変わりゆく世界の記憶

まっちゃん

第1話 変わりゆく世界の記憶

 ようやく虫たちが土から這い出し、街には色とりどりの花が咲き始める頃。


 ニュースで報道された少女——いや、人間——は、三か月間何も食べず、冬の寒さの中でただ眠っていたという。誰もが最初は笑った。オカルトだ、詐欺だ、何かの演出だ、と。


 しかし、次々に同じような人々が現れ、科学者たちは顔をしかめながらもその事実を認めざるをえなかった。彼ら「変温人間」の体は環境に合わせて体温を変えるため、体温維持ホメオスタシスに必要な食物も極端に少なく、長期間の低代謝状態に入れるという。社会は一気に騒然となった。


 やがて都市に変温人間が増えるにつれ、新しいライフスタイルが芽生えた。

目覚めた者が経済を回し、眠る者を守る——そんな二重構造の社会が、いつの間にか当たり前になっていた。


 彼らは夏の猛暑には眠り、冬の寒冷にも眠った。活動期は春と秋に集中し、社会は二重のリズムを持つようになった。学校は「活動期カリキュラム」を採用し、政治は「四季制議会」へと移行した。恒温人間は常時活動できる利点を買われ、変温人間の「眠り期」を補う労働を担ったが、次第に少数派へと追いやられていった。


 電力会社や食糧産業は縮小を迫られ、空調エアコンも不要になった。


 かくして、文明は一変した。工業化文明が築いてきた「常時フル稼働社会」は終焉を迎え、世界は「眠りと覚醒の循環文明」へ移行したのである。温室効果ガスは激減し、地球の気候は安定した。

 ある歴史家はこう書き残した。

「人類は恒温であったがゆえに文明を急速に築き、同時に地球を破壊した。だが変温への進化は、破滅寸前で与えられた救済であったのだ」と。


 やがて誰もが眠り、誰もが覚醒する社会になった。

恒温人間の子孫も次第に変温化し、最後の「旧き人類」が消えるころ、世界はようやく落ち着いた呼吸を取り戻した。


太陽が昇れば、文明は目覚める。

月が巡れば、文明は眠る。

これが人類の新しいリズムとなった。


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(2025.09.10 了)

三題噺「オカルト」「エアコン」「ホメオスタシス」

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