19話 オレの感情を葬り去るために現れた死神
金縁に宝石を散らし、竜の爪をした脚の椅子に、オレは麻布を肩から掛け膝を抱えて身を縮めていた。
その傍らで、白騎士シオンが静かに包帯を巻き直してくれている。
「痛みますか?」
いつも通り──いや、それ以上におだやかな表情で。
まるで、昨夜あの玉座の間で、オレに剣を向けていた人物とは思えないほどに。
彼がこうしてオレの身体にふれている時は、機嫌がいい。
その様子に安心してしまう自分が、どこか情けない。
まるで全部、夢だったかのように──。
もし、あの寝具に残るぬくもりさえなければ。
もし、この身体を走る鈍いいたみさえなければ。
……全部、夢オチにできたかもしれないのに。
「ほんと、オレ、ドジだよな。たかが短剣抜いただけで、こんな怪我だなんて」
「ほんと、ドジですね♡」
変わらない調子でそう答えるシオンに、少しだけ救われる。
──昨夜のオレは、あまりに見苦しかった。
感情が抑えきれなくて、自分が自分じゃないみたいで。
あの時ソアラの瞳が、ほんの一瞬──ゆれた気がした。
冷たい仮面の奥で、わずかに何かが動いた。
まるで、
──怒りも、悲しみも全て受け止めるから──
そう言われたような気がして。
つい、力任せに彼を叩いて、短剣を抜いて、ソアラに向けて。
ソアラの感情など動くわけない。皇帝の命に従い、皇帝に全てを捧げている彼なのだから。
それを証明するかのように、彼は表情一つ変えずにいた。
ただ真っ直ぐにこちらを見つめ、まるで自分の中にあるすべての感情を、完璧に封じるように。
……あれがソアラの本来の姿なのだと、そう思うと、胸の奥がひりつくように痛んだ。
巻き直された包帯をじっと見つめながら、ぽつりと漏らす。
「こんなんじゃ、オレ……騎士になんて、到底なれないよな」
苦笑いを浮かべた、その瞬間──。
ガチャ。
重い扉が、ゆっくりと開いた。
和やかだった空気が、一瞬で凍りつく。
身体が反射的に強張り、呼吸すら浅くなる。
現れたのは、漆黒の騎士──ソアラ。
その背後には、ゼノの姿も見えた。
ソアラは無言のまま、こちらへと歩みよる。
一礼の動作も、淡々と。
思わず、顔を背け、隣にいるシオンの軍服の裾を、ぎゅっと掴む。
自分でもわかるほど、指先に力がこもっている。
今はただ、誰かに縋りたかった。
「……ユリウス王子、お怪我の具合はいかがですか?」
静かにかけられた言葉に、反射的に肩が強張った。
”ユリウス王子”距離を置く呼びかた。
だけど、一応は心配はしてくれるんだ。
昨晩、最初にオレの手当をしたのはソアラだった。
興奮するオレを褥に連れて行き、鎮静剤のように調律を施して、落ち着かせるように縛って──。
整えられるたびに、どこか自分が“壊れて”いくような感覚で。
……考えたくない。今はソアラの顔も見たくない。黙ったまま、視線をおとす。
その沈黙を切り裂くように、感情の欠片もない声がふってきた。
「本日、戴冠式準備に関わる予定がいくつか入っております。
これより、王剣と宝珠の選定確認。続いて、式服の最終調整のため、
淡々と、途切れなく降り注ぐ日程。息継ぎひとつすら与えられない。
まるで──オレという人間の感情など、最初から存在しないかのように。
「……ユリウス王子。これより
……なんなんだよ、この鬼みたいな予定は。
それを、今のオレにしろってこと?
徹底的に情け容赦のない言葉が、胸の奥を冷たく叩きつける。
気づけば、感情が口をついて出ていた。
「オ、オレの気持ちは……?」
今さら過ぎる問いだって、自分でも分かってる。
でも──言わずにはいられなかった。
前なら、こんな扱いはしなかったはずだ。
予定を調整して、馬を走らせに行こうと誘ってくれた。
気晴らしに剣の相手をしてくれたことだってある。
どんなときも、オレの気持ちを見て、寄り添ってくれていたのに。
しかし、返ってきたのはオレを叩きのめすような冷たい言葉。
「……お気持ち、ですか?お言葉を返すようですが、今この時も、式典に関わる者たちは、貴方のために動いております。織匠、神官、侍従、楽師、そして民。その労を、貴方は“気持ち”で無にするおつもりですか?」
冷たいほど整ったその声音が、胸の奥を突き刺す。
「……ユリウス王子。継承とは、“選ばれた”ことではありません。“応える”ことです。貴方がその覚悟を見せぬ限り──この国の王座は、ただの空席のままです」
絶句──まさに、その言葉がぴったりだった。
オレがいくら抗おうとも、王位継承は既定路線。
逃げることも、反抗することも許されない。……オレの意志なんて、最初から存在していないみたいに。
ただ、受け入れるしかない。
まるで──皇帝に操られる“
声を出すたびに、喉がひきつれた。指先が痺れるようにふるえて、呼吸すらままならない。
こんなにも、絶望って、冷たいんだな──…
指先が痺れるようにふるえて、呼吸すらままならない。
言葉にならない叫びを、何度も胸の奥に押し込めてきた。
だけど、もう限界。
「そんなの、嫌だ! オレは王位なんかいらない! 皇帝の器にもならない!」
昨夜の感情が、また胸の奥から噴きあがってくる。
抑えきれずに、叫んだ。
目の前に立つ、漆黒の軍服のソアラ──ただ無感情に、冷たくオレを見つめている。
それはまるで、オレの感情を葬り去るために現れた死神のようだ。
「まだ、調律が足りていないようですね?」
その言葉がとどめだった。
「ゼノ…日程を調整して、ひと刻……いや、半刻もあれば十分だ」
「はい、それでは、今から…」
身体が硬直する。
昨晩のように、更にオレの気持ちを奪うのか?
ソアラ、今の君は、オレが好きだったころのソアラじゃない。
皇帝に全てを捧げる、ただ命令に従うだけの、“無言の影”だ。
視界がゆれる。
けれど涙は、意地でも零したくなかった。
このまま崩れ落ちたら──自分が、完全に壊れてしまう気がして。
少しも助け入れられたくない。だけど、もう、心はズタズタだった。
──残響。調律。仕組まれた愛。
全ては皇帝の筋書き通りだったのかもしれない。
その時、頭上から包みこむように──シオンの腕が、強くオレを抱きしめた。
まるで、この世界からオレを救い出すかのように。
思わず、オレもシオンの背を抱きかえした。
この腕がなかったら、きっといまごろオレは、崩れ落ちていただろう。
誰かのぬくもりに、すがってでもいなければ──もう、立っていられなかった。
「兄上、お願いです──これ以上はもう、おやめください!どうか……ご慈悲を!」
意外な言葉に驚いた。
だけど、嬉しかった。
この世界で、たった一人だと思っていた。
シオンの言葉が、その孤独に微かな光を射した──まるで、地獄の底から差し出された手のように。
「もう、出て行ってくれ…ソアラ、お前の顔なんか見たくない…もう、二度とオレの前に姿を見せるな…」
小さく、弱々しい言葉だった。それが精いっぱいのオレの抵抗。
……ああ、わかったよ。
オレがいくら言葉を投げても、その胸に届くことはもう二度とないんだ。
たった今、自分で口にした言葉なのに。
それを受け入れることでしか、自分を保てなかった。
そのとき、シオンの腕の隙間からソアラの瞳が微かにゆれたのが見えた気がした。
「承知いたしました。それではこれ以降、全権限をゼノに渡します」
そう短く言うと、一礼をしてソアラは踵を返し扉の方へ向かう。
一瞬、オレを振りかえった気がしたけど。──ただのオレの願望なのかもしれない。
重い扉が静かに閉まる。
シオンの腕に抱きしめられたまま、どうにか今の現実を冗談めかして受け流そうとして、「……シオン、痛いよ」と、おどけてみせた。
「ご、ごめんなさい……!」
シオンは慌てて腕を外し、少しだけ身を引いた。
その瞳に、わずかに潤みが浮かんでいて、いつもより少しだけ、色が差しているように見えた。
「シオン……こんなことしたら、“
無理やり笑いながら、そう口にすると、シオンは首をふって言った。
「大丈夫、ボク──そんなに弱くないよ」
やさしくて強い言葉だった。
でも、今のオレは、もうそれをまっすぐに受けとる余裕すらなかった。
ズタズタに引き裂かれた心を、誰にも見せられないまま。
──ねぇ、ソアラ。
いっそ、このまま無の世界にオレを葬り去ってくれ。
感情も、記憶も、全部……それの方が、ずっとマシだ──。
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