第二話 青の深淵

放課後の校舎は、窓ガラスを茜色に染めながら、巨大な生き物のように静かな呼吸を繰り返している。昼間の喧騒が嘘のように遠ざかり、私の内なる炎の、ぱちぱちと爆ぜる音だけがやけに大きく響いていた。

美術室へ向かう途中、階段の踊り場で、不意に時間が止まった。そこに彼がいたからだ。クラスメイトの、とおる。いつも静かで、その横顔には薄氷のようなかげりがある。夕暮れの光が彼の輪郭を溶かすように照らし、まるでこの世のものではない古い肖像画のように、私の目に焼き付いた。

彼は分厚い装丁の本を手に、壁に身を預けていた。その姿は、世界から自らを切り離した、孤高の天体のようだった。私の中の緋色の炎が、じり、と音を立てて疼く。それは熱であり、渇きであり、未知なる深淵への、恐れを伴う好奇心だった。

「……何を、読んでいるの」

唇から零れたのは、我ながら唐突すぎる問いだった。彼は本のページからゆっくりと顔を上げ、その視線が私を捉える。彼の瞳は、夜の湖。どこまでも深く、静謐な青を湛えていた。その青は、私の狂おしい緋色の炎を、一瞬にして凍てつかせ、そして次の瞬間には、より激しく燃え上がらせるような、魔力にも似た不思議な力を宿していた。

「……詩集だ」

彼の返事は、低く、古楽器の弦を弾くような響きで、私の心の奥の柔らかな場所にまで届いた。私は彼の隣に立ち、錆びた鉄の手すりにそっと指を滑らせる。その冷たさが、体内の熱をわずかに鎮めてくれた。

彼が見せてくれた表紙には、見慣れない異国の言葉が銀で箔押しされていた。詩集。言葉を、感情を、そして衝動を、静かな氷の中に永遠に閉じ込めたもの。その時、私は直感した。彼の内側にも、私と同じ熱があるのだと。しかしそれは燃え盛る炎ではない。深く、静かに、青い燐光を放ちながら燃え続ける、冷たい炎。

私たちは、何も話さなかった。ただそこに立つだけで、時間という概念から切り離されたような、聖なる静寂が二人を包んだ。私の身体が、魂が、彼の放つ青い引力に引き寄せられていく。理屈ではない。それは、月が潮を引くのと同じくらい、本能的で、抗えないことだった。

「……もう、行くわ」

その永遠にも思える沈黙に耐えきれず、私は囁いた。彼は何も言わず、ただその静かな瞳で私を見つめ返す。その視線は、まるで冷たい指先で私の背骨をそっと撫でられるような、甘い痺れを伴う感覚だった。

家路を急ぐ私の心臓は、破滅的なリズムを刻んでいた。空はいつしか、紫と藍が溶け合う、深い夜の色へと移ろいでいた。私の緋色の炎は、透という青の深淵に出会ってしまったことで、もはや制御できないほどに、その熱を増しているようだった。

その夜、私は再び夢を見た。今度は、月光を浴びて咲く、青い罌粟けしの花が、私の全身を覆い尽くす夢を。それは私の中の炎を冷ますのではなく、むしろその熱をより深く、より激しく燃え上がらせるための、禁断の麻薬のようだった。

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