私がハーゲンダッツを食べるまで

 私はアイスクリームを食べるのをやめた。

 走ることの妨げになるからとか、糖質制限とかそんな綺麗な理由ではなかった。

 大好きな物を絶つことで、願いが叶うんじゃないかという、何一つの根拠もない願掛けだ。


 祈り、なんて綺麗なものではなかった。

 哀願、なんて言葉が相応しい気がする。

 おぞましくて、自分勝手で、醜悪な手段だ。


 1年間、願掛けを継続した。

 太陽に熱されたタータンの上を必死で走った夏の日も、立てなくなるまで筋肉を苛め抜いた冬の日も、私はアイスクリームを食べなかった。

 春を迎えて、記録は飛躍的に伸びていた。アイスクリームを食べなかったからなのか、努力が実を結んだからなのかはわからない。


 通い慣れた坂道は、いつもより色が薄く見えた。

 私はコンビニに寄ってアイスクリームを手に取った。ハーゲンダッツ クッキー&クリームだ。セルフレジに小銭を投入する。4枚。こんなものかと思った。


 近くの橋から川を見下ろす。緩やかな流れに魚が泳いでいた。

 欄干に体重を乗せながら、ハーゲンダッツの蓋を開ける。ひやりとした空気が滲んでくる。

 プラスチックのスプーンをアイスに入れると簡単に刺さった。太陽は、どこまでも追いかけて照り続けている。

 口に運ぶ。ああ、アイスってこんなに甘かったのか。とろけるような電流が全身を巡った。脳が溶けるほどの甘さと、クッキーのほろ苦さがマッチして多幸感をもたらした。


「もう、我慢しなくていいんだ」


 私は、投げ捨てるようにつぶやいた。

 涙が、落ちていた。水滴は川面に落ちることなく、風に霧散していった。


「おいしいなあ……」


 明日からはいくらでもアイスを食べられる。

 その事実が、胸のあたりを冷たく濡らした。

 涙は止まらなかった。ハーゲンダッツは最後の一口までおいしかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

北流亡の1分小説コレクション~私がハーゲンダッツを食べるまで~ 北 流亡 @gauge71almi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ