第十二章 告げない想い
26話 必ず──君を守るから
*告げない想い*
夏が過ぎ、空気の冷たさとともに
その日、母上もヌベールも、若い僧侶たちまでもが寺院を留守にしていた。
子どもたちだけで過ごす午後は、いつもより静かで、どこか気がゆるんでいた。
ゼノがふざけて笑い、シオンが眉をひそめてたしなめる。
そのすぐあと、リヴィアが背後からいきなり水をかけた。
『ちょ、冷たっ──!』
わっと声があがり、わらい声が広がる。
エルディアは、黙ってその光景を見つめていた。
ただ、おだやかな。いつもの何気ない午後だった。
……あの“音”が聞こえるまでは。
──ドン!
突然、扉が乱暴に押し開けられる。
その場の空気が、一瞬で凍りつく。
逆光の中、ひときわ険しい表情のソアラが現れた。
「エルディア、リヴィア──今すぐ、結界を!」
その声は、いつもの静かな彼とはまるで違っていた。
凛として、鋭く、恐ろしく冷静で──けれど、何よりも切迫していた。
ひとたび命じられると、エルディアとリヴィアがすぐに反応し、窓を閉め、カーテンを引き、部屋の気配を消してゆく。
「ユーリ、こっちへ」
オレの名を呼び、ソアラが強く手を引く。
奥の部屋へと連れていかれ──衣装箪笥の扉が勢いよく開けられる。
「なに? どうしたの? ……いやだよ、ソアラっ!」
状況が飲み込めないまま、オレは必死に抵抗する。
けれど──。
「静かに」
ソアラの手が、オレの口を塞いだ。
その手は熱くて、わずかに震えていた。
──ソアラ、怖がっている?
ソアラのそんな顔をはじめてみたような気がした。
「いい?よく聞いて、何があってもどんな音が聞こえようとも決してここを開けてはいけないよ?約束して」
ソアラのあまりにも気迫に満ちた表情に押されて、オレは──頷くことしかできなかった。
心臓がこわばる音を立て、こきざみに身体がふるえる。そんなオレを見て、ソアラは一瞬だけ視線を和らげた。
「大丈夫。僕が盾になる。矛になる。必ず──君を守るから」
強くて、ゆるがなくて、真剣な眼差し。
なのに、何故だろう。
オレは泣きそうで──ちっとも嬉しくなんてなかった。
胸の奥が、ずっと冷たい。恐怖と不安だけがどんどん広がっていく。
ソアラの瞳が、微かに潤んで見えた。
何かを迷うように、口を開きかけては、やめて。
一瞬躊躇したソアラはその迷いを、覚悟で押し殺すように強く──オレを抱きしめた。
「ユーリ」
「ソアラ?」
ソアラの腕の力がさらに強くなる。
思わずオレもソアラの背中に腕をまわした。
ふたりの心音が重なりあう。
ソアラの腕が、呼吸が、小刻みにふるえているようで、「離れては行けない!」と、ソアラの手が離れるとき、グッとソアラの上着をひっぱり小さく抵抗したが、やんわりと、その手ははずされてしまった。
別れ際、ソアラはオレの頭をポンポンと二回軽く叩きながら、「ユーリ…」と呟く。
その声が、笑顔が、今までで一番遠く感じた気がした。
……ガチャン。
重くひびいた扉の音が、心臓を閉ざす合図のように耳に残る。
扉が閉まった後も、抱きしめられた腕の熱と、重なった心音が、耳と胸に焼きついて離れなかった。
恐怖の中、暗闇の中でざらりとした感触の布のようなものを見つけ、頭からすっぽりと被り、両手で耳を塞ぎ、背中を丸め縮こまった。
『ソアラ早くむかえにきて!ひとりにしないで…暗闇はこわいよ──』
そう、頭の中で何度も繰り返しつぶやいた気がする…。
けれど、その後のことはあまりよく憶えていない──。
夢を見ていたのか。
ただひとつ、確かなのは冷たくなったソアラの
ぬくもりは、とうに消えていた。
けれど、オレは──どうしても手を離すことができなかった。
「……置いていかないでよ……」
呟いたその声がふるえていたかどうかも、もう思い出せない。
涙も血も、見分けがつかないほどに。
ふたりの躰が真紅に染まっていたことがやけに鮮明で。
そして──その記憶は、光にとけていった。
「我々の、一瞬のスキを突いた襲撃でした。」
ヌベールの静かな声が、冷たい現実を突きつけるようにひびいた。
その言葉に、頭の奥で──何かが、崩れ落ちた気がした。
──あの光景が、よみがえる。
まるでついさっき、目の前で起こったかのように、生々しく、温度を持って。
ぬるりとした血の感触。
冷たくなったソアラの躯。
ぞわり、と背筋を這いあがるように寒気がした。
視界がにじみ、気づけば頬を伝って涙がおちていた。
「……それは見るも無残なものでした。あの惨状で、まさかユーリさまが生きておられるとは思わず……見つけた時のユーリさまは、血まみれのソアラの亡骸を抱きしめたまま──錯乱状態でした。夜が三度、明けても尚、……決して、手放そうとはなさらなかった。……それゆえに、リュシアさまは……やむをえず、ユーリさまの記憶を封じたのです」
──それは、忘れ去られていたはずの“真実”。
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