない。


オレは、戴冠式用に仕立てられた軍服を身にまとい、ひときわ高く掲げられた玉座の階段を、一段ずつ、ゆっくりと登ってゆく。

その足取りに、迷いはない。


あの人が、オレのために着てくれた色。

凛として、静かに誇りをまとっていた。

そんな彼に、少しでも近づきたくて──。


オレは、白を選んだ。

けれど、ただの白じゃ足りなかった。

胸元と袖に、紅の刺繍をひと筋。

かつて、ソアラがオレの胸元に添えてくれた──緋紅の花かざりと、同じ色。


今、君に伝えたい。

この胸の奥の、消えきらない情熱を──。


最後の段にたどり着くと、皇帝がそこに立っていた。

漆黒の衣に身を包んだその人は、冷たい瞳でオレを見おろしている。

だが──もう、その視線に怯むことはなかった。

すべてを背負う者の意志として、器として、──意志を持った一人の“王”として。


やがて、皇帝の手がゆるやかに持ちあがる。

その手には、王位を象徴する、漆黒の王冠があった。

静寂のなか、一筋の光が差しこむ。

──運命の重みが、頭上に降ろされる。


その瞬間、群衆が割れんばかりの喝采をあげた。

旗がゆれ、無数の花弁が天から舞いおりる。

大地をふるわす鐘の音と共に、空へ向けて幾つもの花火が打ちあがる。

だけど、オレの耳にその音は、遠くにしか届いてこなかった。

胸の奥にあるのは、ただ一つ──静かに燃える、確かな決意。



エリュシオン寺院の塔の屋上にある、ひとつきりの礼拝室。

風と光がすべてを浄化してくれるような、静かな場所。

母上は、ここに眠っている。


時の止まったような静寂の中で、幼い頃の記憶がよみがえる。

あの時のやさしさ。微笑み。魔術師の人形たち。

オレを彼女なりに愛してくれたことは間違いない。

今もそれは感謝している──。


だけど……やはり。

「ありがとう。そして、さようなら──母上」

手にしていた小さな花を、石碑の前に置き礼拝室を後にした。






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