最終章 永遠の契り

30話 小さな勇気、消えない想い──。

*永遠の契り*



視線をあげると、どこまでも澄んだ青空が広がっていた。

ふと、頬に冷たいものがふれる。

「あ…」

見あげれば、空から粉雪がひらひらと舞いおりてくる。

手のひらを広げると、触れた雪はすぐに体温で溶けて消えていった。


「春だというのに、珍しいな…」

──あの日も、こんなふうに粉雪が舞っていた気がする。

思い出すだけで、胸の奥が凍る。


ソアラとインフィニタスたち兄弟はこの寺院の騎士として引き取られた。


もともと寺院育ちだった彼らには、この場所が一番自然だと思えたから、ルベーヌに引き取りをお願いした。

今度こそ、感情の自由を解き放ち、”人間”として、自由意思で羽ばたいてほしかったから。


そして──皇帝を撃つというソアラの“宿命”を、永遠に鎮めるためにも。

……けれど、もしそれが“永遠”ではなかったとしたら。

彼の中に残る宿命が、再び目を覚ます日が来るのだとしたら──。

そのとき、運命はふたたび交わるのだろうか。

それでもオレはきっと、何度でも同じように彼を──……


「ソアラに会っていかれますか?」

──ルベーヌにそう聞かれたけど、首を横にふった。

今、会えば確実に気持ちがゆれる。

母上に挨拶をするだけで、申し出を断った。


「これからどうなってしまうんだろうな」

寺院の最上階──塔の屋上をあるく。


ここは庭園のように噴水まである緑豊かな造りになっていて、レクイエム・エテルナム──永遠の安息ってやつには、うってつけの場所だ。


無限インフィニスタスなんて、空虚な名だと思ってた。

けど今は──彼らの祈りと痛みがつづく限り、それは確かに“永遠”なんだと思える。


……まあ、安息なんて言葉、オレにはまだ似合わないけど。


風が吹き抜ける庭園──… 空と同じ高さにある天空城のような場所で、これからのことを考えると心細さがふっと胸をかすめる。


粉雪が風に乗って舞うのを、石造りの欄干に頬杖をつきながら見おくる。


「自分を律する──…なんてカッコつけたこと言ったけどさ……オレ、そんなに強くないんだよなぁ。強がりすぎだよなー」

つい、弱音がこぼれる。


この先、皇帝の器になり、依代としての運命を受け入れるのか、妃を迎え”王”としてこのくにを治めていくのか──。

どちらにしても、オレに選択権はない。


「……妃を迎えるなんてことになったら…なんだか、それはそれで嫌だな…」

見えぬ未来の不安だというのに、急に心細くなって、大きなため息がでてしまう。


目線を落とすと、欄干の向こうで紅い花がゆれているのに気づく。

枝にひらひらと咲く小粒の花は、かつてソアラが胸に飾ってくれた緋紅の花によく似ていた。


もし、誰かを好きにならなくてはいけなくなったとき──オレはずっと自分に嘘をついて生きることになるんだろうか──…。


《これは、二人だけの証です。……他は許しません》


あのときの言葉──…

”ソアラとの契りを守りたい”

そう思う気持ちが、まだ胸の奥にいすわっている。

この想いだけは、誰にも触れさせたくない。

オレだけのものだから。


そんなことを考えている内に、気がつけば欄干に身を乗り出して、そのひとひらの花に手をのばしていた。


欄干の外に咲いた緋紅の花──…ふれたい。

あのときのぬくもりを、もう一度。

伸ばした指先は、ほんの少し花びらにふれかけて。


緋紅の花言葉。

小さな勇気、消えない想い──。


──カラン。

足元の小石が転がり、視界がかたむいた。

花びらが遠ざかる。

重力に引かれて、身体が宙に浮く。


「──うっわっ」

咄嗟に塀の外に傾いた身体をもどそうとするが、間にあわない。

視界がぐらりとゆれて、重力が引きずるように身体をさらって、宙に浮く。


やばい、落ち──…、

けれど、すぐに何かが伸びて来て、がし、と背中を抱きとめられたかと思えば──。

そのまま、オレたちは一緒に草地へと落ちていった。


一瞬の間──…。

衝撃よりも先に感じたのは、背中に伝わるぬくもりと、鼻先をかすめるどこか懐かしい香り。

ゆっくりと目を開けると、そこにはあのときと同じように……光の中に浮かぶ顔。


「……相変わらず、危なっかしいな」

低くて、でもやさしい懐かしい声。

冗談めかしてるのに、どこか本気みたいで。

思わず、オレの心臓がばくんと跳ねた。


「ソア……ラ……?」


草の上、仰向けになったオレを支えるように、彼がいた。

驚きすぎて、息ができない。


──頭上から、緋紅の花びらがひらひらと降り注ぐ。

藍の軍服にも髪にも、真紅の粒が散りばめられて、まるで祝福の冠のように彩っていた。


かつての白ではなく、深い藍に染まった軍服。

その色の変化が、時の流れと彼の変化を何より雄弁にかたる。

肩から胸にかけて施された金糸の刺繍が、陽の光を受けて、静かにゆれ誰の命令でもなく、自分の意志でここに存在しているように、凛として澄んだソアラ──。


「もし下が崖だったら……どうするつり!?」


少し呆れた声で、オレの髪をそっとかきあげながら。あのときと、まったく同じ仕草で──オレは、ただ呆然と見あげる。


「な……なんで?」

夢か?幻か?

さっき戴冠式を終えて、ほっとした矢先にオレ──もしかして死んでしまったのか?

思考がぐるぐるまわって、言葉にならない。

ただ一つ、はっきりしてるのは──。

今、オレの心臓が、ばくばく煩いくらいに暴れてること。


苦しい──息がうまく吸えない。

でもそれは、きっと……嬉しすぎて暴れだす、胸の鼓動のせいだ。


思考が完全にフリーズしているオレを見て、ソアラが少し心配そうに顔を覗きこむ。


「ユーリ? 大丈夫? 頭打った?」

……え? 今、なんて?

──今、オレの名前……呼んだ?

額に触れた指が、あたたかくて。なつかしくて。


「……なんで……オレの……どうして……ソアラが……」

言葉がバラバラに零れて、うまく繋がらない。

そんなオレを見て、ソアラがほんの少しわらった。


「うん、ここに来ればユーリに会えると思って、ずっと待ってた」

……オレに?

「そう。ユーリは少し頑固だから、きっと意地でも寺院には足を踏み入れないかなって。でも、君の感情の波は必ず読めるから」


……なんだよ、頑固って。

しかもやっぱりソアラはオレの感情の波を的確に読み取ってる。

ゆっくりと身体を起こし、ソアラと向き合う格好になる。

さっきの衝撃で、ソアラの頬に泥がついていた。おそるおそる指先でふれる。

透けない!

ちゃんと触れられる。夢じゃない。

本物だ‼


「ソアラ……オレのことわかるの?」

声がふるえて、言葉を吐きだすだけで胸が熱くなる。

心臓がバクバクと早鐘を打って、壊れてしまうんじゃないかと思うほどだ。

ソアラは静かに頷いた。


「だって、記憶は全て封印されたんじゃ?」

「うん、そうだよ。掟通り、皇帝からの解放で僕たちインフィニタスの記憶は全て忘却された」

「じゃあ、なぜ?」

「ここの空気はね少し不思議なんだ、僕たちインフィニタスの感情をほんの少し、ほんの僅かの間、素にもどせる。“今だけ”。“ほんのひととき”キミを思いだすことができるんだ、今はリュシアさまの残響の影響もない、僕だけの感情がもどってる」


“今だけ”。

“ほんのひととき”。


その言葉が、胸に深く突き刺さる。

ゼノも言っていた──この場所は、ほんのつかの間、感情を解き放てると。

その奇跡が、ソアラをオレの前へと連れて来てくれたのだろうか。

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