第19話 ウイスキーボンボンが気に入らない




 部長の惜しみない協力のおかげもあり、僕はなんとか期限内に原稿を書き上げ提出した。


 あとは神に祈るのみ。


 そういえば、晴れて17歳になった僕はまだ生きている。


 大きな不安材料だった部長の料理はなんと、どれもほっぺが落ちそうなほどに美味しかったのだ。元より彼女は様々な才能溢れる才女なだけに、料理の進歩も凄まじかった。それは既に、家庭料理の域を遥かに凌駕する実力ではないかと思うほど。


 こうして僕たちはまた、いつも通り見慣れた部室での部活動へと逆戻り。今までがあまりにも非日常だっただけに、少し寂しい気持ちを抱えている僕もいたりする。


 でも、こうやっていつもの定位置から見る部長はやっぱり美しくて、程よいこの距離感がどこか安心する。読書の合間にこんな素晴らしい景色が見られるこの場所は、やっぱり僕だけの特等席だ。


「さ、佐藤君……さっきから私のことをジーっと見ているの、き、気付いているのよ……?」


 部長は読んでいた本で顔の半分を恥ずかしそうに隠しながら、覗き込むように言った。


「す、すみません。久しぶりだったので……」


「久しぶりって、このところは休日でも欠かさずに毎日会っていたじゃない……」


「で、ですから、部室で見る部長もやっぱりいいなぁ……なんて……」


 僕が思わず漏らした本心を聞くなり、部長は立ち上がって声を張る。

 

「しゃ、しゃとうくん……!! 今はまだ学校なのだから、そういうことは家に帰ってから言ってくれないと、私、我慢できなくなっちゃうから……」


「が、我慢って、なんの我慢ですかっ!? それに家に帰ってからって、もしかして今日も僕ん家へ来るつもりだったんですか!? もう執筆は終わりましたよ?」


「それって、これ以上は迷惑ってこと……? それとも、私はもう用済みで、既に新しい女を雇ったの……?」


 いつもの如く訳の分からない被害妄想で涙目になり始める部長。


「ち、違いますよ! 部長が来てくれるのは素直に嬉しいです……だから、その、驚いてしまっただけで……」


 部長の目はみるみる丸みを帯び、気まずくなった僕らは、互いに目を逸らしてしまった。



 この空気を変えようと、僕は鞄を広げてある物を取り出した。


「部長、これ、今までのお礼です。つまらない物ですけど、受け取って下さい……」


 僕が机に置いた正方形の包みを不思議そうにまじまじと見つめる部長。


「こ、これって……もしかして、大人のおもちゃ詰め合わせボックスかしら……?」


 予想外の問いに咽せそうになりながらも、僕は箱の中身を説明した。


「馬鹿なんですかっ!? チョコですよチョコ! まぁお酒の入っているチョコなんで、『大人の』のところは否定できませんけど……」


「わ、私を酔わせてどうするつもり……!?」


「ど、どうって僕はそんなつもりじゃ……」


「わ、私は酔ってなんかいなくたって佐藤君には言いなりなのに……で、でも、佐藤君がそれを望むのなら仕方ないわね。どうしても言い訳が欲しいってことなのよね……」


 部長は頬を紅潮させて何やらボソボソとひとりごとのように呟いていた。


「はぁ……お酒といっても少量ですし、こんなので酔いませんって……まぁラブコメのヒロインはこういうので酔っちゃって主人公に対していつもより大胆になるっていうのはあるあるですけど、所詮フィクションの産物ですし……」


 自分で言ってハッとした。普通ならばあり得ないあのシチュエーションも、この人のラブコメ体質なら……あるいは。


「じゃあこれ、早速いただいていいかしら?」


 少しの期待と、湧き上がる興味に僕はゴクリと生唾を呑んだ。


「あ、はい……どうぞ……」



 部長は箱を開けてチョコをひとつ食べると、しばし黙り込んだ。


 すると聞こえてくる、「ヒック……」というしゃくりあげる声。


 僕は「キタ……!」と、机の下で拳を握る。

 

「しゃ、しゃとう君はぁ……なんでそんなに鈍感らんですかぁ〜……?」


 部長の顔は茹蛸のように赤く、その口調はいつもよりのっぺりとしていた。


 ――絵に描いたような、酔っ払いだ。


 予想通り、いや予想以上の完成度に、僕は嬉しさ半分、心配半分でその様子を眺めていた。


「ぶ、部長、すみません。部長の体質をもっと考えて選べば良かったです。そ、そうだ水、飲みますか……!?」


「じゃあ、口移しで飲ませてくらさぁい♡」


 尊過ぎるキス顔を向けてくる部長。


「そ、それは流石に……」


「どうしてぇ……らんでぇ……? しゃとうきゅんとチュウしたいぃ〜したいしたいしたいしたいしたいぃ〜!」


 へべれけな部長は、すこぶる可愛らしかった。同時に、この人にお酒は2度と飲ませてはいけないとも思った。


「ダメですよ部長……酔った勢いでそんなことしちゃったら後悔しますよ……?」


「しゃとうきゅんならいいのぉ〜。ねぇ……わたしのことはレンちゃんって呼んでぇ……?」


「え……だってそれは……」


「ねぇ……レンちゃんって呼んでよぉ……!」


 子供みたいな顔で目に涙を浮かべる部長。


「わ、分かったからレンちゃん……!」


「ふふふ〜。しゃとうきゅん大好きぃ〜♡」


 両手を頬に当てて満足そうな笑顔を浮かべていたのも束の間、部長は突如として平静を取り戻し辺りを見渡すと、すぐに顔を机に埋めた。


 どうやら、意外にも早く魔法が解けてしまったらしい。


「ぶ、部長……大丈夫ですか……?」


「佐藤君……こういうのって普通、記憶がなくなったりするものじゃなかったかしら……?」


 やっぱり、よく勉強している。


「そ、そうですね……ラブコメのご都合設定ではその筈なんですが、もしかして、全部覚えているんですか……?」


「ねぇコレ、もうひとつ食べてもいいかしら……? むしろ点滴でアルコールを体内へ直接流し続けてくれないかしら……」


「だ、ダメですよ! なにアル中患者みたいなこと言ってるんですか! 僕は何も見ていませんし聞いてもいませんから……!」


 結局、僕は日を改めて部長にお酒の入っていないチョコをプレゼントした。


 でも彼女は、今度はそれを決して僕の前では食べなかった。

 

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