第36話 復讐心④
警察署へ向かう足取りは重く、半ば引きずるようにして辿り着いた警察署でアーシャを待っていたのは、歓迎……とは言い難い出迎えだった。
「ネルソン署長にお会いしたいのですが」
受付でバッチを見せたアーシャが言うと、中年の制服警官の女性はねめつけるようにアーシャを見た。
「ご用件は?」
「『海上都市』で起きている連続殺人事件のことで話があると、うちのバーンズから話が行っています。『PBI』の捜査官が来たとお伝えください」
ロレンス教授と違い、ネルソン署長と揉めることは目に見えていた。
なにせ、現場でバーンズに噛みつくほど血の気の多い人物である。自分より一回り以上下の女が聴取に来ればどんな態度になるか、想像するまでもない。
その為、あらかじめ話をとおしておいた……はずなのだが、どうやら署長へ報告が上がっていなかったらしい。内線電話で揉めるところを、二人は見せつけられる形となり、結果的に先ほどよりも機嫌が悪くなった中年女性に署長室まで案内されることとなった。
「やあ、これはこれはようこそ。口出し局のお出ましだ」
やはりというべきか、署長の態度は推して知るべし。
わたくしは不機嫌でございますと全身全霊で訴え、おまけの皮肉まで零す。しかも、デスクの後ろの大きめのイスに腰かけ、読んでいる書類から目も離さずにだ。
「署長、私たちは話がしたいだけです」
それでもあくまで冷静に話を進めようとするアーシャだが、
「フン、私には話したいことなど無いんだがな」
署長はイスにふんぞり返り、皮肉な口調で言った。
「確かに今回の事件については合同捜査ということになっているが、君たちだって我々に情報を与えていないだろう。それなのに我々だけにそれを求めるのか? 友情は片方からのみ示すものではない。違うか?」
「仰る通りです」
アーシャの声はやはり冷静だった。いや、冷淡と言い換えることもできる。
「しかし、私たちがここへ来たのは情報交換の為ではありません。いくつか、あくまで参考までに、あなたに確認したいことが……」
慎重に言葉を選びながら話すアーシャだが、
「連続殺人の犯人はあんたか?」
その苦労を一瞬で崩す男がいた。
「……なんだと?」
しかし、ある意味では話が進んだと言えるかもしれない。
ネルソンは視線を上げ、初めて二人の姿を捉えたからだ。
「どうした、聞こえたろ? あんたは殺人犯かと訊いたんだ」
「貴様……」
イスを蹴上げるようにして立ち上がり、つかつかとジョンに近づくネルソン。
こういう時、煽るだけ煽っておいて自分で鎮火はしないのがジョンという男だ。ジョンはネルソンから速足で距離を取る。
アーシャが非難の視線をむけるも、ジョンはなぜ怒っているのか分からないという様子だ。
「なんだい、その顔は。君だってそれを訊きに来たんだろ?」
「私は警察署の署長だぞ!」
「それは免罪符にも、あんたが容疑者から外れる理由にもならない。あんたは全ての犯行現場で目撃されてるんだ。疑われないほうがおかしいだろ」
「そいつを私に近づけるな!!」
その怒鳴り声は警察署全体に聞こえていたに違いない。
ネルソンはジョンを指さし、唾を飛ばしながら大声で怒鳴った。
「落ち着いてください」
いまにも掴みかからんばかりのネルソンをなんとか制し、この際ジョンのことは無視して続ける。
「私たちは、ただ事実を整理したいだけです」
「あんたが単なるバカな警官か、冷酷な殺人鬼かをね」
「この……ッ」
ついに飛びかかろうとするネルソンを、アーシャは必死に止める。それと同時にジョンに避難の視線をむけるが、当の本人は肩をすくめただけだ。
「どうか落ち着いて。署長、私がお詫びします」
「いや、そんな必要はない。謝罪は取り消す」
そんな言葉が後ろから聞こえてきたとき、アーシャは気が遠くなる思いだった。自分とジョンを同行させたバーンズを恨みもした。
「アーシャだって分かってるだろ? そんな回りくどい聞き方せずに僕に任せてくれれば、五分で真実を引き出せる。もしコイツが……」
そこでジョンはネルソンを指さし、
「有益な情報を持っていればね」
それまで暴れていたネルソンが、急にピタリと動かなくなった。
しかしそれは、彼だけではない。アーシャもまた、動くことができない。蛇に睨まれた蛙のように、指一本動かすことができない。
そう、指。
ネルソンを指したジョンの指先から、眼を潰し眼球を抉り出しそうな、異常なまでの殺気が立ち上っている。
「ゆ、有益な情報……だと……?」
ネルソンはなんとか喉の奥から声を絞り出し、嘲笑うかのように言った。
「なんだ、怪しい人間を見たとでも言ってほしいのか? それとも、私から自白を引き出す気か?」
「自白? まさか」
ジョンは心底どうでもよさそうに言った。
「悪気はないがあんたはバカだ。人は殺せるだろうが、これだけの犯罪を犯す知能はないよ」
「言わせておけば……」
いきり立つネルソン。アーシャが牽制するのもそろそろ限界だった。
「同僚の非礼は重ねてお詫びします。しかし、こちらの事情もご理解ください。あなたが本当のことを話してくだされば、すぐに疑いは晴れます。そうでしょう?」
アーシャの噛んで含めるような冷静な言葉に、ネルソンはようやく肩から力を抜いた。
「私は誰も殺していない」
「現場にいた理由を教えてください」
ここに来て、ネルソン署長は初めて返答に窮した。視線をアーシャたちから逸らし、明らかに答えることを躊躇っていた。
「……私には後ろ暗いことなど無い」
ようやく出てきた言葉は答えではなかった。
「ははーん」
後ろから聞こえてきた声に、アーシャはまた身を固くする。無論、嫌な予感がしかしないからだ。
せめてこの言葉が、役に立つものであればいいのだが……
「言いたくても言えないんだ。その時あんたは、犯罪行為に手を染めていたから」
またネルソンがジョンに掴みかかるのではと身構えたアーシャだが、意外にも署長は大人しくその場に立っているだけだった。
「どういうことですか?」
本人に訊いても答えは返ってこないだろうと判断し、アーシャはジョンに訊く。
「つまり、彼もまた〝魔都〟に魅入られた人間の一人ってことだよ」
魔都。
それは『海上都市』の裏の顔だ。
そこに蔓延っているのは、ドラック、売春、まさか……
「別に大した問題とは思わない。私の考えでは、彼女らは顧客が望むサービスを提供するプロなんだ」
ネルソンは開き直ったように言った。
「大した問題です。法的には明らかな犯罪行為ですよ。しかも、本来それを取り締まるべき組織のトップが……」
アーシャの平坦な声色の奥には、隠しきれない侮蔑の色があった。
さすがになにも言い返すことができないのか、ネルソンは俯き加減に唇を噛む。
「私は彼女たちが指定した待ち合わせ場所に行っただけだ。つまり偶然だ」
「三回もですか? それだけ続けば、偶然も必然になると思いますが」
「なにを言われても、私は同じ言葉を繰り返すしかない」
秘密を暴かれたネルソンは、どこかやけっぱちになっているように見える。
無理もない。ネルソンは売春婦を買ったのだ。それも警察署の署長が。いわゆる不祥事。公になればただでは済まない。つまり、ネルソンの生殺与奪はジョンたちが握っていることになる。
「なぜ分かった?」
訊かれたジョンは、つまらなそうに肩をすくめてみせた。
「簡単なことだよ。あんたは自分に甘いし堕落してる。堕落した人間がすることと言えば、ドラック、売春、ギャンブルと相場は決まってる」
「つまり勘ということか?」
「みんな簡単に言ってくれるな。でもそういうこと」
ジョンがニヤリと笑うと、逆にネルソンは苦虫を噛み潰すように顔を顰めた。
「このことは内密に頼む」
「では私の質問に答えてください」
実際、アーシャにはネルソンをどうこうする気はない。上司のバーンズには報告はするがそれだけだ。
自分たちがいましているのは殺人事件の捜査だ。売春は、言ってしまえば微罪でしかない。それをいちいち取り締まるつもりはない。
ネルソンの無言を肯定と受け取ったアーシャは、開いた手帳にペンをコツコツと当てた。
「女性たちの名前を教えてください。裏を取ります」
「……分かった」
観念したように名前を話しだすネルソン。そこには、先ほどまでの勢いはもうどこにもなかった。
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