第8.5話 ~魔王様、初めての市場へ行く~

 序盤の山場である城塞ダンジョンを秒速で踏破し、隠しボスすらラミアの一撃で葬り去った俺たちは、次の目的地へと向かう街道を歩んでいた。


「よし、チャート通り。次は王都に戻って取りこぼしでも回収するか。このままノンストップで駆け抜ければ……」


 俺が脳内の攻略チャートを更新していると、隣を歩く魔王様から、なんとも威厳に欠ける音が響いた。


 ぐぅぅぅぅ……。


 音の発生源であるラミアの腹部をちらりと見ると、彼女はさっと顔を赤らめ、気まずそうにそっぽを向いた。


「な、なんだその目は。余は何も聞いておらぬぞ」


「いや、どう見てもお前の腹の虫だろ……」


 呆れながらも、俺はアイテムポーチから携帯食料を取り出す。硬くてパサパサの、味は保証しないが腹は膨れるという、RTA走者御用達のレーションだ。


「ほらよ。これでしばらくは持つだろ」


「……本気で言っておるのか、貴様は」


 ラミアはレーションを汚物でも見るかのような目で見つめ、深く、深〜いため息をついた。


「余がこんな石ころのようなものを食せるわけがなかろう。いいからさっさと、もっとマシなものを寄越せ。肉だ。焼いた肉がよい」


「無茶言うなよ。こんな街道のど真ん中で……」


 言いかけた俺は、ふと街道の先に小さな標識が立っているのに気づいた。


『←商業都市プルートスまで徒歩半日』


 プルートス。たしかに、この先のルート上にあるそこそこ大きな街だ。本来のRTAチャートなら、アイテム補給のために数分立ち寄るだけで、すぐにスルーする場所。だが……。

 ちらりとラミアを見れば、彼女は「肉」と無言の圧をかけてくる。その表情は魔王というより、夕飯のおかずを強請る子供のようだ。


「……はぁ、仕方ないな」


 俺はわざとらしく肩をすくめてみせた。


「よし、予定変更だ。あの街で一泊する。情報収集と物資の補給も攻略の基本だからな。決して腹を空かせた魔王様のためじゃない。あくまで、攻略の一環だ」


「ふん、当然だ。余に感謝するがよい」


 ふんぞり返ってそう言うラミアの口元が、ほんの少しだけ緩んだのを俺は見逃さなかった。


 ◇


 商業都市プルートスは、王都など比じゃないくらいに活気に満ち溢れていた。石畳のメインストリートには、色とりどりの幌を掲げた馬車や様々な人種の商人たちが行き交い、道の両脇には所狭しと露店が並んでいる。


「な……なんだ、この無秩序な人の群れは……!」


 生まれて初めて見るであろう人の波に、さすがの魔王様も気圧されているようだ。さっきまでの威厳はどこへやら、俺のローブの裾を無意識に、しかし力強く掴んでいる。


「おい、ローブが伸びるだろ」


「う、うるさい! はぐれたらどうするのだ!」


「お前が迷子になる心配より、お前がキレてこの街が半壊する心配の方が大きいんだが……」


「何か言ったか?」


「いえ、何も」


 とりあえず、まずは腹ごしらえだ。ラミアの機嫌を損ねて街中で大魔法をぶっ放されてはたまらない。俺は鼻をくんくんとさせ、スパイスと肉の焼ける最も食欲をそそる匂いの発生源を探した。


「こっちだ」


 ラミアの手を……はさすがに畏れ多いのでローブの裾を引いて人混みをかき分けると、香ばしい匂いの元にたどり着いた。じゅうじゅうと音を立てて焼かれているのは、大ぶりの肉を串に刺したものだ。秘伝らしいタレの焦げる匂いがたまらない。


「親父、これ二本くれ」


 銀貨を渡して受け取った熱々の串焼きを、一本ラミアに差し出す。


「ほらよ。お待ちかねの肉だ」


「ふん、下賤な食べ物だな。道端で火を通しただけのものなど……」


 口ではそう言いながらも、彼女の視線は串焼きに釘付けだ。俺が自分の方にかぶりつくと、ラミアはごくりと喉を鳴らした。完全に負けてるじゃないか。


「まあ、食ってみろって。うまいぞ」


「……貴様がそう言うなら、一口だけ食してやろう」


 ラミアは言い訳がましく呟き、恐る恐る串の先に口をつけた。そして、小さな口で肉をちぎり、ゆっくりと咀嚼する。

 その瞬間、彼女の金の瞳が驚きに見開かれた。


「な……!?」


 魔王様、驚愕。その表情はまさにそんな感じだった。よほど衝撃的な味だったのか、しばらく固まっていたが、やがて我に返ると、今度は無言のまま猛烈な勢いで肉にかぶりついた。さっきまでの上品ぶった態度はどこへ行ったのやら。

 あっという間に一本を食べ終えると、彼女は少し照れたように、しかし期待に満ちた目で俺を見つめてきた。


「……もう一本」


「ははっ、だよな!」


 俺は思わず吹き出してしまった。魔王という肩書を剥がしてしまえば、彼女はただの世間知らずな少女なのかもしれない。そんなラミアの意外な一面を見られただけで、この街に立ち寄った価値はあったと思えた。



 

 ◇



 

 それから俺たちは、市場をぶらつくことにした。串焼きですっかり機嫌の直ったラミアは、初めて見るものばかりの市場に興味津々な様子だ。色とりどりの果物、見たこともないデザインの工芸品、陽気な音楽を奏でる吟遊詩人。そのすべてが、彼女の目には新鮮に映っているらしかった。


「おい小僧、あれはなんだ?」


「ああ、リンゴ飴だな。食うか?」


「あの光る石は?」


「ただのガラス玉だ。ぼったくられるなよ」


 まるで年の離れた妹を連れているような気分だ。いやラミアが数百年年上なのだが。

 

 面倒だが、悪くない。そんなことを考えていた時だった。

 広場の中心で、人だかりができているのが目に入った。何事かと覗き込んでみると、その中心で小さな女の子が一人、わんわんと泣きじゃくっていた。年は五歳くらいだろうか。どうやら母親とはぐれてしまったらしい。


 ――これは、RTAでは完全無視イベントだ。


 俺の頭の中の冷静な部分が、タイムロスだと警告を発する。そもそもこれは〈ラミアズ・テンペスト〉には存在しないイベント。何のフラグも立たない。迷わずスルーするべき場面だ。


 だが……。


 必死に涙をこらえようとしながらも、しゃくりあげている女の子の姿が、元の世界での妹の小さい頃と、なぜか重なって見えた。


「行くぞ、小僧。何を呆けておる」


 ラミアが俺の袖を引く。彼女からすれば、見知らぬ人間の子供が泣いていようが知ったことではないのだろう。それが魔王として普通だ。


 でも、今の俺は。


「……悪い、ラミア。ちょっとだけ、寄り道させてくれ」


「はぁ? 貴様、正気か? 時間の無駄だと、先ほど言っていたのはどこのどいつだ」


 ラミアが心底呆れたという顔で俺を見る。その通りだ。非効率極まりない行動だとは、自分でも分かっている。


「こういう時、見て見ぬふりするような人間にはなりたくない」


 俺はそれだけ言うと、人垣をかき分けて女の子に近づき、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。


「どうしたんだ? お母さんと逸れちゃったのか?」


 女の子はしゃくりあげながら、こくこくと頷く。


「お、お花のお店に行くって……言ってたの……」


 花屋か。なるほど。

 俺はすっと立ち上がり、周囲を見渡した。この広場の構造、時間帯、人の流れ、そして子供の歩幅。それらを総合的に考慮し、母親が向かいそうなルートを脳内でシミュレートする。それはまるで、ゲーム内でNPCの行動パターンを予測する作業とよく似ていた。


「よし、こっちだ。案内してやる」


「おい、まさか本気で探す気か?」


「当たり前だろ」


 俺は女の子の手をそっと引き、ラミアを振り返らずに歩き出した。背後でラミアが深いため息をついたのが聞こえたが、何も言わずに着いてきてくれるようだった。


 俺の予測は的中した。広場から三本目の通りにある花屋の前で、青い顔をして娘を探している母親らしき女性を発見した。


「お母さーん!」


「ああ、よかった……!」


 感動の再会。母親は俺に何度も頭を下げ、涙ながらに感謝してきた。


「本当にありがとうございます……! お礼と言っては何ですが、これ、娘と一緒に作ったクッキーなんです。どうぞ、召し上がってください」


 そう言って渡されたのは、少し不格好な星形をしたクッキーが数枚入った、小さな麻袋だった。



 

 ◇


 


 宿への帰り道、ラミアは終始不機嫌そうに黙り込んでいたが、ついに我慢できなくなったのか、口を開いた。


「……解せぬな」


「何がだ?」


「たかが人間の子供一人を助け、得られたのはこんなガラクタだけ。経験値も金も手に入らぬというのに、なぜ貴様はそれほど満足げな顔をしておるのだ」


 彼女の言う「ガラクタ」とは、俺の手の中にあるクッキーの袋のことだろう。確かに、換金価値はゼロに等しい。

 俺は袋からクッキーを一枚取り出し、半分に割ってラミアに差し出した。


「食ってみろよ」


「……いらぬ」


「いいから」


 無理やり押し付けると、ラミアは渋々といった様子でそれを受け取った。

 俺は残りの半分を口に放り込む。素朴な甘さが口の中に広がった。うまい。


「まあ、たまにはこういうのも悪くないだろ?」


 俺がそう言うと、ラミアは黙ってクッキーを小さな口でかじった。そして、何かを考えるように、ゆっくりと咀嚼している。その表情は、不機嫌というより、どこか戸惑っているように見えた。


 効率や攻略だけがすべてじゃない。この世界で、俺は初めてそんな当たり前のことを実感していた。


 宿の窓から、夕暮れの街を眺める。活気に満ちたその風景が、ふと、一瞬だけ色褪せて見えた。行き交う人々が、まるで決められたルートを往復するだけの壊れたNPCのように、機械的に見えたのだ。


「……気のせいか」


 俺は首を振り、その小さな違和感を頭から追い出した。

 明日はまた、最短ルートでの攻略が待っている。今はただ、このささやかな休息を楽しもう。俺はそう思い、残りのクッキーを味わった。

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