第3話 ことの次第

 不思議な出会いから衝撃的な告白をされた後。


 このまま立ち話をすることもできず、とりあえず部屋に入って貰った。ベッドと小さなテーブルでもういっぱい。部屋の隅には、箪笥替わりのケースや、トレッキング用のリュックサックやストックがあるくらい。


 先に座ってもらってから、冷蔵庫にあった麦茶をグラスへと注いだものをテーブルへと置いて自分も腰を下ろす。


 一応、椅子は二つあるが、食事を摂ろうと思うと、一人ずつにしないと難しいかもしれない大きさのそれ。向かい合って座ると、足をぶつけそうになって、遠夜は慌てて姿勢を正した。


「……」


 何から聞けばいいのか。いや、自分が話すべきなのか。言葉を探しあぐねていると、見かねたのか対面の男が静かに口を開いた。

 男が語った内容は、あまりに非現実的だった。

 目の前の彼は、この世界でいう「物の怪」の類であり、遠夜を助けたのは彼の主──あの山の神の命令だったこと。

 そして、自分は意識のないまま、その見返りとして彼ら眷属に「今の世の中」を見せて回るという約束を交わしてしまったらしい。

「……」

 にわかには信じがたい話に、遠夜はただ瞬きを繰り返した。

「……あの、ごめんなさい。最後の約束──記憶がないです」

 正直な答え。約束が面倒になったから誤魔化そうとか、そういったことではなく。純粋に覚えがなかった。

 そもそもが荒唐無稽な作り話と相手にしない方が普通であろう。目の前の男も不審者であることは変わりない。が、先程の謎の『不審者』から守ってくれたこと。その後の空中散歩。明らかに普通ではないことを体験した後で、でたらめだと決めつけることは出来なかった。


 何より。彼が自分をあの時運んでくれたのは事実。結論がどうなるにせよ、せめて話だけは全部聞こうと思った。


「無理はない。あの時、君の命は尽きかけていたから」

「え……」

 こともなげに告げられる言葉に背筋が冷えた。氷の感触が甦り、指先が思わず握り込まれる。

 呆然としている遠夜を前に、表情を変えずに言葉を続ける。

「ふもとに運ぶまで持たないかも知れない、と。主の力の一部を君に」

 思わず自分の両手を見つめてしまった。続けて顔に触れたり、胸に触れてみたり。自分で自分を確かめるような動きをしている遠夜をよそに、男は話し続ける。

「そのせいで、君の中に主の力の残滓が残ってしまった。だから──」


 妙な「モノ」が引き寄せられた。


「……さっきの?」

 『不審者』。あれがそうだったのかと尋ねると、肯定の頷きが返って来る。

「──おそらく。君の中にある残滓を嗅ぎつけた」

 じ、と遠夜を見つめてくる。漫画のように特殊なオーラでも出ているのだろうかと、手を見つめてみるが、いたって普段通りの手。

「その……あるじさま?のざんし?があると、どうなるんですか?」

 聞き慣れない言葉で紡がれる説明は、混乱するばかりで頭に入ってこない。だが、断片的な事実だけは、嫌でも理解できた。

 ──自分は、あの時死にかけていた。

 ──それを、目の前の男の「主」が助けてくれた。

 ──そして、そのせいでよくわからない「モノ」に狙われるようになった。

「神の力があれば、己の存在を保てるかも知れない──そう、考えたのではないだろうか」

 先程の『不審者』は、色々なものが混ざり合って生まれた者達で、目前の男と違い、主を持たない。

 生まれて消えるだけの存在。今もどこかで生まれては消えている者達。通常であれば、特に害はないのだが。

 神の力を入手すれば、この世に留まることが出来るかも知れない──そんな希望を抱いてしまったから、先程のように襲いかかった──のかも知れない。

 そんなことを語られても、遠夜に理解出来る訳もなく。ひたすら困惑している様を見て、白髪の男はやや間を置いた。

「……三日、飯を食っていない人間の前に、握り飯と味噌汁が置かれた、と言えば伝わるだろうか」

 身近なものへと例えて説明をしてくれる。

「つまり……俺……というか、「あるじさまのざんし」は、ご馳走のようなもの、ってことですか?」

「そうだ」

 正解だった。

 そのことにささやかな喜びを感じるのも束の間。


 それじゃ、よくわからない『不審者』にご馳走扱いされて追い回される──?


 震える指でグラスを口へと運ぶ。麦茶を口にしても喉は渇いたまま。冷たさが胃に落ちていく感覚だけが、かろうじて現実をつなぎとめていた。

「残滓が消えるまでは俺が傍に居る。だから、君は何も気にしなくていい」

 予想だにしなかった言葉にグラスを落としかけて慌ててテーブルへと。

「え?」

 元々は遠夜が彼を歓待しなければいけない立場のはず。それに──

「俺、見ての通り学生で……その。あなたのために部屋を用意するとか、そういうのも出来ない……んですけど」

 語尾が小さくなってしまう。見ての通りのワンルーム。目の前のテーブルを片付ければ、布団くらいは敷けるが、プライバシーも何もない状態で生活するのは、相手も自分もストレスがたまるのではないだろうか。

 かといって、彼のためにホテルをとる経済的な余裕もない。

「俺には、部屋……人間と同じ生活は必要ない」

 言いながら立ち上がった。椅子に座ったまま見上げる遠夜に対して、笑った──のだろうか。長い髪のせいで、いまいち表情が見えづらいが、口角が上がったような気がする。

「これを」

 差し出された掌の上。水晶のような細長い石。光の加減で色がかわるそれは、男の目に似ている。

「方法は任せる。君の傍に置いて欲しい。それで約束は果たされる」

 では。

 言いたいことだけ言って出て行こうとする。慌てて呼び止めた。

「待って!」

 思わず伸ばした手で袖を握る。振り返る動きに合わせて指を離すと、真っ直ぐに見上げた。

「お礼、ちゃんと言ってない……と思うから。何度も助けてくれてありがとう」

 男が明確に表情を動かした、と理解出来たのは初めてかもしれない。軽く見開かれた目は、吸い込まれそうな深い色から、明るい緑へと色を変えた。

「それと、あなたの名前……教えて下さい。街で見かけても、声、かけられないから」

「……」

 目の色はもう戻っている。落ち着いた声が返って来る。

「名は……ない。好きに呼べばいい」

 また立ち去ろうとする。待って、と再び袖を掴んだ。

「じゃぁ……ええとすいさん、でいいですか?」

 光の加減で色の変わる目。先程渡された謎の石。連想した輝石の名を口にすると、男は静かに頷いた。

「わかった」

 返事としては少しずれているかも知れない。が、了承した、という意味と受け取っていいだろう。

 静かに部屋を出て行く背中を見送った後、再び腰を下ろす。


 テーブルには麦茶の入ったグラスが二つ。それと──手の中の石。


 男の目を連想させる輝石を改めてじっと見つめた。

「……あれ?中に……何か入ってる?」

 蛍光灯に透かすと、何かが揺らめいたように見えた。どこかに栓があるのかとひっくり返してみたが、つるりとした表面には傷一つない。

 天然石の中には、偶然に水の入ったものがある、と聞いたことがある。そういった類のものだろうか。

「不思議」

 ひんやりとしたそれは、あの時握られた指の感触にも似て。暫く手の中で転がした後、そっとテーブルに置いた。

──傍に……っていうのは、お守りみたいに持ち歩かなきゃいけないのかな。袋とかあったけ。

 ネックレスみたいに紐をつけてもいいのかも知れない。石に穴をあけるのは憚られるから、石を傷つけずに紐で下げる方法も調べてみなければ。


 とにかく。今日は色々な事が起こり過ぎた。いったん、頭をリセットしよう。


 大きく息を吐き、シャワーを浴びるために席を立つ。

 その瞬間、机上の石が、呼吸に合わせるように微かに光った──気がした。

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